「創価学会関連リンク集」掲示板での発言[ 3 ]

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ハルさんへ Libra - 2001/04/19(Thu) 05:34 No.2481   HOME

 おはようございます。ハルさん。

 そういえば昔『(ハル)』という映画がありましたっけ。あれはい
い映画でした。関係ないですね。ゴメンナサイ。

> 日蓮は自らの口ではっきりと「われは上行菩薩なり」と広言したこ
> とはあったのでしょうか?もしそうならば、「日蓮本仏論」は日蓮
> 自身が自分でつくったということになる。

 宗祖に「上行の自覚」があったのは確かでしょう。しかし、そのこ
とはむしろ「日蓮本仏論」を否定しているということを意味します。
本仏は釈尊で、自分は釈尊から五字を譲り受けた「本化の菩薩」だと
言うことですから。

> 「日蓮本仏論」って、ちょっと間違うと危険な考え方になってしま
> う、という気がするんですよ。

 東洋哲学研究所(学会の研究機関の一つ)の小林正博さんも以下の
ように言われています。

  法主絶対の前提には、宗祖本仏論が深く関わっていることは否め
  ない。すなわち宗祖が本仏であるとすれば、その血脈を受けた日
  興上人ばかりでなく、その正当な流れを受けた「唯授一人血脈相
  承」の歴代の法主も絶対的存在となるという考えに容易につなが
  っていくからである。これこそ現宗門がさかんに強調する法主絶
  対論への道筋である。
  (小林正博「法主絶対論の形成とその批判」『東洋学術研究』第
   32巻第2号、1993年10月、p. 112)

> だが、正宗、学会経本の「三師供養」の御観念文にはたしかに「一身
> 即三身・三身即一身・・・日蓮大聖人」とあるのだから、

 今はないんですよ(^_^;)。

> しかしLibraさんは、教条主義そのものが非仏教的であると批判する
> 立場なのだから、そんなところを突かれてもおそらく「屁の河童」
> でしょう。たぶん(笑)。

 その通りです(^_^)。

> 理想論といえば理想論かもしれないし、夢みたいといえば夢みたいな
> ことかもしれないけれど。まあ、ヤッホさんには偽善的、と受け取ら
> れるのかもしれない。

 「ペイ・フォワード」という映画を観て頂ければ…。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/19(Thu) 20:02 No.2490   HOME

 こんばんは。ヤッホさん。

 私の失礼なレスに対して丁寧に応接して頂き、ありがとうござ
いました。

>  今の観念文にしたって、南無釋迦牟尼佛はありませんよ。何
> に「南無」してんですか?観念文では「日蓮」じゃありません
> か。

 先に申しましたように、私は、

  「久遠仏(本門の釈尊)」
    =『法華経』
    =『法華経』を体現した人間(『法華経』になった人間)
      の系譜(法脈)

と見ているのです。「久遠仏」には釈尊(宝塔の内の釈迦)も日
蓮(上行)も含まれます。この時点でヤッホさんは笑うしかない
でしょう。こういうことを言った人はこれまでいないでしょうか
ら。

  本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂
  宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となる
  べし
  (「報恩抄」、全集、p. 328)

 それと、「観念文」は自分流にアレンジしても問題ないでしょ
う。釈尊が作ったものでも大聖人が作ったものでもありませんか
ら。
 
>  どのみち日蓮本仏論を根本規範にする組織(創価)をサンガと
> 称して僧宝にぶち込んでいるあなたはおかしいですわ。

 ですから、何度も申し上げていますように、「日蓮本仏論を根
本規範にする」ということに対しての異論が“創価学会の内部か
ら”すでに出されているわけです。松戸さんは「ドイツSGI文化
本部長」「東洋哲学研究所・欧州研究部長」の肩書きで『日蓮思
想の革新─凡夫本仏論をめぐって』(論創社、1994年)などを発
表されたわけたです。
 従って、今後も「日蓮本仏論を根本規範に」し続けるのかどう
かについては、全会員を巻き込んで議論されてしかるべきでしょ
う(現在のように黙殺されているのはどう考えてもオカシイ)。
そうした議論が尽くされた結果として、「今後も日蓮本仏論を根
本規範にする」ということが民主的に決定された場合には、私は
学会を辞めます。全然おかしくないと思います。

> これ、逆順でしょ?正法を保つ組織をサンガにしなきゃおかし
> いです。

 サンガというのは本来は「民主的な組織」なハズです。そうで
あれば「構成員の意思による変革」が可能なハズです。

 それと、「正法を保つ組織」などは現在どこにもないのではあ
ありませんか?どこかにありますか?

> 何時でもお目に掛かる用意はあるのでその際は宜しくメール
>くださいまし。

 私のようなものにそこまで言って下さったことを深く感謝致し
ます。私などのために貴重なお時間を割いて頂いてありがとうご
ざいました。
 
 夢破れた時には真っ先にヤッホさんに会いに行きたいと思いま
す(ご迷惑でしょうが)。それまでは「バカな奴」だと笑ってご
覧になっていて下さい。自分でも時々笑ってしまいます(^_^)。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/20(Fri) 00:48 No.2494   HOME

 こんばんは。ヤッホさん。

> きちんと釈迦に「南無」してますか?

 しています。釈尊に帰依しない仏教徒などはありえないと思います。
 ヤッホさんは「無信心」と言われていましたが、釈尊に「南無」し
ていないと理解してよろしいでしょうか?

>  それと、松戸さんの本も全て目を通してますが、アレは観測気球
> でしょう。わたしも「アラ」と思いましたが、尻すぼみになった気
> がします。

 このまま「尻すぼみ」で終わらせたくありません。

>  さらに、サンガは民主的組織でしょう。だからこそルールがある。
> それは創価あるいは日蓮正宗のルール。それに則ることがまず大切
> でしょう。

 私はそういう「正当化主義」には反対です。

  正当化主義と非正当化主義―汎批判的合理主義(小河原誠)
  http://fallibilism.web.fc2.com/018.html

> 僧宝(創価)に安易に帰依し属している姿は打算と馴れ合いにしか
> 見えません。

 「安易に帰依し属している」としか見えないのであれば、それはす
べて私の責任です。しかし実際には、私は孤立無援です。

>  あなたのようにマシな学力がありながら釈迦を捨てた教義をもつ
> 破和合僧宗団の創価をキルことが出来ないのが不思議ですね。しか
> し、それも日本人的なのかなと思います。

 ヤッホさんは「日本人的」という言葉をよく使われますが、私はウ
ヤムヤにするのは大嫌いです。

  相対主義批判(小河原誠)
  http://fallibilism.web.fc2.com/039.html

 私はまだ納得いくまで戦っていません。まだ挫折感を味わっていま
せん。かすかにまだ希望を持っています。その希望が絶望に変わった
時には学会を辞めます。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/20(Fri) 09:34 No.2500   HOME

 おはようございます。ヤッホさん。

>  もちろん釈迦になんざ「南無」しませんぜ。無宗教ですか
> らね。

 ということは研究者でらっしゃるということでしょうか。本
当なら「ヤッホ先生」と呼ばないといけないのかもしれません
ね(汗)。

>  そして、あなたの行っているという南無釈迦は既に創価の
> 教義を逸脱した背信行為でしょう。

 そんなことはありません。

  名誉会長: さあ、そこで「寿量品」です。寿量品の「発
   迹顕本」にこそ、「人間・釈尊に帰れ!」という法華経
   のメッセージが込められているのです。ここでは、この
   ことを少し考えてみよう。
  (池田大作他『法華経の智慧』第四巻、聖教新聞社、1998年、
   p. 50)

  斉藤: 大聖人は、常に「釈尊に帰れ!」と叫ばれました。
   大日如来を崇める真言宗に対しても、「大日如来は、ど
   のような人を父母として、どのような国に出現して大日
   経をお説きになったのか」(御書一三五五n、趣意)と
   破折されています。
  (同上、pp. 68-69)

 仮に「日蓮本仏論」に立ってみても、その当の本仏が「釈尊
に帰れ!」と言っているわけですから、やっぱり「日蓮本仏論」
は自滅せざるを得ないでしょう。

>  あなたは私的にいえば、踏ん切りが悪い。秋谷氏から回答
> が来ました?何も起きてないでしょうに。

 何も起きなかったわけではありません。広宣部出身で、現在
聖教新聞社に勤務されているある方が家に来て下さいました。
その時、過去に聖教新聞に掲載された「会則」のコピーを頂き
ました。こちらの言いたい事(松戸さんの件など)もきっちり
言わせて頂きました。しかし、その後は音沙汰無しです。

>  どこにこれだけの組織体に希望があるんですか?

 例えば、ここには反創価連盟さんという方がおられます。彼
は学生部で必死に戦っておられます。

>  ぶっちゃけた話。肉親の方が創価人だから悲しませないた
> めに脱会しないだけじゃないのですか?

 そんなことはないですよ(^_^;)。
 ある日蓮宗の御僧侶と頻繁にメールのやりとりをしていた頃、
そのことがよくご飯時に話題になったんですが、ウチの母親は
「弟子にしてもろたら?」などと言ってました。

> ところが、創価が日蓮本仏論を引っ込めることは中にいても
> 絶対にありえないでしょう。それをすれば創価の歴史じたい
> をご破算にするということですからね。

 牧口先生は以下のように言われています。
 
  一度発せられた意志命令は、仮令それが間違つて居ること
  が解つたにしても、それを引込ますことは官の威信に関は
  るという理由の下に、無理横暴を通すといふのが専制政治
  の常套手段で、これでなければ人民は治るものでないとい
  ふのが其の信条である。何ぞ知らん。眼前一部分の威信は
  これによつて保つことは出来ても、永久全体の信用は全く
  失墜して仕舞ふことを
  http://fallibilism.web.fc2.com/025.html

 創価の歴史がご破算になろうがどうしようが、間違っている
ものは改められなければなりません。

 ヤッホさんのお気持ちはよく分かりました。私などに目をか
けて頂いてとてもありがたく思います。しかし、私としてはも
う少しやってみようと思っています。

 こんな私ですが、ヤッホさんに個人的にメールしてもよろし
いでしょうか?


『ワンピース』も好き Libra - 2001/04/20(Fri) 16:06 No.2509   HOME

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 名誉片山さんへ

> 「仏=生命(非常に深い意味での生命)」(No.2486)
>
> この「非常に深い意味」をキチンと説明して、それをLibra氏
> が納得せん限り、ワシは学会教義をブラフマニズムに基づくも
> のと認識するぞい(藁

 参考資料を追加しておきます。

  原始仏教における生命観(高橋審也)
  http://fallibilism.web.fc2.com/059.html

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 ハルさんへ

 弁護して下さって、とてもうれしいです(>_<)。

> Libraさんはドン・キホーテみたいなことをしている、といえば
> その通りなんですよ。「大人」からみると青臭いバカバカしいこ
> とをしているように見える。

 たぶんマンガの見すぎなんでしょう(^_^)。

 「宇宙の海は 俺の海
  俺の果てしない 憧れさ
 
  地球の歌は 俺の歌
  俺の捨てきれぬ ふるさとさ

  友よ 明日のない惑星と知っても
  やはり守って 戦うのだ

  命を捨てて 俺は生きる」
 (宇宙海賊キャプテン・ハーロック)

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 議論にお付き合い下さったみなさんへ

 この掲示板での私の役目はこれで一段落したと思います。しば
らくは研究に専念します。

 御意見やご質問等がありましたらどしどしメール下さい。お願
い致します。

 みなさま本当にありがとうございました。とても勉強になりま
した。

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三色旗さんへ Libra - 2001/04/13(Fri) 21:54 No.2393   HOME

 こんばんは、三色旗さん。

> 釈尊の「無記」以降、仏教は書のみで伝えられないことを
> 伝達していることが指摘できます。
>
> 『創価教育学大系概論』牧口常三郎 レグルス文庫
> 「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」(409ページ)
>
> 書は言を尽さず言は心を尽さず (太田入道殿御返事 御書
> 1012ページ)

 とのことですが、「書」と「仏説」とを同列視するのはど
うかと思いますがいかがでしょうか?

  仏教には経論にはなれたるをば外道と云う
  (「蓮盛抄」、全集、p. 152)

  仏は文字に依つて衆生を度し給うなり
  (同上、p. 153)


損失を回復しようとしてますます損を重ねていく過程
   Libra - 2001/04/14(Sat) 18:24
No.2405
  HOME

 こんにちは。三色旗さん。

 あなたの引用の意図がよく分かりません。主張命題として明確に
表明して下さい。

 またコンニャク問答になってきています。気をつけて下さい。次
はもう注意しません。

  肯定的証拠をいくら積み重ねても理論の正しさは証明されない
  (小河原誠)
  http://fallibilism.web.fc2.com/057.html


三色旗氏は身心倶に釈子に非ず
   Libra - 2001/04/15(Sun) 17:32
No.2421
  HOME

 こんにちは。三色旗さん。

> 学会は下記に示される日蓮仏法を奉じている

 それは「日蓮“仏法”」などではなく“宇宙教”であり“密教”です。その
ことをこれまで私は論証してきましたが、ついにあなたは反論を放棄されたと
いうことですね。

> 今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし
> (上野殿御返事 御書1546ページ)
> →末法の現在では他経、法華経は不要

 宗祖は「真実の釈子」です。上の文によって「法華経は不要」だと言った瞬
間、もうあなたは「釈尊の弟子(釈子)」でもなければ「宗祖の弟子」でもな
いのです。ただの“学会教の信者”です。釈尊を捨ててあくまでも「宇宙」を
崇拝するというのであれば“仏法”と言うのを即刻止めて下さい。

  しゃくし【釈子】(『仏教哲学大辞典』)
  http://fallibilism.web.fc2.com/058.html

  弘法大師釈摩訶衍論を証拠と為て法華を無明の辺域戯論の法と云う事是れ
  以ての外の事なり、釈摩訶衍論は竜樹菩薩の造なり、是は釈迦如来の御弟
  子なり争か弟子の論を以て師の一代第一と仰せられし法華経を押下して戯
  論の法等と云う可きや
  (「真言天台勝劣事」、全集、p. 138)

  唯人師の釈計りを憑みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言
  語道断の次第なり
  (「持妙法華問答抄」、全集、p. 462)

 そもそも、「三大秘法」は宗祖が“発明”したものではありません(「日蓮
が自作にあらず」)。宗祖が“本化の菩薩”として『法華経』の中で釈尊から
譲り受けたものです。そのことをきちんと押さえていないから、「釈迦仏法」
と「日蓮仏法」という「二つの仏法」があるかのように都合よく錯覚するので
す。

  問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教
  乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品ま
  で秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒檀と
  題目の五字なり、教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲
  り給はず況や其の以下をや
  (「三大秘法禀承事」、全集、p. 1021)

  此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚
  世尊より口決相承せしなり
  (同上、p. 1023)

  教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘し
  て隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり
  (「南条殿御返事」、全集、p. 1578)

  今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現
  せさせ給いても四十余年其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品よ
  り事をこりて寿量品に説き顕し神力品属累に事極りて候いしが、(中略)
  上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮
  華経の五字をゆづらせ給いて
  (「新尼御前御返事」、全集、p. 905)

  爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給
  はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして
  顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸
  仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり
  (「日女御前御返事」、全集、p. 1243)

> 此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し
> (観心本尊抄 御書254ページ)
> →法華経の釈尊は本尊でない

 「真実の釈子」である宗祖の御書を上のように“無理やりに”訓読するの
はもう止めて下さい。

> 釈迦仏法に拘泥するLibra氏は日蓮仏法を奉ずるところの学会員でない。

 仏教徒(釈子)であることを放棄し宇宙教を奉ずることをはっきりと表明さ
れた三色旗氏はもはや「身心倶に釈子に非ず」。“学会教徒・宇宙教徒”では
あっても、宗祖の弟子ではありません。今後は「日蓮仏法」という言葉を使う
のは絶対に止めて下さい。


三色旗さんへ Libra - 2001/04/15(Sun) 20:27 No.2423   HOME

 こんばんは。三色旗さん。

> 宇宙教なるものは言及せず。

 「宇宙教」というのは以下のような教えを指して言っています。

   さらに、勤行の意義を比喩的に言うならば、「大宇宙と自分の生命
  の交流の儀式」といえます。池田名誉会長は語っています。
   ──宇宙も、その本体は南無妙法蓮華経であり、わが生命も南無妙
  法蓮華経の顕れであり本来一体です。そして御本尊も南無妙法蓮華経
  の当体です。ゆえに御本尊を中心にして、わが生命と宇宙がきちっと
  ギアをかみあわせ、幸福の方向へと回転を始めるのです(『青春対話』
  四〇三n、趣意)。
  (「やさしい教学」『聖教新聞』(2001.04.05、6面))

> 御書の年代で教説が変化するのです。

 「上野殿御返事」の「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但
南無妙法蓮華経なるべし」というのは、その直前の「南無妙法蓮華経と申
すは法華経の中の肝心」(全集、p. 1546)ということを強調して言われて
いるのであって、「法華経は不要」などという意味ではありません。

 また、「撰時抄」は建治元年(一ニ七五年)、身延入山の翌年に著され
たものであり、御真筆も玉沢の妙法華寺に二紙が欠けている以外はすべて
現存しています。「本尊抄」は文永十年(一ニ七三年)、佐渡の一谷で著
されたものです。従って、「撰時抄」は「本尊抄」よりも後に著されたも
のです。
 三色旗氏の言っていること(「御書の年代で教説が変化する」等)は
「支離滅裂」と言わざるを得ません。

> 三宝
> 仏宝 久遠元初自受報身如来の再誕である日蓮大聖人
> 法宝 事の一念三千の南無妙法蓮華経
> 僧宝 第二祖日興上人

 根拠のない全くのデタラメです(^_^)。

> 大聖人を「本化の菩薩」と呼んだ時点であなたは日蓮宗(身延系)
> となるのです。

 馬鹿なことを言ってもらっては困ります(^_^)。

  しゃくし【釈子】(『仏教哲学大辞典』)
  http://fallibilism.web.fc2.com/058.html
  
で引かれている寛師の「撰時抄愚記」の続きを引用しましょう。

  …将にこの義を明かさんとするに、略して五義を示さん。
   第一には、蓮祖はこれ本化の菩薩の再誕なるが故に。涌出品
  に本化の菩薩を説いて云く「此等は是れ我が子なり。是の世界
  に依止す」と文。妙楽云く「子、父の法を弘む。世界の益あり」
  云云。故に知んぬ、蓮祖は真実の釈子なることを。
  (創価学会教学部編『日寛上人文段集』、聖教新聞社、1980年、
   p. 219)

 寛師も「蓮祖はこれ本化の菩薩の再誕なるが故に」と言われてい
ます。まさか寛師も「日蓮宗(身延系)」となるのですか?

 まだみっともないことを言い続けるおつもりですか?


ハルさんへ Libra - 2001/04/16(Mon) 04:46 No.2430   HOME

 こんばんは。ハルさん。
 
 ご感想を伺えてとてもハッピーです(^_^)。

> けれどその「エッセンス」とは何か、ということになると、
> それがよくわからないんです。肝心なところがまだよくわか
> らない。

 私の理解は、以前申し上げましたように、

  「南無妙法蓮華経」は現在も生きつづける「人間・釈尊の
  精神(スピリット)」であるところの『法華経』に南無し
  たてまつるということです。「妙法蓮華の法門」に帰依す
  るということです。「妙法蓮華の法門」とは、「菩薩行
  (蓮華) という修行によって真理(妙法)に近づき(=
  上求菩提)、少しでも真理(妙法)に近づいたら、それを
  行かしてますます菩薩行(蓮華)に励む(=下化衆生)」
  という教えです。

というものです。
 ここで、「妙法(サッダルマ、正法)」とは何かが問題とな
りますが、私は「妙法=縁起」と理解しています。

 1.中村瑞隆先生の『現代語訳 法華経 下』によれば、『法
  華経』は「法身偈」(縁起を説く詩)でしめくくられてい
  る。

  いかなる存在も因縁から生ずる。如来はそれらの因縁を説
  かれた。そして、それらの滅についても、大沙門はこのよ
  うに説かれた。
  (中村瑞隆『現代語訳 法華経 下』、春秋社、1998年、
   p. 221)

   舎利弗が最初に仏教に出会うのは、『法身偈』という偈
  文によってなのです。舎利弗はあるとき、釈尊の弟子に出
  会うのです。その仏弟子はアッサジというのですが、その
  姿にうたれた舎利弗は、「あなたの先生はどういう教えを
  お説きになるのですか」と尋ねるのです。そうするとアッ
  サジは、
    諸々の存在は原因から生じる。如来はそれらの原因を
    説きたもうた。またそれらの止滅をも説かれた。大沙
    門はこのように説くおかたである。(山口益『仏教聖
    典』一一三頁参照)
  (小川一乗『大乗仏教の根本思想』、法蔵館、1995年、
   p. 124)

 2.羅什訳・方便品の「十如是」(『法身偈』と同じく、舎
  利弗に対して示された)は『大智度論』を参考にして補訳
  されたものであり、これも「縁起」の説明である。

 3.法華経は「空・縁起(因縁)」の思想をちゃんと説いて
  いる(「No.2193」参照)。

> キーワードは「無我」だと思うのですが、これを理解するの
> が非常に難しい。

 “縁起=無自性(無我)=空”ですから、おっしゃる通り、
キーワードは「無我」です。すべては関係性のうえにおいて成
り立っているのであって、独立して(自性をもって、それ自体
として)存在しているようなものはなにもないということです。

> 「こだわりがない」がふたつめのキーワードのように思えま
> す、こう考えてくると、かすかに解るような気がする。

 「閉ざされた頑迷な心を捨てる」ということは重要です。誰
かさんのようになってしまってはもうおしまいです(^_^;)。

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://fallibilism.web.fc2.com/014.html

 ハルさんの、

  能力も知識もないのに、へんに難しい理屈をこねると、ド
  壷にはまってしまうことがわかってきたので、素人的に考
  えてゆくことにします(笑)。

という姿勢は、すでに「仏教徒的態度」と言えるかもしれませ
ん。

  安易に、“魔術的に”、結論を出さず、いつも自分の出し
  た結論を相対化し、さらに実相に迫ってゆく「精神の良心
  的な態度」
  (友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社、
   2001年、p.120)

  智慧とはあくまで多様へと開かれ、単純化という暴力に抗
  する力なのです。
  (同上)

  『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/016.html

 友岡さんの本はとてもいい本だと思います。読まれてみては
いかがでしょうか。1300円(+税)です。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/16(Mon) 08:21 No.2433   HOME

 おはようございます。ヤッホさん。

 まず一つ質問です。ヤッホさんはどういうお立場の方なのでし
ょうか?さしつかえなければ教えて頂けないでしょうか?

>  創価は日蓮本仏論ですので、三色旗さんが話している内容が
> 概ね妥当だと存じます。

 そのようなことを勝手に決めてもらっては困ります(^_^)。

 確かにこれまで創価学会は「日蓮本仏論」で来ました。しかし、
もし「日蓮本仏論」が間違っているのなら改めていかなければな
りません。「伝統をそのまま鵜呑みにする」のは仏教徒ではあり
ません。

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://fallibilism.web.fc2.com/014.html

 実際、松戸行雄さんは「伝統的な日蓮正宗の日蓮久遠本仏論を
脱構築し、日寛教学を止揚すべきだという問題意識」を持って、
『日蓮思想の革新─凡夫本仏論をめぐって』(論創社、1994年)
などを発表されています。「習慣となった伝統を検討」する作業
はすでに創価学会の内部でも開始されているのです。ただ、そう
いう人たちの声が“封じ込められている”という現実も一方にあ
りますので、私はそのことを問題にしているわけです。

  秋谷会長への手紙
  http://fallibilism.web.fc2.com/z007.html

  創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
  http://fallibilism.web.fc2.com/056.html

  サンガは構成員全員の合議にもとづく(宮元啓一)
  http://fallibilism.web.fc2.com/031.html

>  そこで、ひとつ質問なのですが、Libraさんは創価人とのこと。
> で、あなた様には日蓮本仏論なるものについて如何な感想をお持ち
> ですか?

 詳しくは以下の議論を参照して頂ければと思います。現在の私
の立場はここから若干変化していますが、基本的スタンスはご理
解頂けるのではないかと思います。

  Beat Me! 過去ログ
  http://fallibilism.web.fc2.com/log_index.html


名誉片山 さんのコメントへの横レス
   Libra - 2001/04/16(Mon) 09:01
No.2434
  HOME

 横レス失礼します。

> 釈迦仏教を捨てた以上、釈迦仏教の無我・無常説と矛盾する
> ブラフマニズムを肯定した方が得策じゃと思うぞ(藁

 「釈迦仏教を捨て」て「ブラフマニズムを肯定」すれば「仏法の信
の在り方とは違うもの」になってしまい、「その結果は、仏教の堕落
であり、権威化です。」

  斉藤: 小乗仏教においても、しだいに釈尊を神格化し、自分た
   ちは声聞としての悟り(阿羅漢果)を得られればいいとしまし
   た。大乗仏教(法華経以外の権大乗教)においては、釈尊以外
   の阿弥陀仏とか大日如来とか毘盧遮那仏とかの諸仏が説かれま
   す。
    しかし、これらは現実の人間とはかけ離れた存在であり、そ
   の「救済」にあずかろうとする面が強く、師匠と仰ぐ存在では
   ありません。どちらにも「師弟の道」がなくなっています。
  名誉会長: 「人間・釈尊」を忘れた時、仏教は「人間の生き方」
   から離れてしまった。「師弟の道」がなくなった。その結果は、
   仏教の堕落であり、権威化です。
  (池田大作他『法華経の智慧』第四巻、聖教新聞社、1998年、
   pp. 48-49)

  須田: ところで、これらの信とは異質な「信」があります。そ
   れは「バクティ」と呼ばれる信です。これは、神に対する絶対
   的な熱烈な信です。
    語源的には「わかち持つこと」「一部となること」という意
   味合いがあります。
    例えば“万物の根源であり宇宙に遍満しているブラフマン
  (梵)と一体になる”など、自身を超越した神秘的なものとの一
   体化を目指し、自分らしさを殺してまでも献身的な信仰実践に
   突き進むものです。
    神々への絶対的な信仰を示すものとして、インドでは、しば
   しばこの「バクティ」という語が使われますが、仏教ではほと
   んど用いられません。「バクティ」という信は、仏法の信の在
   り方とは違うものです。
   (池田大作他『法華経の智慧』第ニ巻、聖教新聞社、1998年、
    pp. 71-72)

> 君の立場の弱点は、君も認める釈迦の教え(無我説)と矛盾
> する価値観に立ちながら、なお、仏教を語れるのか、と言う
> 点のみじゃろ?

 この弱点は決定的でしょう。

> Libra氏は仏教を釈迦の教えから演繹されるものと捉えておる
> んじゃから、おぬしは仏教の捉え方(定義)を変えればいい
> んじゃよ。
> 学会風にの。

 定義を自分勝手に変えてもらっては困ります(^_^;)。

  仏典には、しばしばサンスクリット語に Buddhas'a ̄sana、パー
  リ語に Buddhasa ̄sana の語があり、このシャーサナ(サーサナ)
  は「教え」を意味するから、この語はほぼ「仏教」と漢訳された。
  (三枝充悳「仏教・仏教学・仏教評論」『理想』第633号、
   1986年2・3月合併号、p. 69)

  仏教は、万人の知るとおり、ゴータマ・ブッダ=釈尊の教えにも
  とづく。釈尊の誕生や成道がなければ、仏教は存在しないとはい
  え、それが教えとして説かれなければ、仏教の成立はあり得なか
  った。仏教は、本来はブッダ・シャーサナなのであり、教理・思
  想を本質とする。
  (同上、p. 72)


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/16(Mon) 16:38 No.2440   HOME

 こんにちは、ヤッホさん。

>  私の立場は差し支えがあるので教えられません。

 やはりそうですか。そうだと思った。いいですね、安全な立場
からお好きなことが言えて(^_^;)。

>  あなたは伝統的日蓮本仏論を肯定する立場なのか否か。

 あなたはこの掲示板での私の議論を読まれましたか?読まれた
ならば、私が「伝統的日蓮本仏論」を肯定する立場でないことぐ
らいはすぐに分かることだと思いますが。

> 少なくとも牧口氏は肯定していたと思いますが、如何?
 
 どうやらここでの議論を読まれていないようですね。牧口先生
が肯定されていたことのすべてを私が肯定しなければいけないと
いうことは全然ありません。

  信仰的模倣時代から理性の時代へ(牧口常三郎)
  http://fallibilism.web.fc2.com/024.html

  仏教の師弟関係(中村元)
  http://fallibilism.web.fc2.com/044.html

 前回引用した

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://fallibilism.web.fc2.com/014.html

も読まれなかったのかな…。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/16(Mon) 18:57 No.2444   HOME

 こんにちは。ヤッホさん。

> あなたの掲示板および議論はすべて目を通しております。別に
> 安全な立場とは思ってませんよ。何ならあなたにお会いしても構い
> ません。

 まず前回の「挑発的な発言」をお詫び致します。
 ヤッホさんとメールでお話するということは可能でしょうか?私の
メールアドレスは「_Libra@excite.co.jp」です。

>  さて、日蓮本仏論は日蓮正宗から破門されて後でも創価学会の
> 根本教義でしょう。

 現段階ではそうです。松戸さんの主張などはほとんど無視されてい
ます。しかし私はそう現状を少しずつでも変えていきたいのです。

>  バラモン化したものは仏教ではないという主張はある程度
> 妥当だとは思いますが、日蓮本仏論まで否定するなら
> それは既に創価学会に居る必要はないと存じますが如何ですか?

 もし「伝統的日蓮本仏論」が間違っているのであれば、それは訂正
されなければなりません。そういう運動は内部に居てこそ可能なので
はないかと考えています。

 ヤッホさんは“牧口初代会長は「伝統的日蓮本仏論」肯定していた”
と言われましたが、その場合の「伝統的日蓮本仏論」とはどのような
ものなのか具体的に提示して頂ければ幸いです。
 牧口先生は「日蓮聖人は上行菩薩の再誕」と言われています。

   其後七十二歳から八十歳迄八年間に亘つて、始めて天地宇宙の
  大法たる法華経を説かれましたが、此法華経を「随自意の経」と
  申しまして、真実の仏の御心を説かれ猶後世の為めにも意を用ひ
  られて法華経の真髄を抽出した処の「妙法蓮華経」の五字を御弟
  子中最も因縁の深い上行菩薩に伝授し、後世の人々を救ふ様に指
  導せられたのであります。
  (斎藤正二他編『牧口常三郎全集』第十巻、第三文明社、1987年、
   p. 190)

   正法像法の時代に於ては経〔ママ:教〕、行、証の三つがあつ
  た〔ママ:句点脱落〕末法の世に至つては経〔ママ:教〕のみあ
  つて行、証共になくなつて結局法華経の価値は失墜してしまつた
  のであります。
   故に末法の世に於ける人人を法華経に依つて救済する為めに大
  導師として建長五年四月二十八日房州清澄山に於て「南無妙法蓮
  華経」と唱へて立宗開教〔ママ:立教開宗〕せられたのが日蓮聖
  人であります。
   前にも申上げた通り日蓮聖人は上行菩薩の再誕として末法に入
  りてより百七十一年の貞応元年二月十六日に日本国に出現された
  のでありますが、上行菩薩即日蓮聖人と云ふ事になります。
  (同上、p. 196) 


ハルさんへ Libra - 2001/04/16(Mon) 18:57 No.2445   HOME

 こんばんは。ハルさん。

> 「法華経」というのは文学なのではないですか。

 そうですね。

> 「縁起説」というのも、わからないでもないんです。ものごとにはきち
> んと原因や理由がある、これはつまるところ努めて不条理なものの考え
> 方をするな、ということだと思う。現実的にものごとを考えろ、という
> ことなのだろうと思う。

 このあたりはもう少し考えてみて下さい。「すべてのものには自性がな
い」とはどういうことか。すべては関係性の上にあるということです。様
々な条件によってある現象はある現象として生起している(ように見える
)。条件が無くなればその現象は無くなる。しかしその「条件」もまた無
自性なのです。自性をもつ存在がいろいろあって、それらが互いに影響し
あっているということではなく、自性をもつ現象などは実はどこにもない
ということです。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/16(Mon) 21:37 No.2449   HOME

 こんばんは。ヤッホさん。

> あなたの引いた本のつぎの段落あたりに牧口氏の本尊観があります
> ね。「南無妙法蓮華経日蓮と書いてこれが中心にとなり云々」あた
> りは日蓮本仏論の一端でしょう。

 そうとは決め付けられないんじゃないでしょうか。「日蓮聖人は上
行菩薩の再誕」という前提で読むことは可能かと思います。

> もちろんそこにもある「自受用報
> 身如来」などの語句も日蓮本仏論でしかナカナカお目にかかれない
> と存じます。

 「自受用報身如来」というのは私もオカシイのではないかと思いま
す。あえて言うならば、『法華経』=釈尊=「他受用報身如来」とい
う方がいいのではないかと。

>  さて、中に留まっての改革とのこと。これはおかしい。
>
>  なぜなら、創価とは本音はともかく建前では「日蓮=末法の
> 御本仏」というお話で成り立っている宗団です。
> あなたが何で創価人なのか知りませんが、授戒されましたでしょ?
> 日蓮を末法の御本仏と崇めて帰依しますと同意されたのではありま
> せんか?私からすれば、ご都合主義だなと。

 私は学会3世でして、授戒は記憶にございません(^_^;)。

 それと、「末法の御本仏」という表現は別にかまわないと思ってい
ます。この場合、「御本仏」の意味が問題になりますが、私は「三徳
者」、「大導師」、「『法華経』になった人間」というような意味で
受けとめています。もちろん、「日蓮聖人は上行菩薩の再誕」という
前提での話です。「本仏」を「最初の仏」というようにとらえるなら
ば、そこに「末法の」という修飾語がつける時点でオカシイのではな
いかと。

>  極端な話ですが、自由民主党の党員が資本主義を排して
> 共産革命をしていこうと主張しているような印象を受けます。

 なるほど。「共産党の党員が共産主義を排して…」という比喩にな
らないところが悲しいですね。

>  ついでに、同巻には、牧口氏がつくった旧創価。その規約が
> ありますね。「日蓮正宗に伝わる無上最大の生活法たる三大秘法に
> 基づき・・・もって国家および国民の幸福を進める目的とする」と。

 三大秘法に基づくことは否定しません。

 p.s. 2、3日ネットを離れますのでレスが遅れます。


ヤッホさんのレスへのコメント
   Libra - 2001/04/18(Wed) 14:33
No.2464
  HOME

>  レスはもう結構です。

 とのことですが、勝手ながらヤッホさんのレスに対して少し
コメントをしておきます。

> 仏教をあなた流に実践したければ創価人は辞めるべき
> でしょう。

 これはよく言われます(^_^;)。日蓮宗の御僧侶にもかなりし
つこく言われました。でも僕にはその理屈がさっぱり分かりま
せん。創価学会が間違っているならばその間違いは正されなけ
ればならないと思うし、「間違いを正す」というのは内部にい
ても出来るし、むしろ内部にいないと出来ないのかもしれない
とさえ思います。

> 創価にいて創価の根本教義の日蓮本仏論真っ向から反する
> 行為をすることじたい、すでに創価人の資格はないと考えま
> す。

 まず第一に「根本教義は神聖にして侵すべからず」という発
想そのものが非仏教的だと思います。

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://fallibilism.web.fc2.com/014.html

  ブッダと「汎批判的合理主義」(小河原誠)
  http://fallibilism.web.fc2.com/048.html

 そして第二に、あなたがどういう立場の方か分かりませんが、
もしあなたが創価人でないのならば、あなたに上のように発言
する資格はないと考えます。

  サンガは構成員全員の合議にもとづく(宮元啓一)
  http://fallibilism.web.fc2.com/031.html

> あなたが仏教者で居る自覚があのに創価人で居ることは、人
> 間社会によくある馴れ合いだなというのがわたしの印象です。

 そのあなたの印象が正しいかどうかはいずれハッキリするでし
ょう。


かいさんへ Libra - 2001/04/18(Wed) 14:34 No.2465   HOME

 こんにちは。かいさん。

 ご質問ありがとうございました。

> 釈尊の教えや仏典、その他仏教関係には日蓮の出現まで
> 「南妙法蓮華経」と言う言葉は一切見あたらないそうですね?

 実はこれは真っ赤な大ウソです(^_^)。

 例えば、天台の「法華三昧懺儀」に「南無妙法蓮華経」とあります
(浅井円道「法華唱題の源流と展開」『大崎学報』第142号の7頁参照)。

 御書にも以下のような記述があります。

  南無と申す字は敬う心なり随う心なり、故に阿難尊者は一切経の
  如是の二字の上に南無等云云、南岳大師云く南無妙法蓮華経云云、
  天台大師云く稽首南無妙法蓮華経云云
  (「内房女房御返事」、全集、p. 1421)

> 私も教学試験の時に勉強しましたが「文底秘沈」と言うそうですが
> 何の根拠もない言葉をどっかから引っ張り出してきた様な
> いわば「出所不明」なものを、どうしてそこまで信仰出来るのでしょうか?

 文証はあります(^_^)。

  問うて云く題目計りを唱うる証文これありや、答えて云く妙法華
  経の第八に云く「法華の名を受持せん者福量る可からず」正法華
  経に云く「若し此の経を聞いて名号を宣持せば徳量る可からず」
  添品法華経に云く「法華の名を受持せん者福量る可からず」等云
  云、此等の文は題目計りを唱うる福計るべからずとみへぬ、一部
  八巻二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量
  品等を受持し乃至護持するは略なり、担一四句偈乃至題目計りを
  唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の
  内なり。
  (「法華経題目抄」、全集、p. 942)
  
 それと、内容から言って、『法華経』は経巻崇拝をとても強調する
経典ですから、「南無妙法蓮華経」と唱えるのはごく自然なのです。
 
  この『正しい教えの白蓮』という経説は、偉大な志を持つ求法者
  の乗物に乗り「さとり」を志した者たちにとっては、如来である。
  (岩波版『法華経(下)』、p. 201)


かいさんへ Libra - 2001/04/18(Wed) 19:08 No.2471   HOME

 こんばんは。かいさん。

> ではいったい「文底秘沈」とは、いったい何の事でしょうか?

 「三大秘法」です。

> 確か教学試験では「南妙法蓮華経」と教わった覚えがあります。

 なぜかここでは「無」をとばして書くことが多いみたいですが
なぜでしょうか?

 それはともかく、題目も三大秘法のうちの一つですから、上の
記述は間違いではありません。宗祖は寿量品の肝心を「南無妙法
蓮華経」と読まれたわけです。寿量品には文の上に明らかに「南
無妙法蓮華経」ということが示されているわけではありませんか
ら「文底」と言います。
 寿量品は仏身常住(永遠の釈尊)を説きますが、宗祖は「(釈
尊滅後の)釈尊=法華経」と理解されています。だから寿量品の
肝心も「南無妙法蓮華経」となります。この読みはたとえ「文底」
であってもテキストから遊離した勝手な解釈ではありません。
 そもそも『法華経』は文学作品的な経典なのでこのように「文
底」(作者の伝えたいこと)を読みとる作業がどうしても必要に
なります。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/18(Wed) 19:09 No.2472   HOME

 こんばんは。ヤッホさん。

> あなたは日蓮本仏論をどう思っているのでしょう?

 すでに言いましたよ(^_^;)。

> あなたの立てている仏法僧をココに述べてみてくだ
> さい。

 仏宝:釈尊→法華経の作者→…→日蓮 (法脈)
 法宝:法華経を中心とする一切経
 僧宝:創価学会

> あなたの三宝と日蓮正宗の伝統教学の立てている三
> 宝とは違いませんか?

 違うかも(^_^;)。

 さて、私に「述べてみてください」と言ったからに
はあなたも「述べてみてください。」

> それは根本問題になりませんか?

 早々に学会内で解決されるべき「根本問題」である
と考えております。

 僕のような学会員が増えることをヤッホさんが歓迎
されない“本当の理由”を教えて頂きたく思います。


ヤッホさんへ Libra - 2001/04/18(Wed) 21:26 No.2474   HOME

 こんばんは。ヤッホさん。

> すいませんが、笑うしかありません。

 そうですか(^_^)。

>  何ですか?この破線部分。日蓮本仏との折衷案?

 さては私のHPの掲示板の議論をお読みなったというのは大ウソで
すね(^_^;)。
 “「法脈」=「久遠仏」”というのは私の持論です。あなたは笑
うしかないでしょうけど。

>  あと、僧宝が創価になる根拠をあなたの好きな経文から
> ひもといてみてください。

 あなたは「サンガ」の意味ご存知ですか?もう少し力のある方だ
と思ってましたが…。

>  さて、<早々に学会内で解決されるべき「根本問題」である
> と考えております。> どうしたらそんなこと可能なんですか?
> モノゴトは理屈では解決できないこと分かりませんかね。

 モノゴトは暴力ではなく話し合いで解決すべきでしょう(^_^;)。

>  そして、あなたのような創価人が増えるのは嬉しくも哀しく
> もありません。ただ、能書きは立派だが、狂乱創価人より偽善
> 者に見えてしまうだけです。

 そうですか。あなたの目が正しいか、それともどうかしてるの
か。それはいずれハッキリします。それまではどうぞ笑ってご覧
になっていて下さい。

>  きつい言い方かもしれませんが、本当の理由ということなの
> で、はっきり述べさせてもらいました。これが私のあなたに対
> する感想です。

 べつにきついとは思いませんが、本当の理由を聞けたのはあり
がたいです。


これははじめて♪ Libra - 2001/04/19(Thu) 05:39 No.2482   HOME

 いろんな悪口を言われてきましたが、

> 正直、これ以上バカにしたくないので、もう結構です。

というのはさすがにはじめてですね(* ̄m ̄) ププッ

> 能書きは立派でしたが、この程度の人物だったと認識
> させてもらっておきます。

 あなたの程度も少し分かって有意義でした。ありがとう
ございました。



かいさん&名誉片山さん&かつやさんへ
   Libra - 2001/04/12(Thu) 19:49
No.2375
  HOME

==============================
 こんばんは、かいさん。よろしくお願い致します。

> もちろん論理的な話しも重要ですが、大半の一般的学会員が
> ここまでの仏法論理を理解しているはずもなくむしろごく一部の
> 人達を除いては「先生がおっしゃるから」「幹部が言うんだから」
> などと言う盲信に近いものがあると思うんです。

 「現創価学会は権威主義に堕しているのではないか?」という指
摘は学者によってもなされています。

  創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
  http://fallibilism.web.fc2.com/056.html

 仏教を理解していない“から”、盲信(非仏教)になっているの
だと私は思います。

> そう言う体質を、学会側はワザと作っていないでしょうか?
> 「選挙は功徳が大きく現れる」とか「新聞啓蒙で大勝利」なんて
> もはや宗教ではないと思いませんか?

 「ワザと作ってい」るとすれば大問題です。

==============================
 こんばんは、名誉片山さん。

 私は名誉片山さんがどういう立場の方なのが存じ上げませんが、

> 寒苦鳥氏とかつや君は、毎日ここを見ています。

という発言は根拠があってのものなのでしょうか?

> 特にかつや君はLibra氏に説教したことがあるので、冷や汗流してます。

 もし本当にかつやさんがここをご覧になっておられるのであれば、
きちんと発言して下さい(“沈黙は「敗北」”)。さもないと、学
会が言っている「言論戦」「対話」の質そのものが問われることに
なります。

   本来、「対話」とは「格闘技」なのである。武器は「言葉」。
  リングは万人普遍の「理性」。
   権威をもちこむのは「反則」。なれあいは「八百長」。沈黙
  は「敗北」。論証もなく「私は、こう思うんだ」では、観客か
  ら笑われるだけだ。
  (『聖教新聞』(2000年11月12日、8面)の「羅針盤」より)

==============================


かいさんへ Libra - 2001/04/13(Fri) 21:53 No.2392   HOME

 こんばんは。かいさん。

> はたして今の学会は会員に「仏教」を教えているでしょうか?
> 聖教新聞、座談会や衛星放送で会員に教えているのは、池田氏への
> 賞賛と日顕氏、竹入氏等、学会に反発する人への憎悪の様にしか
> 思えません。

 残念ながら、「仏教でないものを仏教と思いこませようとしている」
と言わざるを得ません。

 しかし、例外もあります。

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://fallibilism.web.fc2.com/014.html

  意志と業(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://fallibilism.web.fc2.com/015.html

  エゴイズムの昇華(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/013.html

  『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/016.html



ブルガリアさん&三色旗さん&ハルさんへ
   Libra - 2001/04/05(Thu) 10:14
No.2294
  HOME

===============================

ブルガリアさんへ

 「折伏」は「理性的批判」であるということをまずご理解頂ければ
幸いです。

  真の知性人とは(伊藤瑞叡)
  http://fallibilism.web.fc2.com/005.html

  宗門の学は、法華経に対する信心の欠落の状態にある(伊藤瑞叡)
  http://fallibilism.web.fc2.com/010.html

  折伏は慈悲が根本
  http://fallibilism.web.fc2.com/z004.html

> 大雑把に言えば、Libraさんは『「法」が(主に)大事だ。』で、
> 三色旗さんは『「実践」の方が大事だ。』と。

  仏教における実践(行)の根本は「法布施」だと思います。

  「法華経」ではなく、ゴータマ・ブッダについての言及が多くな
  ったが、ここまで述べるならば、それだけで「法華経」がゴータ
  マ・ブッダの根本思想をただしく伝えるものだということが明ら
  かになるだろう。「法華経」は全編を通して、「法を悟る者」と
  なることによってではなく、「法を語る者」となることを主張す
  る。そうすることによって、「法華経」は、呪縛と閉塞から人々
  を解放した。ここに、「法華経の宗教性」がある。
  (友岡雅弥「『法華経』の宗教性」『東洋学術研究』第34巻第2号、
   1995年11月、p. 108)

 もちろん実践(行)がとても大事だと言うことは言うまでもありま
せん。

  行学たへなば仏法はあるべからず
  (「諸法実相抄」、全集、p. 1361)

===============================

三色旗さんへ

> 「汎批判的合理主義」と信の関係を御書から説明してください。
>
> 涅槃経に云く「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし
> 是の人は是れ魔の眷属なり」(御書152頁)

 仏説と「汎批判的合理主義」の関係については以下を参照して
下さい。

  ブッダと「汎批判的合理主義」(小河原誠)
  http://fallibilism.web.fc2.com/048.html

> 弘決九に云く「法華已前は猶是れ外道の弟子なり」(御書153頁)

 私は阿含経まで外道だとは考えません。

  中国における教判の形成の必然性(菅野博史)
  http://fallibilism.web.fc2.com/021.html

  四阿含経までも「小乗仏教」と呼ぶのは誤り(三枝充悳)
  http://fallibilism.web.fc2.com/029.html

 ただし、阿含経にも外道や部派の考えが混入していることは認
めます。

> Libraさんの理論によると戸田先生以降そして大多数の学会メンバーを
> 切り捨てることになります

  汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも主命
  に随はんと云う事佞臣の至り不忠の極りなり
  (「聖愚問答抄」、全集、p. 493)

  汝忠を存ぜば諌むべし孝を思はば言うべきなり
  (同上)

  依法不依人(牧口常三郎)
  http://fallibilism.web.fc2.com/025.html

===============================

ハルさんへ

> 幼い後輩たちに「御本尊を大切にしなさい」と言わねばならなくな
> る日がくると思います。

 私は今でも「御本尊は大切」だと言っていますよ(^_^)。

> 結果的には日蓮は天才だった。『南無妙法蓮華経』というキャッチ
> コピーは700年経った今でも生きつづけている。

 そういう一面は確かにあります(^_^;)。

  爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だに
  も顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通の
  はたじるしとして顕し奉るなり
  (「日女御前御返事」、全集、p. 1243)

===============================


三色旗さんへ Libra - 2001/04/05(Thu) 18:16 No.2300   HOME

 三色旗さん、こんばんは。

> 〔御書491頁、御書1386頁〕はどう思われるでしょうか 

  いかにいわうや仏教をならはん者父母師匠国恩をわす
  るべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひ
  きはめ智者とならで叶うべきか、譬へば衆盲をみちび
  かんには生盲の身にては橋河をわたしがたし方風を弁
  えざらん大舟は諸商を導きて宝山にいたるべしや、仏
  法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべから
  ずいとまあらんとをもはば父母師匠国主等に随いては
  叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらん
  ほどは父母師匠等の心に随うべからず
  (「報恩抄」、全集、p. 293)

  内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の
  者なり」等云云、比干が王に随わずして賢人のなをと
  り悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりし
  これなり。
  (同上)

  内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者な
  りと仏定め給いぬ、悉達太子は閻浮第一の孝子なり父
  の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか、比干
  が親父紂王を諌暁して胸をほられてこそ賢人の名をば
  流せしか
  (「下山御消息」、全集、p. 364)

  汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも
  主命に随はんと云う事佞臣の至り不忠の極りなり
  (「聖愚問答抄」、p. 493)

  汝忠を存ぜば諌むべし孝を思はば言うべきなり
  (同上)

  仏の正法を弘めん者経教の義を悪く説かんを聞き見な
  がら我もせめず我が身及ばずば国主に申し上げても是
  を対治せずば仏法の中の敵なり、若し経文の如くに人
  をもはばからず我もせめ国主にも申さん人は仏弟子に
  して真の僧なりと説かれて候、されば仏法中怨の責を
  免れんとてかやうに諸人に悪まるれども命を釈尊と法
  華経に奉り慈悲を一切衆生に与へて謗法を責むるを心
  えぬ人は口をすくめ眼を瞋らす、汝実に後世を恐れば
  身を軽しめ法を重んぜよ
  (同上、全集、p. 496)

  本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべか
  らずいづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆ
  べし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮と
  せん、又法門によりては設い王のせめなりともはばか
  るべからず何に況や其の已下の人をや、父母師兄等の
  教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずあり
  のままに申すべしと誓状を立てしゆへに
  (「破良観等御書」、全集、p. 1293)

> 現在の創価学会は終戦前の焼け野原に戸田先生一人から開
> かれたものと思います。(一人立つ)

  仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず只経文を先き
  とすべし
  (「聖愚問答抄」、全集、p. 481)

  我等が慈父教主釈尊雙林最後の御遺言涅槃経の第六に
  は依法不依人とて普賢文殊等の等覚已還の大薩・法門
  を説き給ふとも経文を手に把らずば用ゐざれとなり
  (同上、pp. 481-482)


三色旗さんへ Libra - 2001/04/06(Fri) 05:28 No.2315   HOME

 あなたの引用は意味が分かりません。説明して頂けないで
しょうか?


追い出すためのイヤガラセ? Libra - 2001/04/06(Fri) 14:42 No.2321   HOME

 こんにちは、三色旗さん。

> 御書を読まれることを懇願します。

 少なくとも、あなたよりは読んでいると思います(^_^)。

 私が感想を言わせて頂けば、あなたは御書をほとんど読まれ
ていないでしょう。何も考えずに適当に検索かけてコピー&ペ
ーストしているようにしか見えません(^_^;)。

> >あなたの引用は意味が分かりません。説明して頂けないで
> >しょうか?
>
> 私の信条と学んだ精神です。

 そんなことは聞いていません(^_^;)。
 引用によってどういう主張をされたいのかをお聞きしていま
す。具体的にお答え下さい。

> 宇宙生命体なるものへの信仰はありません。

 では「宇宙生命」とは一体何なのですか?

  宇宙全体が、一つの大生命体です。自分もその宇宙生命と
  一体だとわかった。
  (池田大作他『法華経の智慧』第5巻、聖教新聞社、1999年、
   p. 25)

> 宇宙生命論は宇宙も人も同じ法(宇宙の法則)のもとに
> あることを言っている

 では「宇宙の法則」とは何かを説明して下さい。
 仏教は「諸法無我」と説きます。
 「言葉で説明できない無内容な法を実体視して盲目的に信ぜよ」
というような“神秘主義”は仏教ではありません。
 「宇宙の法則」とは一体どういう法則なのでしょうか?これは
大事な質問なのではぐらかずにお答え下さい。

 あと、いろんなスレッドに何の根拠も示さずに私のことを悪く
書くのはもう止めて頂けませんでしょうか?この掲示板に来るの
がイヤになります。追い出すためのイヤガラセでしょうか?


全然答えになっていません>三色旗さんへ
   Libra - 2001/04/06(Fri) 21:32
No.2326
  HOME

 こんばんは、三色旗さん。

> >では「宇宙の法則」とは何かを説明して下さい。
>
> 妙法です。
>
> 妙法(妙法蓮華経)を現代語で表現すれば宇宙や生命の法則と思
> います。

 これではただ「循環」しているだけです。全く説明になっていま
せん。

> >「言葉で説明できない無内容な法を実体視して盲目的に信ぜよ」
> >というような“神秘主義”は仏教ではありません。
>  
> それは同意します。
>
 ならば、「循環論法」で説明した“つもり”になるのではなくて、
きちんと説明して下さい。

 妙法(サッダルマ、正法)とは何ですか?

> >引用によってどういう主張をされたいのかをお聞きしていま
> >す。具体的にお答え下さい。
>
> 諸先生の指導から拝読している御書をひいてあなたの誤りを
> 破折しようとしています。

 私にどういう誤りがあると主張されるのでしょうか?きちんと
具体的に述べて下さい。


宇宙生命論が外道であることの論証(追加)
   Libra - 2001/04/06(Fri) 22:11
No.2327
  HOME

1.小説『人間革命』第四巻によれば、戸田先生の“悟達”
  (=宇宙生命論)は、『法華経』によるものではなく、
  『無量義経』の「十二行の三十四の否定」によるもの
  である。

2.『無量義経』は中国で作られた偽経である。

  『無量義経』は中国で作られた偽経(菅野博史)
  http://fallibilism.web.fc2.com/050.html

3.『無量義経』の「十二行の三十四の否定」は内容的に
  は「外道の我論」そのものである。
 
  ヤージュニャヴァルキャの「我説」(袴谷憲昭)
  http://fallibilism.web.fc2.com/049.html

4.よって、戸田先生の“悟達”は仏教の“悟達”などで
  はなく、外道の“悟達”である。


ハルさん&三色旗さん&名誉片山さんへ
   Libra - 2001/04/08(Sun) 02:22
No.2336
  HOME

===========================
ハルさんへ

 ご質問ありがとうございます。

> >『無量義経』の「十二行の三十四の否定」
>
> とはどういう意味なのでしょう。

 説明不足をお詫びします。以下をアップしましたの参照し
てみて下さい。

  戸田城聖の悟達と『無量義経』の「三十四の否定」(池田大作)
  http://fallibilism.web.fc2.com/054.html

 前に提示した「外道の我論」と比較検討してみて下さい。

  ヤージュニャヴァルキャの「我説」(袴谷憲昭)
  http://fallibilism.web.fc2.com/049.html

> 『無量義経説法品第二』に
> 「性欲無量なるが故に説法無量なり、説法無量なるが故に
> 義も亦無量なり。無量義とは一法より生ず。その一法とは
> すなわち無相也。かくの如き無相は、相なく、相ならず、
> 相ならずして相なきを名づけて実相とす。」
> とあるので、素人考えでは「宇宙生命論」の根拠はここか?
> とも思うのですが。

 「不生不滅の法性」の実在視・実体視(非仏教への転落)
の典型例の一つと考えます。

  「不生不滅の法性」─「空」についての大きな誤解(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/052.html

===========================
三色旗さんへ

 あなたの「コンニャク問答」にはもう付き合ってられませ
ん。

 あなたのこれまでの議論の態度によっても、あなたが仏教
徒ではないことが十分過ぎるくらいに証明されたと私は考え
ます。

  真実ならざることは真実ならざることとして否定しなけ
  ればならない(袴谷憲昭)
  http://fallibilism.web.fc2.com/011.html

===========================
名誉片山さんへ

 遅れ馳せながらフッサール現象学の運動性(動的性格)に
ついての資料をアップしましたので参照して頂ければ幸いで
す。

  フッサール現象学の運動性(谷徹)
  http://fallibilism.web.fc2.com/053.html

===========================


ハルさんへ Libra - 2001/04/08(Sun) 15:30 No.2350   HOME

 こんにちは、ハルさん。

> それにしてもLibraさんは、さすがというか、やはり
> 学会員というべきか、批判をするときの言葉がキビし
> いですね(^^;)。「非仏教への転落」とか、戸田
> 氏に対しても「外道の悟達」とか言いきってしまうし。

 私にとってはこれほどの誉め言葉はありません(^_^)。

 間違っているものに対しては、ありのままに(たとえ
それが「父母師兄等の教訓」等であっても)ハッキリと
「間違っている」と言いきっていく。それが仏教だと私
は考えています。

  本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべ
  からずいづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを
  用ゆべし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文
  を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりと
  もはばかるべからず何に況や其の已下の人をや、父
  母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信
  はしらずありのままに申すべしと誓状を立てしゆへ
  に
  (「破良観等御書」、全集、p. 1293)

  真実ならざることは真実ならざることとして否定し
  なければならない(袴谷憲昭)
  http://fallibilism.web.fc2.com/011.html

  真の知性人とは(伊藤瑞叡)
  http://fallibilism.web.fc2.com/005.html


反創価連盟さんへ Libra - 2001/04/08(Sun) 15:30 No.2351   HOME

 こんにちは、反創価連盟さん。

> 「輪廻説は仏教ではない」を拝見させて頂きましたが、輪廻
> 説もやはり密教から来た物でしょうか?

 「輪廻説」は仏教以前から根強い「インドの伝統的な通念」
なのです。だから、「輪廻説もやはり密教から来た」というの
ではなくて、「伝統的通念に逆らって“無我説”を説いたのが
仏教(釈尊)であったが、釈尊滅後にはやがてそれも“伝統的
な通念”に浸食されていき、ついには仏教でなくなってしまっ
た。それが“密教”である」ということです。この流れについ
ては、小川一乗先生の『大乗仏教の根本思想』(法蔵館、1995
年)などを読まれるといいかと思います。この本はとても分か
りやすくて良い本だと思います。


まず“護教意識”を捨てて下さい>三色旗さんへ
   Libra - 2001/04/08(Sun) 15:32
No.2352
  HOME

 こんにちは、三色旗さん。

> 問題を整理して直裁に質問します。

 今度からはちゃんとそうして下さい。お願いします。

> (1)
> 仏を生命とみなすのは誤りか。

 まず「生命」の意味をきちんとご説明下さい。もしも
「宇宙生命体」(根源的実在、基体)の意味ならば“誤
り”だと考えます。

> (2)
> 文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり唯
> 所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く故に此の経を
> 諸仏の智慧とは云うなり、一心法界の旨とは十界三千の
> 依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも
> 残らず一念の心に収めて此の一念の心・法界にへん満す
> るを指して万法とは云うなり
> (一生成仏抄 御書383頁)
>
> の「十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも
> 除かず・ちりも残らず」を宇宙とみなすのは誤りか。

 「一生成仏抄」(の当該箇所)が真作である保証はどこ
にもありません。そのような「法界」は「法華経の仏」で
はありません。密教の法身(毘盧遮那)です。

  禅宗は理性の仏を尊んで己れ仏に均しと思ひ増上慢に
  堕つ定めて是れ阿鼻の罪人なり
  (「蓮盛抄」、全集、p. 152)

  毘盧とは何者ぞや若し周遍法界の法身ならば山川大地
  も皆是れ毘盧の身土なり是れ理性の毘盧なり
  (同上)

  全宇宙が仏陀の姿─華厳思想(渡辺照宏)
  http://fallibilism.web.fc2.com/036.html

  「一切」とか「世界」とかいう発想は明確に反仏教
  的なものだ(松本史朗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/032.html

 「原子爆弾」も宇宙の一部ですが、これも「仏」なので
すか?

> >前に提示した「外道の我論」と比較検討してみて下さい。
>
> 似通っているのは認めます。

 単に「似通っている」のではなくて、“そのまんま”だ
と私は思います。もし「差異がある」と主張されたいので
あれば、具体的にその“差異”をご説明下さい。「違うか
ら違うのだ」では話になりません。牧口先生は次のように
言われています。

  万一如何にしても、納得する事が出来ないといふなら
  ば、学者的良心からしても、納得する能はざる理由を
  意識しなければならない。異議を挾む余地のあつてこ
  そ、初めて不承知の理由となるのである 。
  http://fallibilism.web.fc2.com/024.html

> 宇宙生命という呼び方が真実在を示すという誤解を招く
> という主張であればわかります。

 創価学会で説かれている「宇宙生命」は、まちがいなく
「実体」であり、「根源」であり、「基盤」であり、「厳
然と存在する実在」です。もしもあなたがそれを「誤解」
だと言われるのであれば、そのあなたの読みこそが、テキ
ストから遊離した「誤解」であり、戸田先生、名誉会長の
主張を“自分勝手にねじまげている”ことに他なりません。

  名誉会長: 「其の身」とは仏の身のことです。経文
   を読めば、そのことは分かる。しかし、その実体は
   分からない。
    それは「非ず」という否定形を重ねてしか表現で
   きない何かである。どんな「定義」をしても、そこ
   から、はみ出してしまう面をもつ何かである。しか
   も、どんなに否定形を重ねても、それでもなお厳然
   と存在する実在である。
  (『法華経の智慧』第一巻、聖教新聞社、1996年、
    p. 33)

  名誉会長: 「仏とは何か」を追求し抜いて、仏とは
   ほかならぬ自分のことであり、宇宙の大生命であり、
   それらは一体であるとわかった。
    “足下を掘れ、そこに泉あり”という言葉は有名
   だが、自身の根源を掘り下げていく時、そこに万人
   に共通する生命の基盤が現れてきた。それが永遠の
   宇宙生命です。
  (『法華経の智慧』第三巻、聖教新聞社、1997年、
    p. 328)

 頑迷な“護教意識”に基づいて、場当たり的にテキスト
を誤読するのでなく、「真実ならざることは真実ならざる
こととして否定」して下さい。それができないようでは仏
教徒とは言えません。

  本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべか
  らずいづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆ
  べし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮と
  せん、又法門によりては設い王のせめなりともはばか
  るべからず何に況や其の已下の人をや、父母師兄等の
  教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずあり
  のままに申すべしと誓状を立てしゆへに
  (「破良観等御書」、全集、p. 1293)

  理にまけてありとも其の心ひるがへらずば天寿をもめ
  しとれかし
  (「妙一女御返事」、全集、p. 1259)

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  http://fallibilism.web.fc2.com/014.html

  「無知」をはっきり知ることは難しい(袴谷憲昭)
  http://fallibilism.web.fc2.com/003.html

> では、逆にLibraさんに質問ですが、法、仏の教え、真
> 理は不変なのでしょうかそれとも常に変化するのでし
> ょうか。

 「真理は普遍的だ」というのはいいのです。「真理の普
遍性」と「教法の不滅性」については「No.2296」とその
前後の議論を参照して下さい。

>  無量義経をヒントとしたので誤りである。
>
> では納得できないし、あなたの言うあなたの「コンニ
> ャク問答」になりかねません。無量義経以外を反証と
> して用いてくださる様お願いします。

 『無量義経』が「外道の我論」を説く文献である以上、
万一それがインド成立の文献であったとしても、そのよ
うなものをヒントにして、『法華経』に“説かれてもい
ない”もの(宇宙生命)を強引に読みこんでもらっては
困ります。以下は「No.2314」での私の発言です。

  > > <法華経の久遠釈尊は「有始無終」>
  >
  >  創価大学の菅野博史先生は、
  >
  >   釈尊が菩薩の修行をして成仏したと説かれているよ
  >   うに、『法華経』成立の歴史的段階では、後に形成
  >   された法身仏のように理法そのものを仏と見立てた
  >   仏の観念(この法身仏は無始無終、すなわち、過去
  >   も未来も永遠とされる)はまだ成立しておらず、そ
  >   のような意味では、仏は必ず菩薩の修行をして、あ
  >   る特定の時間点において成仏した存在と考えるべき
  >   であるから、釈尊の寿命も無限ではなく、単に長大
  >   な時を表現しただけなのかもしれない。
  >   (菅野博史『法華経 永遠の菩薩道』、大蔵出版、
  >    1993年、p. 224)
  >
  > と言われています。
  >  宗祖は本尊抄で、
  >
  >   我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟
  >   子なり
  >   (「観心本尊抄」、全集、p. 253)
  >
  > と言われていまので、法華経の久遠釈尊(教主釈尊)は
  > 「菩薩の修行をして、ある特定の時間点において成仏し
  > た存在」という立場です。成仏した時点が途方もない過
  > 去の時点であることから、時に「無始」と表現されるこ
  > ともありますが、厳密には「有始」だということです


善き友・三色旗さんへ Libra - 2001/04/09(Mon) 15:49 No.2359   HOME

 こんにちは、三色旗さん。

> 今さらこんなことを書くとLibraさん、反S連盟さんその他方々
> にアホと言われてっしまいそうですが、最終判断は別として、
> 最近Libraさんの論や提示資料が先入観なく読めるようになり
> ました...

 上の発言をお聞きした今、私はあなたを「善き友」と呼びたい。

  「われを善き友として」(増谷文雄)
  http://fallibilism.web.fc2.com/012.html

 「先入観なく読」んだ結果としての「善き友からの批判」を心
待ちにしております。

 南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経

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