依法不依人(牧口常三郎)


 涅槃経の法四依なる。「法不人。依義不語。依智不識。依了義経不了義」又「而昌。人而尊」との教は二十世紀文明国の等しく帰依して居る立憲政体の本義にも合致して居るもので、又た科学の期待する所とも合致するではないか。
 どこの国でも専制政治の時代にあつては法に依るよりは人に依つて治められたものである。君主乃至貴族代官等が勝手放題に表した感情や意志が直ちに無眼の権力を持つて行はれ、事の是非曲直、正邪善悪は問ふ所にあらず、一度発せられた意志命令は、仮令それが間違つて居ることが解つたにしても、それを引込ますことは官の威信に関はるという理由の下に、無理横暴を通すといふのが専制政治常套((じやうたう))手段で、これでなければ人民は治るものでないといふのが其の信条である。何ぞ知らん。眼前一部分の威信はこれによつて保つことは出来ても、永久全体の信用は全く失墜して仕舞ふことを、毫も心付かぬのは可憐無智といつて仕方がないとしても、時勢の進歩に従ひ、気が付いて居ながらこの見易い道理を公然言ふ者がないといふのは甚だ意気地のない仕業ではないか。尤も気付いては居ても、うつかり云はうものなら、忽ち忌憚に触れて一身の生活を破壊される懼れがある事情から、結局は「長いものには巻かれろ」との気休めの諺にあきらめねばならなかつたのではあるまいか。然るに一般人民の知識の次第に開けたによつて、人よりも法が重く見做される様になり、憲法が制定された以上は君主と雖どもこれを尊重し、故なくこれに違背することなしと契はれたのが即ち今日の憲法政治の本旨で、又法則の認識、人生規範の定立を以て任とする科学の本旨と一致する所である。

(斎藤正二他編『牧口常三郎全集』第五巻、第三文明社、1982年、pp. 361-362)

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