釈尊は祈祷や呪術に応じて魔力をふるう神秘を退けた(三枝充悳)


仏教の創始者である釈尊は、当時世俗一般に流布していた呪術・呪文・迷信・密法の類いを禁止し、また批判・攻撃した。このことは、律を含む初期経典の多くに繰り返し説かれ、さらには、たとえば釈尊の遺言の一節に、「師に握拳なし」といって、握りこぶしの中にひそかに隠してある教えはけっして存在せず、すべてを教え示し説き尽くしたと述べている。また近侍したアーナンダ(阿難)の憂いに満ちた問いに対して、最晩年の釈尊は、入滅後は自分の説いてきた教えと戒めとに従うよう、明言する。この意味で、初期仏教の性格を、しいて一言で表わすならば、透明で、理性的であり、ときに倫理的である、といえよう(これの続きは、すぐあとに述べる)。

(中村元・三枝充悳『バウッダ・佛教』(小学館ライブラリー80)、小学館、pp. 394-395)


 釈尊は、その「答え」において、人間の力を絶した創造主としての神も、また祈祷や呪術に応じて魔力をふるう神秘も、ことごとく退けており、一切の不可思議で超自然的なものはすべて排し、捨てる。そうではなくて、あくまでもこの現実に徹し、この現実に即し、終始この現実において解決しようとする。この意味において、釈尊は、総じて仏教は、つねにこの現実を直視し、凝視するという立場に基づく現実主義、と表現され得よう。

(同上、p. 158)


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