頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より) |
あるとき、異教徒が集まって、怪談や王族のうわさ話などの雑談に耽(ふけ)っていた。
釈尊の弟子、アーナンダが通りかかると、異教徒たちはおしゃべりをやめた。
ひとりがアーナンダに近づくと、まじめな顔をして「あなたの師(釈尊)の教えを聴(き)きたい」と請うた。
アーナンダは言った。
「師は、真理を得ることができない四種の似非(えせ)宗教者がいる、と常々語っています。
一番目は、『私はすべてを知っている』とうぬぼれ、犬にかまれても、『私はかねてから、こういう目に遭(あ)わねばならない運命であると予言していた。その予言どおりになった。すごいものだろう』と負け惜しみを言う人。
第二は、その宗教の伝統をそのまま鵜呑(うの)みにする人。長年、習慣となった伝統を検討せずに、そのまま信じ込むのです。
第三は、理論や理屈を玩(もてあそ)ぶ人。もちろん、その理論が正しい場合もあれば、そうでない場合もあります。それを謙虚に検討せずに、そのまま信じ込むのです。
四番目は、何か質問されたとき『そうであるとも言えるし、そうでないとも言える』などと、曖昧(あいまい)な態度ではぐらかす人です。
これに対し、真の宗教者は、振る舞いを律し、虚言を捨て、真実を語り、信頼され、人を中傷せず、愛情に満ちた、人の心に響く言葉を語る人、そのような人こそが、真の宗教者なのです」