件名:RE: ポパーの真理論などについての質問
受信日時:2003.9.13 17:35
ご返事が大変遅くなってしまい申し訳ありません。
簡単にお答えしておきます。
1.「特定」とは、どういうことかということに対する藤重さんのお答えは正しいと思います。
原文に当たってみましたが、
Rational criticism must always be specific:...(p.202)
とか
Rationale Kritik muss immer spezifisch sein:...(S.229)
ということで、specific(動詞specify)という系統の語が使われています。辞書には、「明細に記す[述べる]」といった意味が書いてあります。藤重さんのお答えどおりということになると思います。
Specifyされていない批判の例としては、拙著『討論的理性批判の冒険』113ページで挙げておいた『ピュロニズム概論』からの例が面白いかもしれません。
それから、これはついでですが、私が「特定の」と訳しておいたのは、弁証法の伝統の中では、「規定された」と訳されることが多いと思います。たとえば、bestimmte Negation(規定された否定)という言葉がヘーゲル以来の弁証法で使われます。たとえば、アドルノも使っていたと思います。これは、まさにポパーが言うような、規定された特定の言明に対する批判ということです。私は、この点では、弁証法はまともであったと考えています。
ポパーは、bestimmt(動詞は、bestimmen、特定する、規定する、過去分詞から形容詞が派生して「特定された」、「規定された」)という言葉を知っていたと思いますが、弁証法的な文脈におかれている言葉遣いを嫌ったのかもしれません。
私としては、このような質問が出てくるのであれば、「特定の」と訳すよりも「特定された」と訳しておくべきだったかもしれません。「規定された」という言葉は、ただ難しくするだけのような気がして、(いまは、はっきり思い出せませんが)避けたのではないかと思います。
2.「非個人的」
上掲の箇所で、英語では、impersonal,ドイツ語では、unpersoenlichとなっています。
要するに、世界3に属するものとしての言明を批判するのであって、人格といった世界2に属することを批判するのではないといったことでしょう。
3.真理の意味と、真理の判定基準は別物ですから、そして真理の一般的な判定基準は存在しないのですから、藤重さんのような説明になると思います。この点でも私に異論はありません。
真理の判定基準の例としては、通常、命題論理学レベルでの決定手続きのような例が挙げられ、そして、そのような手続きが一般に述語論理学では存在しないことが指摘されると思います。論理学的レベルでは、それでよいのだと思いますが、対応説(私は、この説を支持しています)の場合では、実在との対応が問題になります。このレベルでは、論証抜きで真理の判定基準が存在しないことは明白です。有限の手続きである理論の真偽を判定することができるのなら、何の苦労もいらなくなります。
小河原 誠