原始仏教における生命観(高橋審也)


今回の日本仏教学会における発表論題は「仏教の生命観」ということであった。しかし、いわゆる原始仏教聖典、阿含ニカーヤといわれる文献において、生命というものについていかなる見方がなされているかということを論ずることについては、種々の問題点が伴なう。なぜならば、原始仏教においては「生命」というものを何か一つの実体的な思想原理として提出してはいないからである。というよりも、「生命」なるものを何か特別な原理として立てないというところにむしろ原始仏教の「生命観」の「生命観」たるゆえんがあるといってもよいであろう(1)

(高橋審也「原始仏教における生命観」『日本仏教学会年報』第55号、1990年5月、p. 19)


 原始仏教における「生命」の問題を扱う前提として我々が通常、何気なく使用している「生命」とか「いのち」とかいう語にいかなる意義を有しているかについて考察してみたい。
 まず、広辞苑(岩波書店刊)によると「生命」について「一、生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として感覚・運動・生長・増殖のような生活現象から抽象される一般概念。いのち。」と説明されてあり、他の辞書においても、ほとんど変わるところはない。
 また「いのち」について岩波古語辞典によると『イは息(いき)チは勢力。したがって「息の勢い」が原義。古代人は生きる根源の力を眼に見えない勢いのはたらきと見たらしい。だから、イノチも、きめられた運命・寿命・生涯・一生と解すべきものが少くない。→ち(霊)』としてさらに「一生命力。ニ寿命・三一生。生涯。四運命。五死期」と説明されている。他の古語辞典においても大筋において同様である。
 以上の説明によれば、日本においても、生命・いのちというものが、ある生命現象の根源にあって、その生命現象をささえている、あるいは生命現象を現出せしめる潜勢的な根本的な原理・働らきを意味しているものであることが理解出来よう。いわば抽象的な形而上学や実体的な原理としても受けとめられていることが理解出来よう。
 インドにおいて考えられる「生命・いのち」も日本におけるそれとほぼ対応しているといってもよいと思われる。サンスクリット語における「生命・いのち」に対応する語は「ji(_)va, pra(_)na, a(_)yus」とその派生語にほぼ妥当すると見てよい。
 その中、ji(_)va についてアプテの辞書では、

@ The principle of life, soul. A The individual or personal soul enshrined in the human body and imparting to it life, motion and sensation B Life, existence C A creature, living being D Livelihood, profession
等とある。
 また、pra(_)na については、
@ Breath, respiration A The breath of life, vitality, life, porinciple of life  F The Supreme Spirit
と説明されている。
 a(_)yus については、
@ Life, duration of life A Vital power
と説明される。
 さて、以上の説明によって見ても種々の生命現象の奥底に生命現象を生命現象として成り立たしめている根本的な原理が想定され、その原理が個人的存在の根拠でもあり、また個人の精神あるいは霊魂、さらには宇宙的な精霊、根本原理にまで高められていることが理解できる。
 このような説明によってすぐ連想されるのはアートマン(a(_)tman)である。アートマンには直接、「生命・いのち」の意味は見出されないけれども、それに近似した意味を荷わされていることはいうまでもない。
 a(_)tman について辞書において、
@ The soul, the individual soul, the breath, the principle of life and sensation A Self B Supreme deity and soul, The universe, Supreme Soul, Brahman
と説明されるごとくである。
 以上の如く、インドにおける「生命・いのち」等に対応する諸語も本来は気息のような素朴な意味であったが、そこからその気息等によって証明されるところの「生命」「寿命」を意味するようになり、またそこからその生命現象の奥底にあり、生命現象を生命現象たらしめている根本原理を意味するようになった。即ち「生き物を生き物たらしめている根本原理」である。それが「個体の精神原理」「個我」「霊魂」をも意味し、ついには「宇宙の根本原理、最高神」等の意味を有するようにもなった(2)
 これは西欧における思想原理である Psykhe(_), Anima, Geist (3) 等にもまさしく対応するものといえよう。それらは恒常不変な形而上学的な実体であり、個々の個体の生命原理であるとともに、輪廻的生存の主体であるとも考えられる。ウパニシャッドにおける a(_)tman (4)、アージーヴィカ教、ジャイナ教における ji(_)va(霊魂、生命)(5)などもこのような生命原理であったと見做してもよいと思われる。

(同上、pp. 20‐22)


 さて、以上のようなインド一般における生命観を眺がめて見て、原始仏教におけるそれと比較して見るとき、そこに大きな特色を見出すことが出来る。即ち原始仏教においてはいかなる意味においても、生命というものを実体的原理としては想定していないということが理解出来よう。諸行は無常なり(sabbe samkha(_)ra(_) anicca(_))、一切は苦なり、(sabbe samkha(_)ra(_) dukkha(_))諸法は無我なり(sabbe dhamma(_) anicca(_))ということは原始仏教における基本的な世界観であり、それはまた無明を因とし老死に至る十二縁起説と相まって、例えば霊魂のような常住的な実体の存在はこれを認めないのである。
 それ故、十二縁起において生起すると想定された個体存在たる五蘊(pañcakkhandha(_))もまたいかなる実体的な原理では有り得ず、また、その底に生命原理というようなものもその存在は認められないのである。ただ絶えず、変転して移り変わり行く五蘊の相続のみがそこに存在するのである。そのような場において個体存在、自己存在が仮構されている限り、その個体存在、自己存在というものも絶えず変化して常ならざるものであるということにおいて苦でなければならないゆえんが存在する。また、インド思想一般に見られるように、生命現象の根底にいかなる生命原理を想定しない仏教においては、その生命現象自体も絶えず変動にさらされ、崩壊の危機にさらされている。実はこの点に原始仏教において生命倫理の成立する根拠があるのではないかと思われる。

(同上、p. 23)


この世における一切の存在が無常であり無我であることは原始仏教における一貫した基本的立場であった。そこにはいかなる固定的な恒常的な存在は認められない。その流動的な無常なる在り方に自己というものが仮構されている。それが諸行(sabbe samkha(_)ra(_))であり五蘊であった。それがまた、凡夫的自己の在り様であった。凡夫的自己が絶えざる危機にさらされているゆえんである。しかし、同時にその流動的な非固定的な自己であるからこそそこに倫理主体の成立する基盤が成立する。また、他の人々の立場に立って他の人々をいつくしむことが可能なのである。他の人々を排除することなく、自己と平等の立場に立たしめることが出来る。いわば自他平等の立場が成立するのである。
 固定的でない自己、固定的でない生命それが原始仏教の立脚点であるといえよう。

(同上、p. 29)


(1) 後のアビダルマ仏教においては命根(ji(_)vitendriya)を五位七十五法の心不相応行の一つとして立てる。生命原理といってよいと思われる。しかし、阿含ニカーヤの中には、このように生命を一つの哲学的原理として想定する立場は存在しない。もちろん、自己や生命を世俗的な立場で述べることは通常見られるけれども、それらを一つの哲学的な見解として述べる場合はあくまでも、無我の立場である。
 Abhidharmakos()abha(_)s.ya Pradhan 本 p.37 etc 阿毘達磨倶舎論 大正第二十九巻 十三頁上

(2) 『仏教インド思想辞典』監修早島鏡正、一九八七年 春秋社の「生命」の項参照。

(3) これらの語については『哲学事典』平凡社刊の該当箇所を参照。

(4) 服部正明著『古代インドの神秘思想』講談社現代新書 昭和五十四年九十九ページ以下

(5) アージーヴィカ教、ジャイナ教については、A. L. Basham, History and Doctorines of the A(_)ji(_)vikas. A vanished Indian Religion, London 1951. 宇井伯寿「六師外道について」『印度哲学研究』巻ニ三 六九ページ以下雲井昭善『仏教興起時代の思想研究』平楽寺書店 昭和四十三年 中村元『原始仏教の成立』春秋社 昭和四十四年

(同上、pp. 29-30)


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