日本では変相も曼荼羅と称せられた(加藤善朗)


  当麻曼荼羅(1)は、阿弥陀仏の極楽浄土を中央にして、周りの三辺には『観無量寿経』(以下『観経』)に説かれる内容を順次描き列ねた浄土〈観経浄土変相図(2)〉の一種である。

(加藤善朗「当麻曼荼羅研究の意義」、『西山学苑研究紀要』第2号、2007年3月、pp. 29-30)


  〈曼荼羅〉という呼称について
  まず阿弥陀の浄土変が〈浄土曼荼羅〉、『観経』に基づくものが〈当麻曼荼羅〉と呼称され伝承されてきたことに注意を払わなければならない。元来、mandalaとは如来、菩薩、天などの尊格が一定の幾何学的パターンに配置し、仏教の世界観を図示したものである。サンスクリット語で輪円、あるいは壇または修業の道場の音訳して「曼荼羅」「曼陀羅」と記す。また語其のmandaは真髄・本質をあらわし、接尾語のlaは〈得る〉の意味から、曼荼羅は〈本質を得る〉すなわち仏の無上等正覚を成就した語源的解釈がなされている。すなわち曼荼羅とは仏身内証の境地を絵画化した図絵を指す(5)と考えられる。この仏教用語が日本仏教史上でよく知られてきたのは、真言密教の胎蔵界・金剛界の兩界曼荼羅によってである。このことばは空海の「請来目録」記載が初出である。

(同上、p. 33)


   浄土曼荼羅のうち、もっともはやく文献にあらわれる智光曼荼羅の場合、『時範記』承徳三年(一一〇六)八月八日の条に、「今日有御法事、其義母屋中央間立仏台、懸極楽変曼荼羅[智光マンタラ也]」とあって、変と曼荼羅とを並記している。当麻曼荼羅も、その初出である『建久御巡礼記』には、「抑極楽変相感仏事」と記し、寺僧の談として「曼荼羅」と、両者を併用している。また当麻曼荼羅が善導の『観経疏』にもとづくものであると認識された後成立した『当麻曼陀羅縁起』『曼陀羅聞書』も「変相」と「曼陀羅」の語を併用している。浄土変相が曼荼羅・曼陀羅と呼ばれたのは、日本仏教の密教化により、諸経典の変相も曼荼羅と称せられたことによると考えられる(7)

(同上、p. 33)


    当麻曼荼羅が厳密な意味での曼荼羅ではなく、〈変〉つまり経典の説相を絵画化したものであることは先に述べた。

(同上、p. 34)


(1) 曼荼羅の表記について、浄土系教団の僧徒にかかるものは曼陀羅が一般的であるが、本論では固有名詞を除き曼荼羅と表記する。

(同上、p. 50)


(2) 〈変〉〈変相〉とは仏典に説く説話的な内容を造形的に表現したものをいう。仏伝関係の本生経変相・本行経変相・降魔変相・涅槃変相のほか、大乗経典に基づく経相として観経変相・法華経変相・地獄変相などが広く行われている。我が国では変相という語はあまり用いられず、当麻曼荼羅・法華経曼荼羅のように曼荼羅の語が用いられ、また仏伝図・地獄絵など、絵・図の語が用いられる場合も多い。よって本論では曼荼羅の呼称をもって論じる。

(同上、p. 50)


(5) 岩波『仏教辞典』七六三頁

(同上、p. 50)


(7) 頼富本宏氏の定義によると曼荼羅を「法則と秩序に基づいた閉鎖系システムの空間」と捉えるなら、絵解きの進行とは別に、中台三十七尊を中心に、欣浄縁光台現国と華座観、九品の循環と見るゆえに曼荼羅であるという見解もなりたつ。

(同上、p. 51)


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