如来蔵思想と法華経(袴谷憲昭) |
「三宝」を信仰するという立場からいえば、「三宝」の背後に、それを支えているもっと重要なものがあるというのに、相変らず「三宝」を信じているなどというのは到底正気の沙汰とは思えまい。いかに信心深げに振舞おうと、「三宝」という衣の下に「界」という鎧が透けて見えるからである。
ただし、本稿のテーマに搦めて、「性(gotra)」=「界(dhatu)」=「如来蔵(tathagata-garbha)が、なにゆえに、信仰無視の思想構造をもつかということは簡潔に指摘しておかなければなるまい。しかるに、その理由は極めて簡単なことなのであって、「性」ないし「如来蔵」は、本論書 〔引用者註:『宝性論』のこと〕も『如来蔵経』を引用して明言する(32)ごとく、「諸法の法性(darman・am・ dharmata)」として仏の出世と不出世とにかかわりなく実在している永遠不変の真理だから、信仰には無関係なのである。もし、本論書が、真理は仏とは関係がないと主張しつつ、仏を信ぜよと真剣に叫んでいるとしたら、笑止千万というほかはあるまい。
かかる意味において、私は、『宝性論』をストレートに「信の宗教」であると呼ぶことはできないのであるが、『宝性論』における「信」の構造を「実有性(astitva)」「可能性(saktatva)」「有功徳性(gun・avattva)」の三方面から考察した高崎博士は、同論を中心とする如来蔵説の「信」について次のように結論づけている(49)。
信の対象(絶対者)と信の主体(人)とが同質であるという構造は、キリスト教、イスラム教等の一神教と比較した場合の、仏教の特色であるといわれる。その構造を最も明確に説明したのが、この如来蔵説であるが、同時にそれは、大智・大悲をそなえた仏に対する絶対の信を強調する「信の宗教」でもあった。これは、『宝性論』に基づく思想をストレートに「信の宗教」と呼んでいるので、私の結論とは真向から対立する。そもそも両者が同質という信の対象と主体という関係において、前者を「絶対者」と言いうるかどうかも私には甚だ疑問であるが、それはともかく置くとして、高崎博士のいう「絶対の信」とは次のごときものである(50)。
如来蔵説においても、信の究極は仏にあった。信によってのみ如来蔵説、すなわち「仏性有りということ」が順知されるという場合の信は仏に対する信以外の何ものでもない。しかし、なにゆえに、「仏性有りということ」を信ずることが「仏に対する信以外の何ものでもない」ということになるのか、どうか冷静に考えてみてもらいたい。私にはその理由が全くわからないのである。ここで「仏性」といわれているものの原語は、高崎博士も別に明言している(51)がごとく、buddha-dhatu もしくは buddha-gotra であって、これも依主釈の複合語として、力点は専ら dhatu もしくは gotra に注がれているのであって、仏などいようがいまいが関係のない「永遠の真理」だけが大切だという「仏性」の「実有性」への信が、「仏に対する信以外の何ものでもない」などとは到底言えた義理ではあるまい。むしろ私は、かかる仏軽視の思想系譜が、仏教の信を表わす「三宝」にも反映され、それが『維摩経』『大集経』から『宝性論』における「種(gotra)」の付加となって現われ、「信」を見せかけながら本音では「不信」を抱え込む反仏教的系譜を形成したと見做したいくらいなのである。この系譜に真向から対立するのが『法華経』であるが、その「方便品」の一節では次のように述べられている(52)。
シャーリプトラよ、おまえたちは、私(=仏)を信じ(sraddadhadhvam)信頼し(pratiyata)信服するがよい(avakalpayata)。というのも、シャーリプトラよ、如来たちには虚言というものがないからである。シャーリプトラよ、この乗は一つだけであって、即ちそれが仏乗(buddha-yana)である。もし仏教において仏に対する「絶対の信」というものがありうるとすれば、それはこの『法華経』のようなあり方においてしかありえまい。ここでは虚言なき仏だけを信じよと述べられているのであり、仏なしにはなにごとも始まりはしない。仏がいるからこそ虚言なき正しい教え(妙法)も示され、それを信ずる教団もあるのである。道元が、この『法華経』を最高の経典であると述べつつ、そこから引いた「是諸罪衆生、以悪業因縁、過阿僧祗劫、不聞三宝名(53)」なる一頌に依って「この法華経のなかに、いまの説まします。しるべし、三宝の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと(54)。」と三宝に対する信を強調したのも所以なきことではない。もし大乗仏教の中に「信の宗教」を求めるとすれば、『法華経』をもって嚆矢としなければならないと私は思うのである。かく見れば、『維摩経』以降は「信」について下落の一途を辿ったとすら言えるのであり、両経の前後関係については、後者が前者より後の成立だと極常識的に考えたい。「種姓(gotra)」の語も観念ももたない『法華経』と、それを有する『維摩経』との相違ということについては高崎博士も明瞭に気づいておられながら、両経の前後関係については、「初めから方向が分れていたもの」と推測されておられる(55)が、私はむしろ前者に対する対抗意識のもとに、あるいは排他的なものの緩和策のもとに、後者以降の経典が形成されていったのではないかと推定しているのである。
ところで、私が、『宝性論』や『大乗起信論』の「信」が「信」に値しないなどということを強調すると、それは西欧的な「信」と比較すれば言えることかもしれないが、そんな風に言うことは余りにも東洋的な「信」の伝統を無視した牽強附会な態度であって、もっと虚心に東洋独自の「信」の意味を探らねばならないというような反論は充分予想されるのであるが、そんなこともあるかと思い、ここで、次のことだけは言っておきたい。例えば、仏教の典籍において、「信(sraddha)とは業と果と〔四〕諦と〔三〕宝に対する信頼(abhisam・pratyaya)である」といわれるような「信」の代表的原語は sraddha であるが、この語は、西欧における、例えば、アウグスチヌスの「知らんがために我は信ず(credo ut intelligam)(59)」という時の credo (我は信ず)とは、比較言語学的には全く対応し全く等価なのである。女性名詞 sraddha の動詞もやはり srad-dha であるが、これはラテン語の cred-do と同じで、「忠誠(cred-, srad-)」を「置く(-do, -dha)」ということを意味する(60)。
多少目が眩むにしても、太陽のような「真理」なら見せればすむが、実際には、「正しいこと」を言葉を尽して創り出し信じさせねばならないのであるが、しかし、そうすれば殺されるほかはないのであって、事実、ソクラテスは毒杯を仰いで死んだのである。そんなことを思うと、「三宝」の根底や「三宝」に先立つところに、「性(gotra)」や「真如(tathata)」がいつでもまるで「鰯の頭」のようにゴロゴロしており、後はそれを発見するだけだなどというのは、いかにも楽天的過ぎると感じられてこないであろうか。もっとも、それが東洋的「信」であるとあくまでも居直るなら話は別である。
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(8) Max Weber, Wissenschaft als Beruf, Siebente Auflage, 1984, Duncker & Humblot, Berlin, p. 25, ll. 7-8:尾高邦雄訳『職業としての学問』(岩波文庫、以下、尾高和訳と略)、四九頁。
(13) E. H. Johnston (ed.), The Ratnagotravibhaga Mahayanottaratantrasastra (Patna 1950), p. 1, ll. 2-5. なお、高崎博士は、これを含む冒頭三頌を本頌より外している。Cf. Jikido Takasaki, A Study on the Ratnagotravibhaga ( Uttaratantra ) (Roma 1966), p. 12.
(18) 宇井伯寿『宝性論研究』(昭和三十四年、岩波書店再刊)、五一二頁。なお、(23七)とあるのは、第二三頌が本頌としては第七頌であることを示す。
(29) 高崎直道『仏性とは何か』(法蔵選書、昭和六十年二月、法蔵館)、一六四頁。更に、同氏『如来蔵思想の形成』(昭和四十九年三月)、一一頁、一九頁、七二三頁も参照されたい。
(32) Johnston, op. cit. (前註13), p. 73, ll. 9-16:前註18の宇井著、五八五−五八六頁参照。なお、ここで、「諸法の法性(dharman・am・ dharmata)」は「信解されるべきもの(adhimoktavya)といわれているが、その動詞 adhi-muc は、後註60で指摘した srad-dha とは全く別系統の語で、is actively interested in, zealous for, earnestly devoted to, intent upon (BHSD, p.14) などの意味で用いられる。
(49) 高崎直道「如来蔵説における信の構造」『駒沢大学仏教学部研究紀要』第二二号(昭和三十九年三月)、一〇七−一〇八頁。
(50) 前註49の高崎論文、一〇七頁。
(51) 前註29後者の高崎著、一一頁など参照。
(52) Kern and Nanjio (ed.), Saddharmapun・d・arika, p. 44, ll. 2-4.
(53) 大正蔵、九巻、四三頁下。なお、これに対応する原文には “na câpi me nama sr・nonti jatu tathagatanam・ bahu-kalpakot・ibhih・ / dharmasya va mahya gan・asya câpi papasya karmasya phal'eva-rupam // (〔悪業をなした有情は〕多くのコーティに及ぶカルパにわたって、私や如来たちの名称も、教えの名称も、また私の集りの名称さえも、全く聞くことはないのだ。悪業の結果はかくのごときものである)”(ibid., p. 325, ll. 7-8)とある。
(54) 十二巻本『正法眼蔵』第六「帰依仏法僧宝」巻、大久保前掲本 〔引用者註:大久保道舟編全集、上〕、六六九頁。
(55) 前註29後者の高崎著、四四三頁、註2参照。
(56) 前註49の高崎論文、一〇九頁、註8の末尾。
(59)前註8の尾高和訳、八〇頁の訳者註、七〇1による。
(60) M. Monier-Williams, A Sanskrit-English Dictionary, p. 1095, col. 3, srat or srad の項、及び、A Latin Dictionary (Oxford), p. 479, cols. 2-3, cred の項、p. 605, col. 1, -do の項参照。