ポパーの真理論などについて(小河原先生からのご回答)


件名:ポパーの真理論などについての質問
受信日時:2003.8.28 15:19

 小河原先生

 藤重です。ご無沙汰しています。先生にとってはご迷惑でしょうが、ちょっと質問があります。

 まず一つ目は、先生の『ポパー─批判的合理主義』の最後の部分に引用されていた、 『よりよき世界を求めて』の十二の原則のうちの第十二番目の原則の中の「特定」および「非個人的」という表現についてです。というのは、あるBBSで、ポパーの思想や小河原先生の『ポパー─批判的合理主義』の宣伝活動(?)を展開していたところ、その過程で、これらの表現について以下のようなやりとりがあったのです(どちらも回答者はわたしです)。


> これです。「特定」ってのはどういう風に特定されているのか?何によって特定されて
> いるのか?というのが、いま一つぴんと来ないでいます。

 この部分はそんなに難しいことがいわれているのでは全然なくて、《批判者は、自分が対象理論に誤りがあると思う理由を、相手側に十分に伝わるように、相手の理論のどこが どのように誤っていると思うのかを具体的に特定して述べなければならない》ということです。もしそのような批判でないとすれば、批判された側が自らの誤りに気がつくことができたり、批判された側が批判者の見解の誤りに気がついて異論を唱えたりすることができないので、なんら誤りの除去(真理への接近)に寄与しないということです。

http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1060608778&START=71&END=71&NOFIRST=TRUE



> 「非個人的」って「個人の意見に拠らない」って意味なのかな?

 わたしは原語で読んだわけではありませんが、おそらく、ここで「個人的」と訳されている部分は「個人を対象とするものである」というような意味なのでしょう。つまり、「非個人的」というのは、批判の主体について形容していわれているわけではないとおもいます。こんど小河原先生に聞いてみます。

同上


 「特定」についてはその解釈の妥当性について、「非個人的」については実際の原語表現との関連についてコメントを頂ければありがたいです(わたし自身は読めませんが、さいわい、語学が堪能な友人がいますので原文を教えて頂ければなんとかなるかもしれません)。ちなみに、わたしは、『よりよき世界を求めて』(邦訳)をまだ所有していません。

   2つめは、ポパーの対応説についてです。おなじBBSで、わたしはこれを以下のように説明しました。わたしとしては、先生の「実証ではなく、反証を──非正当化主義の概要──」(ポパー哲学研究会編『批判的合理主義──第1巻:基本的諸問題』、未來社)でのご説明をわたしなりに噛み砕いて説明してみたつもりですが、もし問題があればご指摘いただきたいです。


 では、【《正当化などできなくても真である》ということはありえる】ということを、わたしなりに噛み砕いて説明してみましょう。

    >>26 に書きましたように、わたしは、いちおう対応説を受け容れています。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    わたしは、いちおう対応説を受け容れています(…)。つまり、「言明と事実とが一
    致(対応)するときは当該言明は真であり、一致しないときは偽である」とわたしは
    考えています(…)。

    (本スレッド、>>26
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ちなみに、ポパーは、タルスキーの真理理論[注1]を採用して対応説の立場を取ります[注2]

  [注1] 佐藤正美「メタ言語」
      http://www.sdi-net.co.jp/sdi_040.html

  [注2] 神野慧一郎「ポパーにおける三つの実在論(仮題)」
      http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v7n2kamino.html

 要するに、《ある言明が現実の世界における事実と対応するときにその言明は真である》 とするのが対応説なのです。これを別の角度から説明してみましょう。たとえば、今、ある言明Aがあるとしましょう。で、わたしたちが住んでいるこの現実の世界(説明の便宜上、以下、これを「実在」と呼んでおきます)が[注3]、無数にありえる可能世界のうち、たまたま、言明Aに対応するものであったときには、言明Aは真となります。逆に、実在が言明Aに対応するものでないときには言明Aは偽となります。

  [注3] ここで用いられる「実在」という表現にアートマン的な意味はない。

 このように考えますと、実在というものが、無数にありえる可能世界のうちのある特定のただ一つのものである限りは、言明の真偽は客観的にきまるといえます。しかしながら、わたしたちは、ある言明Aが与えられたときに、その言明が真であるということを有限回の手続きで確かめることはできないのです[注4]。それを、わたしは、「言明は正当化などできない」といってきたわけです。

  [注4] ほらふき男爵のトリレンマ──論証は正当化をなしえない(小河原誠)
      http://fallibilism.web.fc2.com/109.html

      デイヴィッド・ミラー「論証は何をなしとげるのだろうか」
      http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v10n1miller.html

      肯定的証拠をいくら積み重ねても理論の正しさは証明されない(小河原誠)
      http://fallibilism.web.fc2.com/057.html

 ところが、前述したとおり、言明の真偽というものは、実在が可能世界のうちのどの世界であるかのかということによって客観的にきまるものなのですから、言明は【《正当化などできなくても真である》ということはありえる】のです。

http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1061134587&START=61&END=61&NOFIRST=TRUE


 あいかわらず先生はお忙しいのだと思いますが、以上2点、どうかよろしくお願いします。

 藤重栄一拝



件名:RE: ポパーの真理論などについての質問
受信日時:2003.9.13 17:35

ご返事が大変遅くなってしまい申し訳ありません。

簡単にお答えしておきます。
1.「特定」とは、どういうことかということに対する藤重さんのお答えは正しいと思います。
原文に当たってみましたが、
Rational criticism must always be specific:...(p.202) とか
Rationale Kritik muss immer spezifisch sein:...(S.229)
ということで、specific(動詞specify)という系統の語が使われています。辞書には、「明細に記す[述べる]」といった意味が書いてあります。藤重さんのお答えどおりということになると思います。

Specifyされていない批判の例としては、拙著『討論的理性批判の冒険』113ページで挙げておいた『ピュロニズム概論』からの例が面白いかもしれません。

それから、これはついでですが、私が「特定の」と訳しておいたのは、弁証法の伝統の中では、「規定された」と訳されることが多いと思います。たとえば、bestimmte Negation(規定された否定)という言葉がヘーゲル以来の弁証法で使われます。たとえば、アドルノも使っていたと思います。これは、まさにポパーが言うような、規定された特定の言明に対する批判ということです。私は、この点では、弁証法はまともであったと考えています。 ポパーは、bestimmt(動詞は、bestimmen、特定する、規定する、過去分詞から形容詞が派生して「特定された」、「規定された」)という言葉を知っていたと思いますが、弁証法的な文脈におかれている言葉遣いを嫌ったのかもしれません。
私としては、このような質問が出てくるのであれば、「特定の」と訳すよりも「特定された」と訳しておくべきだったかもしれません。「規定された」という言葉は、ただ難しくするだけのような気がして、(いまは、はっきり思い出せませんが)避けたのではないかと思います。

2.「非個人的」
上掲の箇所で、英語では、impersonal,ドイツ語では、unpersoenlichとなっています。
要するに、世界3に属するものとしての言明を批判するのであって、人格といった世界2に属することを批判するのではないといったことでしょう。

3.真理の意味と、真理の判定基準は別物ですから、そして真理の一般的な判定基準は存在しないのですから、藤重さんのような説明になると思います。この点でも私に異論はありません。
真理の判定基準の例としては、通常、命題論理学レベルでの決定手続きのような例が挙げられ、そして、そのような手続きが一般に述語論理学では存在しないことが指摘されると思います。論理学的レベルでは、それでよいのだと思いますが、対応説(私は、この説を支持しています)の場合では、実在との対応が問題になります。このレベルでは、論証抜きで真理の判定基準が存在しないことは明白です。有限の手続きである理論の真偽を判定することができるのなら、何の苦労もいらなくなります。

小河原 誠

2003.09.15
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