問答迷人さん
輪番制が廃止されて、日興が身延に常任することになったのは、先学の研究によれば、弘安八年末のようです(立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史上』、平楽寺書店、1973年、p.73)。
>もし、御遺物配分事が御遷化記録に含まれていたのなら、釈迦立像の所有権が日朗に有ると日興は知っていた事になります、原殿御返事の「大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏」「大国阿闍梨の取り奉り候いぬ」という表現は極めて奇異であり、有り得ない表現
以下の事実AとBは論理的には両立します。
A:「釈迦立像の所有権は日朗に有ることを日興は知っていた」
B:「釈迦立像の占有権は墓所寺の常任管理者たるじぶんに有ると日興は思い込んでいた」
他人の所有物について、他人の所有物であると知りつつ、自分に占有権があると主張するということは、論理的にはぜんぜんありえます。
ご指摘の原殿御返事の表現は、日興が「日蓮の遺言は輪番制廃止後にも効力を持つ」と思い込んでいたという事実を示しているにすぎません。ぜんぜんありえる表現です。
つまり、日興は、輪番制が廃止されたとしても、日蓮の遺言によって日朗は釈迦立像を墓所寺にずっとおいておくべきであると考えていたのでしょう。
要するに、釈迦立像の占有権は墓所寺の常任管理者であるじぶんにあるんだと日興は思い込んでいたわけですね。
そもそも、日蓮の遺言の内容について後々に意見の食い違いが起こらないようにするために、日蓮の遺言を明文化して、みなで確認し承認した上でそれを記録に残したのです。それが「御遷化記録」の中の「御遺言」です。
実際の日蓮の遺言の内容がどのようなものであったにせよ、これこそが日蓮の遺言であったとしてみなの承認を受け記録された文章による限りは、日蓮の遺言は「輪番制が廃止された場合の六人の行動を縛るものではありません」(>>175)。よって、日興の占有権の主張には無理があるわけですが、にもかかわらず、日興はじぶんに占有権があると思い込んでいた。それだけの話だと思います。