日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)


また一つには昭和五十二年十一月『仏の研究』と題する玉城康四郎博士還暦記念論文集が出たが、その中に田村芳朗博士の「日本仏教の仏身論──久遠仏をめぐつて──」と題する貴重な論文があり、先生の該博な研究を物語つているが、これについて私なりに多少考えるところもあるので、その点にも触れてみたい。
  二 天台宗の仏身論
 日蓮聖人の教学は周知の通り、天台・妙楽の教学から出発するから、先ず天台・妙楽等の仏身論を一わたり眺めてみると、天台智(〔豈+頁〕)(五三八−五九七)は『法華文句』寿量品釈において

此品詮量通明三身。若従別意正在報身。何以故義便文会。義便者報身智慧上冥下契、三身宛足故言義便。文会者我成仏已来甚大久遠故能三世利益衆生。所成即法身、能成即報身、法報合故能益物故言文会。以此推之正意是論報身仏功徳
と。之について田村博士は、「正在報身としつつ、所成即法身という。根底ないし究極は法身にあることを意味している」といわれるが、之は田村博士の私見であつて、天台宗の歴史的解釈ではない。法身理は報身智の所証の理境であるという意味に素直に解すべきである。

(浅井円道「日蓮聖人の仏身論の特徴」、『印度学仏教学研究』第28巻第2号、1980年3月、p. 580)


  三 日蓮聖人の仏身論
 三師以来、意識的無意識的に密教化された法華教学、乃至密教々学そのものを法華の教学として全面的に伝承し展開したのが、院政期以降勃興したいわゆる中古天台であつて、その仏身論が密教的法身を中心とすることは縷説するまでもない。そして、漸く隆盛の緒に就き、漸く成文化の第一歩を踏み出した中古天台の観念論的な絶対観に対する反省の上に成立したのが鎌倉新仏教であるから、日蓮聖人は中古天台色の排除を意識していた。ましてその仏身論は寧ろ密教のものであるから、折伏を表とする日蓮聖人としては法華教学に混入した密教的色彩を能う限り払拭すべく志向した。この点から予想すれば、聖人の仏身論は当然のことながら純天台的・反密教的でなければならない。
 まず『開目鈔』に「雙林最後ノ大般涅槃経四十巻、其外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく法身の無始無終はとけども、応身報身の顕本はとかれず(定遺五五三)とは法身中心論に対する反対の声明であり、『法華真言勝劣事』に「今大日経(〔立+立〕)諸大乗経之無始無終法身之無始無終也。非三身之無始無終。法華経五百塵点諸大乗経伽耶之始成破シタル五百塵点也(同三○八)も同趣である。『本尊抄』に「五百塵点乃至所顕三身(同七一二)というのも同意である。次に釈迦の成道乃至顕本を通して初めて人間尊重の意味も発生すると説くものに、『開目鈔』の「本門にいたりて始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此即本因本果の法門なり(同五五二)の文がある。本因本果とあつて因果を離れていないから、法身ではなく報身仏を中心に据えている〔引用者註1〕。また釈迦の伽耶始成を顕本して本果が立つたとき始めて、九界は本因に於て価値づけられるというのであるから、釈迦の顕本なしには九界の常住はあり得ないとするものであつて、純天台教学の筋に契つている。これについて、田村博士は、証真が本覚思想を批判して久遠釈迦を報身仏にもどした場面を捉えて、「報身の有限、相対性という問題が再び蒸し返される恐れが出てくるともいえよう。ひいては、また理法身でカバーするということもおこつてこよう」と心配されるが、釈迦の成道によつて始めて存在の常住性・無限性が成立するところに、天台教学の本来があることも顧慮して欲しい。江戸中期、一妙日導が『祖書綱要』「首題五字法華極理章」を立てたに対して、江戸末期の優陀那日輝は『綱要正議』の中で、首題は極理ではなく、仏の智慧であると訂正したのは、釈迦の成道という事実を尊察せねばならないとする学風の現れである。

(同上、pp. 581-582)


〔05.08.26 引用者註〕

(1) 日蓮のこのような考えは、日蓮によって図された御本尊(曼荼羅)の相貌にもよくあらわれていると思う。以下を参照されたい。

「本尊論メモ」の〔05.08.26 補足2〕
http://fallibilism.web.fc2.com/z013.html#hosoku050826b


トップページ >  資料集 >  [101-120] >  106. 日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)

NOTHING TO YOU
http://fallibilism.web.fc2.com/
inserted by FC2 system