人文科学の研究者は苦難の道を歩まねばならぬ(中村元)


 いったい、人文科学の研究というものは、実験の結果が研究のとおりであれば認められる自然科学と違い、一般の人々にはもちろん、学界においてもすぐには認められないことが多い。そのために、人文科学の研究にたずさわる者が苦難の道を歩まねばならぬという運命は、わかりきっていることであるが、この世界にも、やはり衝撃的な事件が起きることがある。
 わたくしが大学院に入り、貧乏に喘いでいた昭和十一年頃、八年ほど先輩にあたる遠藤二平氏が自殺したのである。遠藤さんに会ったことはなかったが、『大乗広百論釈論』という難解な仏教哲学書の国訳で、すでに業績を認められていた仏教学者であることは知っていた。「なぜ?」ということが、仲間の間で問題になった。ある人に尋ねたところ、「そりゃ、食えんからでしょう」とわかりきったことを聞くなといわんばかりに答えが返ってきたが、「精神的な悩みもあったかもしれない」とも、その人はつけ加えた。遠藤さんは無職だったのである。別の人は、「先生たちがもうすこし面倒見てくれたらよかったのになあ」といった。だれもが、自分たちを待ち受けている運命かもしれぬという面持ちで、それ以上この事件に触れることを恐れているように見えた。

(中村元『学問の開拓』、佼成出版社、1986年、p. 178)


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