批判とは言明間の論理的関係の指摘である(小河原誠)


たとえば、ある理論について、「すでに反駁されている」とか「経験に合わない」とか「不整合である」とたんに主張しただけでは、一般的な論難をしたにすぎず、的確な批判にはなっていない〔中略〕。そのように主張するならば、当該の理論と、論理的に言って、敵対関係に立つ具体的な規定された言明を提示しなければならない。批判とは、あくまでも言明間の論理的関係の指摘であるから、批判の対象となっている言明とある一定の関係に立つ規定された言明を指摘するのでなければ、中傷したとはいえても、具体的な批判をおこなったとは言えないであろう。この論点をさらに明らかにするために、まず、セクストゥス・エンピリコスの『ピュロニズム概論』から次の一節を引いて、若干の論評を加えてみよう。

誰かがわれわれにたいして、われわれには反駁できない理論を提出するとしたら、われわれは彼にこう応える。「あなたの属する学派の創始者が生まれる前には、その主張する理論は実際に存在していたのだとしても、まだ健全な理論としてあらわになっていたわけではなかったのとちょうど同じように、あなたが今提出するのとは正反対の理論が、われわれにはまだあらわになっていないとしても、すでに実際に存在するのかもしれないのだから、われわれは今のところ妥当と思われるこの理論にまだ同意すべきではないのです」☆28
 このような議論なるものは、外見的には批判とか論駁のように見えるかもしれない。しかし、現実には如何なる規定された批判子も提出していないのであるから、「同意」についての「一般的な規準」を述べていると見ることはできるにしても、とうてい「批判」と見なすことはできないであろう。

(小河原誠『討論的理性批判の冒険─ポパー哲学の新展開』、未來社、1993年、pp. 113-114)

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〔03.09.15 引用者付記〕
 脚註(☆印)については、すべて引用を省略いたしました。ぜひとも、小河原先生の御著書を直接参照されて下さい。
 


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