フッサール現象学の運動性(谷徹)


 『論理学研究』を「突破口(Hua XVV, 8)として、E・フッサールの現象学は誕生した。そして、一〇〇年が経過した…。
 事実確認を意図した書き出しだが、それにしても、「誕生」という言葉を使うと、ただちに、この一〇〇年間を現象学の「成熟」の過程としてまとめてみたいという誘惑が頭をもたげてくる。巻頭の本稿にそれを期待する読者もおられるかもしれない。「成熟」というのはもちろん比喩にすぎないが、それでもこの言葉は、現象学が一〇〇年を経て少なくともある程度まで「完成」したということを暗示してしまう。だが、成熟や完成はある種の「静止」であろう。かつてH・スピーゲルバーグは「現象学運動(1)という言葉を導入したが、そのとき彼は、「運動」という言葉によって、現象学がなによりも静的(静止的)哲学ではなく「力動的契機をもつ動的な…哲学(PM, 1)であることを示そうとしていた。とすると、現象学は、静止としての成熟や完成とは無縁だということになる。しかし、こう述べると、識者から反論が出されそうである。フッサールはスピーゲルバーグの著作のひとつ(2)を「哲学」に数え入れなかったほどなのだから(Bw II, 253)、そのスピーゲルバーグの「動的な…哲学」という現象学理解に信憑性はない、と。
 では、フッサール自身はどうだったのだろう。晩年(一九三五年)の彼がR・インガルデンに書き送った書簡から、こんなことが伺われる。彼は現象学の「方法」に関してはたしかに完成を目指していた。しかしながら、その方法は「将来の哲学」に「発見の無限性(Bw V, 301)をもたらすべきものだった。「発見」されるべきは、もちろん現象学の具体的内実である。方法だけで内実のない哲学は空虚に終わるのだから、内実は現象学にとって決定的に重要な成分である。しかも、その発見されるべき内実は、単に豊かだというのを越えて、無限である。こうフッサールは考えていた。この「無限性」という言葉は、現象学の特徴を理解するうえで重く受け取られてよいだろう。
 思えば、フッサールは『論理学研究』第一巻「プロレゴーメナ」(序論)という副題を与えていたし、主著とされる『イデーン』にすら、その原意が示すとおり「諸構想」以上の意味を与えなかった。生前、自身の手で刊行した著作ではフッサールは現象学の方法しか示さなかった、と言ってしまうと極端にすぎるが、しかし、これにはかなりの真実が含まれている。では、現象学の内実はどこにあるのか。フッサール現象学は、高弟E・フィンクが適切に述べたように「作業哲学」である。フッサールは、みずからが見出した現象学の内実を、彼の悪戦苦闘のド(ッ)キュメントとも言うべき研究草稿のなかに書き残した。こうした研究草稿を、フッサールは、「ひょっとすると全般的な基本著作」だというほどに重視していた(一九三ニ年)。しかも、彼は、それをすでに生前から(自身の死を見越して)「有益な遺稿(Bw V, 287)と呼んでいた。当時の哲学的孤独とナチスの圧力のなかで、彼は、「将来の世代」がこの遺稿から自分をふたたび見出してくれることを望んでいた。もちろん自分の名声のためではない。「将来の哲学」のためである。もしフッサールが現象学に継続運動としての性格を認めていなかったとすれば、晩年の彼の遺稿や書簡のなかに「将来の哲学」や「(将来の)世代」という言葉が頻出するという事実をどう説明すればよいだろう。いや、そもそも、彼は、彼自身の「作業」さえもこの継続運動の一部だと考えていたのではなかろうか。
 では、フッサール以後の「世代」はどうだったのだろう。ハイデガーは、現象学を「可能性(SZ, 38)として捉えるべきだと述べたが、これも上記のフッサールの「無限性」と基本的に同じ考え方に基づくものだろう。ハイデガーがその後フッサールから離反したとしても、この現象学理解そのものは変わらなかったし、その理解にもとづいた現象学を放棄したわけでもない。後年の「顕現せざるものの現象学(HGA 15, 399)といった言葉の登場がそのことを間接的に証明している。
 さらにその後の「世代」の現象学者たちをとっても、この点の理解には共通性がある。たとえば、メルロ=ポンティは「引用文献を数え立てる」ような現象学のあり方を拒絶しているが、これも成熟・完成した現象学の拒絶である。むしろ、メルロ=ポンティは、『論理学研究』以後半世紀弱が過ぎた当時でも現象学は「端緒(commencement)の状態」にあると考えていた。だが、だからこそ、方法が重要になる。なぜなら、現象学は、(「文献」化されうるような)成熟・完成とは縁遠く、むしろ「ただ現象学的方法によってのみ近づきうる(3)からである。この場合、「方法」は一種の実践(実際にやってみること)といった意味をもつ。現象学は、ともかくも現象学的方法を実際に遂行するときに、その遂行のさなかで徐々に理解されてくる。そしてそれと同時に、以前にわれわれがぼんやりと見ていた「事象」も、この遂行のなかで、より明確に見えてくるのである。後の世代の現象学運動に推進力を与えていたのは、こうした意味での現象学の未完成な「動的」性格と、こうした現象学的方法がもたらす無限な「発見」だった。実際、現象学は、半世紀いや一世紀を経ても、成熟・完成しなかった。しかしながら、そうだからこそ、それは未来へ継続されるだろう。

(谷徹「フッサール現象学 可能性の現在」『思想』No.916、2000年10月、pp. 6-8)


本稿では以下の略号を用いて引用の典拠を示し、その後にページ数を示す。

Hua: Edmund Husserl: Husserliana, Den Haag: Martinus Nijhoff, Kluwer Academic Publishers.

Bw: Edmund Husserl: Husserliana Dokumente: Briefwechsel, Dordrecht/Boston/London: Kluwer Academic Publishers 1994.

PM: Herbert Spiegelberg: Phenomenological Movement, The Hague/Boston/London: Martinus Nijhoff 3rd edition 1982.

HGA: Martin Heidegger: Gesamtausgabe, Frankfurt am Main: Vittorio Klostermann.

SZ: Martin Heidegger: Sein und Zeit, Tübingen: Max Niemeyer 1977.


(同上、p. 38)


(1) 今年になって『現象学運動』(世界書院)が翻訳・刊行された。初版から四〇年、第三版からでも一八年が経過しているが、今なお重要な文献である。

(2) Herbert Spiegelberg: Gesetz und Sittengesetz. Strukturanalytische und historische Vorstudien zu einer gesetzesfreien Ethik, Zürich und Leipzig 1935.

(3) Maurice Merleau-Ponty: Phénoménologie de la perception, Paris: Gallimard 1945, p. U.

(同上、p. 38)


トップページ >  資料集 >  [041-060] >  053. フッサール現象学の動的性格(谷徹)

NOTHING TO YOU
http://fallibilism.web.fc2.com/
inserted by FC2 system