如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)


 如来蔵思想とは、一般の読者には余り耳慣れない言葉かもしれないが、かつてはむしろ仏性思想と呼ばれていたものである。この如来蔵思想とは、大乗経典の一つ『如来蔵経』の「一切衆生は、如来蔵(tatha(_)gatagarbha 如来の容れもの)である」という説(15)と、同じく『涅槃経』の「一切衆生は、仏性(buddhadha(_)tu)をもつ」という説にもとづく思想と言うことができる。『涅槃経』の有名な「一切衆生は、仏性をもつ」という経文は、“一切の生きものは、仏に成ることができる”という意味に解されたり、果ては、仏教の平等思想の宣言だとまで解釈されることがあるが、簡単にそのように考えることのできない問題を有している。というのも、『涅槃経』に多く現れる「一切衆生は、仏性をもつ」という経文の後には、必ず「一闡堤(いつせんだい)(icchantika)を除く」という語が付加されていて、“「一闡堤」と呼ばれるある種の人々は、永久に仏に成ることができない”という差別的な立場が明記されているからである(16)
 筆者は、一般的通念とは逆に、如来蔵思想を差別思想であると考えているが、その背後にはインド土着思想であるヒンドゥー教というものがあると見ている。すなわち、仏教の開祖である釈尊は「縁起」を説いた、つまり、“仏教”とは縁起説である、というのが筆者の理解であるが、この縁起説とは、ヒンドゥー教の「アートマン」(a(_)tman 我)〔霊魂〕の思想を根底から否定したものなのである。従って、“仏教”としての縁起説からは、「無我・無常」の説が導出され、これが仏教の旗印ともなる。しかるに、これに対して、「我・常」ということを積極的に主張するのが、如来蔵思想であり、『涅槃経』には「仏陀とは、我(アートマン)を意味する。しかるに、その我は永遠不変の実在である」と明記されているのである(17)。従って、如来蔵思想の「我の思想」、「有の思想」が仏教の縁起説・無我説と全く逆の立場であることは明らかであり、この意味で筆者は、“如来蔵思想は仏教(縁起説)ではない”と論じるのである。
 瑜伽行派の唯識説というものも、この如来蔵思想というものと全く無縁なのではない。というのも、実は、唯識思想を説いた瑜伽行派の人々は、同時にまた、如来蔵思想をも説いていたからである。すると、唯識思想と如来蔵思想との差異はどこにあり、共通性はどこにあるかということが、当然問題になる。これについて、筆者は、如来蔵思想と唯識思想に共通する根本論理として、“dha(_)tu-va(_)da”(基体説)というものを想定した(18)。“dha(_)tu-va(_)da”とは、現象的なあれこれの存在は、「無常」であり、「無我」であるが、それらを生み出す原因となる基体(dha(_)tu 場)それ自体は、「常」であり、「我」であり、実在であると説くものである。
 しかも筆者は、この“dha(_)tu-va(_)da”というものを如来蔵思想の根本論理と把えるだけでなく、仏教以前からあるヒンドゥー教の根本論理であり(19)、これを否定したのが“仏教”の縁起説であると考えるのである。このように見れば、如来蔵思想と唯識思想という“dha(_)tu-va(_)da”あるいは、「有の思想」が、ナーガールジュナの説く「の思想」に対するアンチテーゼとして四・五世紀のヒンドゥー教復古主義的なグプタ Gupta 王朝期のインド社会に歓迎されたことの理由が、理解できるであろう。つまり、“dha(_)tu-va(_)da”とは、ヒンドゥー教の「アートマン」(我)の思想の根本論理なのであり、この論理にもとづく如来蔵思想とは言うなれば“仏教内のヒンドゥー教”に他ならないのである。
 インドにおける仏教思想の歴史的発展とは、極論すれば、仏教がヒンドゥー教に吸収される過程、あるいは、仏教がヒンドゥー教化する過程に他ならない。原始仏教・部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教・密教という変遷をたどってみると、ここに基本的には、“仏教からヒンドゥー教へ”という変化、すなわち、ヒンドゥー教の「有」と「我」の思想の否定として成立した仏教が、次第にその「有」と「我」の思想に接近し、同化され、ついには吸収されてしまう過程が認められる(20)
 原始仏教の「法無論」にもとづく縁起説が、部派仏教のアビダルマ哲学において「法有論」として解釈され、それが大乗仏教の『般若経』の「法無論」「法空論」によって否定されて、再び原始仏教の正しい立場が回復されたというのは、基本的には正しい理解といえるが、しかしこのことから、“大乗仏教はすべて「空の思想」を説く”という帰結を導こうとするなら、これ以上の誤解もないであろう。
 大乗仏教というものが、ヒンドゥー教の強い影響のもとに成立したと見るのは、今日では学界の定説とも言ってよいものである。大量の大乗経典を創作したのは、仏教的教養をもつもの、つまり、出家者であったかもしれないが、経典の読者対象としては、在家信者が強く意識されている。しかるに、注意すべきことは、インドにおける在家信者とは基本的にはヒンドゥー教徒であるということである。彼等は、仏教の出家者のみに布施するわけではなく、ジャイナ教でも、他の宗派でも、区別することなく、出家者には布施して、死後の生天を求め、日常生活においてはヒンドゥー教の生活規範に従って暮らすヒンドゥー教徒であった。従って、このような在家信者を読者、または聴衆として強く意識した大乗経典に、ヒンドゥー教からの影響が見られるということは、当然である。これを端的に示すものとして、大乗経典における呪文、呪術の受容ということがある。
 “釈尊は呪術を禁じた”という伝承は多くの律蔵に認められ、呪術否定が原始仏教の基本的な立場だと思われる(21)が、「空の思想」を説くとされる大乗経典『般若心経』の末尾には、「羯諦羯諦(ぎやていぎやてい)」(gate gate)云々という呪文があり、これを『般若心経』自体では「」(mantra)と呼んでいる。ここで「」と訳された「マントラ」という語は、一般には「真言」と漢訳されることが多いが、本来はヒンドゥー教最古の宗教文献であるヴェーダ(Veda)聖典本集の聖句を意味していたのである。つまり、『般若心経』は、「五蘊皆空」とか「色即是空」とかの経文においては、「一切法は空である」という「空の思想」を説いているが、最も重要なその末尾の部分において、ヒンドゥー教の「マントラ」という呪術的世界に全面的に没入しているのである。
 また、『般若経』が「空の思想」を説き、それが大乗仏教の思想的基盤となったといわれるが、しかし『般若経』の空が純粋に否定的なものでありえたのは、ほんの一瞬のようなわずかな期間にすぎない。すぐに『般若経』自身が「真如」とか「法性」とか「無分別」という肯定的なものを説きだすのである(22)。しかるに、私見によれば、これら三つの言葉は、単一の実在する基体、つまり、“dha(_)tu”を意味するものにほかならない。しかも、大乗仏教がさらに進展すると、ヒンドゥー教のアートマン論を積極的に公言するかのような主張が現れてくる。それが先に述べた如来蔵思想である。
 かくして、大乗仏教の思想というものが、基本的には、「空から有へ」と変化する非仏教化、ヒンドゥー教化の道をたどったことが、示されたであろう。そして、最後に行き着いた先が、全く“ヒンドゥー教そのもの”と言っても過言ではない密教だったのである。
 釈尊の教えである縁起説を純粋に知的なものと考える筆者より見れば、“釈尊が呪術を否定した”という伝承は、仏教の知性主義的性格を語るものとして、本質的な意義をもっている。しかるに大乗仏教は、上述したように、呪文・呪術を認め、“雑密”と呼ばれる種々の陀羅尼経典を制作した。また、ヒンドゥー教の様々の神々をも大乗経典の中に自由に登場させるようになった。それ故、いかなる大乗経典といえども、ヒンドゥー教の呪術的世界から切り離されてはいない。例を『法華経』にとるならば、羅什によって漢訳された『妙法蓮華経』の第二六品は、多くの呪文を含む「陀羅尼品」であり、第二五品は、観音菩薩に対する信仰を説く「観世音菩薩普門品」である。観音の名を念ずるならば、諸の現実的な苦から即時に解脱すると説く観音信仰が、呪術的なものであることは明らかであろう。
 かくして、仏教の呪術化、ヒンドゥー教化が進められ、その最後に行き着いた先が、七世紀における『大日経』『金剛頂経』の編纂によって端的に示される純粋な密教、所謂“純密”の成立だったのである。

(松本史朗『チベット仏教哲学』、大蔵出版、1997年、pp. 407-410)

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(15) 『如来蔵経』の思想については、『禅批判』 〔引用者註:松本『禅思想の批判的研究』(大蔵出版、1994年)第四章参照。

(16) 『縁起と空』〔引用者註:松本『縁起と空─如来蔵思想批判』(大蔵出版、1989年)四頁参照。

(17) 拙稿「『涅槃経』とアートマン」『〈我〉の思想』(前田専学博士還暦記念論集)春秋社、一九九一年、一四九−一五○頁参照。

(18) 『縁起と空』三一三頁参照。

(19) “dha(_)tu-va(_)da”は、仏教成立以前にも、また、『バガヴァッド・ギーター』Bhagavadgi(_)ta(_) にも、明確に説かれている。Cf. Matsumoto, S., “Buddha-nature as the Principle of Discrimination”, Journal of Buddhist Studies (Komazawa University)『駒沢大学仏教学部論集』27, 1996, pp. 323-319.

(20) 以上、述べた筆者の考え方は、次に示す平川彰博士の見解と基本的に一致するように思われる。

仏教は原始仏教以来、「無我」を主張するが、これはインドの伝統的なアートマン(我)の宗教と敵対するのである。……唯識思想の阿頼耶識や、如来蔵思想の如来蔵や仏性などは、アートマンにきわめて類似した観念である。……仏教が興起した若さにあふれた時代には、無我や空の思想が力強く主張せられたのであるが、時代とともに教理に変容を蒙ってゆくうちに、しだいにアートマンの思想に同化されていったのであり、それにつれて仏教はインドに勢力を失っていったのである。仏教が本来アートマン説でなかったことが、仏教がインドに滅びる大きな理由であったと考える。
(『インド仏教史 上』春秋社、一九七四年、九−一〇頁)

 なお、中村元博士は、平川博士とは逆に、「初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している」(『原始仏教の思想 上』中村元選集、第一三巻、春秋社、一九七〇年、一六七頁)と論じられたが、この中村説に対する批判は、拙稿「仏教の批判的考察」『世界像の形成』(アジアから考える〔7〕)東京大学出版会、一九九四年、一三三−一五五頁参照。

(21) 平川彰『インド仏教史 下』春秋社、一九七九年、三一二−三一三頁参照。

(22) 『縁起と空』第六章「『般若経』と如来蔵思想」参照。

(同上、p. 416)


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