比丘たちは呪術禁止のいましめを守りとおせなかった(松長有慶)


 初期の仏教経典によれば、釈尊(ゴータマ・ブッダ)は教団の構成員に対して、バラモン教的な呪術や儀礼の行使を禁止したという。それらは比丘たちの悟りにとって意味をもたぬとみなされたからである。しかし比丘や比丘尼たちが、すべてこの禁止のいましめを守りとおしたかどうかについては疑問が残る。仏道を志して仏教教団に加入した者も、入門以前はヒンドゥー(インドで生活する者)としての習慣や行動規範に従って日常生活をおくっていた。だから悟りをめざす宗教生活では教団の規定を厳格に守る比丘、比丘尼たちといえども、日常生活的なしきたりから完全に脱却するのは不可能であった。
 たとえばインドで森林を歩くとき、いつ蛇や毒虫に襲われないともかぎらない。それを防ぐために、人びとは大声で呪文を唱えながら歩き、まえもって蛇や毒虫を追い払った。しかしこういった生活技術に類する呪文まで呪術であるとの理由で除去してしまうと、遊行する比丘たちが身の安全を守ることはできなくなってしまう。
 初期の仏教教団でも、悟りへの道にとって障害とならない場合にかぎって、呪術や日常生活上のささやかな儀礼に対する禁令をゆるめ、呪術などの行使を黙認せざるをえなかった。たてまえとして仏教は、呪術とか儀礼を否認した。しかしながらそのことが、ただちに教団内で呪術とか儀礼が全面的に排除されていたということを意味するわけではないのである。
 現在、スリランカとかタイ、ミャンマーなど南方仏教圏では、除災のために唱える呪文をパリッタと呼んでいる。パリッタには、蛇除けとか病気なおしに用いられるものが多い。これらは『律蔵』とか『阿含経』など初期仏教経典に説かれているが、それらを素材として、のちに『孔雀経』とか『毘沙門天王経』といった密教経典が成立した。
 南伝系のパリッタとともに、北伝系では上座部系統の法蔵部の中に、経、律、論の三蔵以外に、菩薩蔵と呪蔵がたてられている。菩薩蔵とは大乗仏教となんらかの関係をもつものと思われるが、その他に呪蔵が別立されているところに注意すべきであろう。
 西暦紀元の少し前ころから、仏教の流れの中では、それまでのように出家者中心の教団だけではなく、在家を主体とする信仰集団も生まれてきた。仏教は思想的にも信仰の上でも、この時期に大きな転換期を迎えたのである。ヒンドゥーとしての通常の在家生活をしている者が、仏教の信者となるのであるから、釈尊の教えも次第に変質をよぎなくされ、形を変えていくのも当然のことであった。

(松長有慶『密教』(岩波新書・新赤版179)、岩波書店、1991年、pp. 17-18)

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