今回は、「佛教再考」というHPを開設されている犀角独歩さんという方との対話の記録をご紹介したいと思います。
今回のこの対話は、HPで公開することを前提としてなされたものではなかった(そのおかげで、ざっくばらんに独歩さんから御意見を頂戴することができ、 Libra としてはとてもありがたかった)のですが、私にとってとても有意義であったことから、独歩さんにお願いして公開のお許しを頂きました。このような無理をお許し下さった独歩さんに心から感謝の意を表します。
なお、「註」は、今回の対話の記録をここに公開するにあたって、対話の後で Libra が付けたものです。
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(1) 『法華経』を体現した人間≠ヘ『法華経』そのものである。姉崎正治『法華経の行者 日蓮』〔講談社学術文庫〕(講談社、1983年)の pp. 128-129 を参照。
(2) 私のこの発言に対して、独歩さんは「初めに言葉があった。言は仏とともにあった。言が仏である。この言は初めに仏とともにあった。」というような印象を受けるとコメントされたが、私はまさにそのように考えているのだということをここに告白しておきたい。というのも、「最初の説法にみごと成功した時」に釈尊の成道は完成した(本当の意味で仏が誕生した)と私は考えているからである(増谷文雄『現代人の仏教1 智慧と愛のことば・阿含経』、筑摩書房、1965年、 pp. 19-41 を参照)。
(3) 中村元博士も以下のように言われている。
論理学は普遍的な学問であるべきである。どこの国の人が考えたとしても、〈正〉はつねに正であり、〈誤謬〉はつねに誤謬であらねばならぬ。ところが、今までには、ヨーロッパ系の諸言語で書かれた論理学の諸体系のあいだには一応の共通の理解が成り立っているが、インド文化圏の論理学や東アジア文化圏の論理思想(因明など)とのあいだには、まだ共通の理解ができ上っていないようである。(中村元「インド論理学の理解のためにII インド論理学・術語集成──邦訳のこころみ──」、『法華文化研究』第9号、1983年、pp. 235-236)
しかし、記号論理学や、アリストテレス論理学、因明、東アジアの論理思想──これらすべてを含めて普遍的な基準から考察する〈普遍的な論理学〉、または〈構造論理学〉というようなものが必要ではないか、とわたくしは現在考えている。(同上、p. 237)
こうなると、少くとも論理学の領域では、日本語とか英語とかいうような既存の言語にたよることは、不用になるであろう。
しかしそこまで到達するまでには、まだまだ長い距離がある。その間は、当分、既存の言語を用いて、形式論理学と記号論理学あたりにたよらざるを得ないであろう。一種の便宜的な手段として、いまわたくしがたどりつつある過程である。(同上、p. 241)
(4) 『ニヤーヤ・ビンドゥ(Nyaya - bindu)』のこと。この邦訳には、例えば、中村元「インド論理学の理解のためにI ダルマキールティ『論理学小論』(Nyaya - bindu)」(『法華文化研究』第7号、1981年、pp. 1-178)がある。
(5) 私は以前、次のように論じたことがある。
寿量品が「釈尊の成仏」を「五百塵点」まで遡って説いているのは、
過去仏思想が定着していた『法華経』成立当時の状況下において、な
んとか過去仏思想を止揚して、衆生を釈迦一仏に帰らしめるためでし
ょう。宗祖の時代にはまだ「大乗非仏説論」も「高等批評学」もなく、
過去仏思想がまだ現前と生きていました。よって、宗祖が『法華経』
の教相の「五百塵点」に立脚して法を説かれたことはむしろ当然であ
り、『法華経』の意図に沿うものです。
> 伽耶始成も久遠実成もともに方便であるとするな
> ら、では何が真実説なのか?と云う疑問が出てきますね。
「インド生誕の釈尊によって仏教は始まった」というのが真実説で
す。
仏身論は釈尊自身が言い出したものではありません。弟子達が言い
出したものです。
これらの仏身論の出発点は、仏陀の入滅に際しての諸弟子達の
思索沈思にあるとされる。
(『日蓮宗辞典』〔註:正しくは『日蓮宗事典』(日蓮宗宗務院、
1981年)〕、p. 334)
それと同様に、寿量品の久遠仏の教説も釈尊自身が言い出したもの
ではありません。
法華経寿量品の久遠の仏は、これらの乱立した諸仏を統一して再
び本来の釈迦一仏の状態に復帰し、諸仏を釈尊の応化または分身
として包括する信仰的欲求から出た教説である。
(同上、p. 334)
さて、ある学校の教室で、授業中に生徒たちがぺちゃくちゃおしゃ
べりをしているという状況(当然、うるさくて授業を集中して聞くこ
とは難しい)があったとしましょう。そこで、授業をちゃんと聞きた
いと思った一人の真面目な生徒が、教室の誰よりも(すなわち先生の
声よりも)大きな声で、「みんな静かにして下さい!先生の話が聞こ
えません!」と叫んだとしましょう。そして、彼が叫び続けることよ
って、ついに生徒達が静かになったとしましょう。その場合、彼はも
うそれ以上大声で叫び続けるべきではないでしょう。もし叫び続ける
とするならば彼自身が最悪の「授業の妨害者」となってしまうでしょ
う。
仏教がインド生誕の釈迦によって説き始められたものであるという
真実がすでに常識と化した現代にあって、過去仏思想に固執して続け
るとすれば、それは、せっかく「釈迦一仏の状態に復帰し」たにも関
わらず、仏教の創始者としての「現実の人間・釈尊の生涯」から目を
そらすことになってしまうでしょう。(旧掲示板「Beat Me !」での発言、「川蝉さんへ(3/3) 」、
投稿者:Libra 00/09/02 Sat 13:01:22、
http://fallibilism.web.fc2.com/Beat_Me_501_521.html#502)
(6) 当然のことながら、聖人の主張の本質的な部分を捻じ曲げてしまうというようなことは決してあってはならない。しかし、本質的ではない部分については、たとえ「聖人の祖意」から離れることになってしまうとしても、もしもそのことによって現代に生きる我々にとっての「聖人の法門」の価値≠ェますます高まるのであれば問題はないと私は考える。
このような私の立場を「批評的立場」だと言えば、本田義英氏のお言葉(『佛典の内相と外相』、弘文堂書房、1934年、pp. 461-462)を汚すことになってしまうかもしれないが、それでもあえて私は自分の立場を「批評的立場」だと言っておきたい。
(7) 読後の私の率直な感想を述べるならば、「古因明」にこだわる必要性を特に感じなかった。
石田氏は
仏法で言う〈有・無〉は〈仮有・仮無〉という〈判断〉だからこそ矛循律違反な筈の〈非有非無〉(空)が妥当に成立している・という点を能く能く御考察願いたいものであります。(『六師義は正埋なのでしょうか 知らなかった・では済まされません』、
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ishida.htm)
と言われているが、そもそも〈非有非無〉というのは、「自性として≠ニいう限定語を付して理解されなければならない」(松本史朗『縁起と空─如来蔵思想批判─』、大蔵出版、1989年、p. 346)であろう。そのように理解するかぎり、最初から〈非有非無〉は「矛循律違反」などではない。詳しくは、拙文「縁起と空」(http://fallibilism.web.fc2.com/z012.html)を参照されたい。
(8) 創価学会応援隊・会議室1(http://www19.big.or.jp/~sunshine/soukagakkai/kaigisitu-1-new.cgi)で行なったハル氏との対話の一部(No. 46514-46515)。過去ログ(http://www19.big.or.jp/~sunshine/soukagakkai/kaigisitu-1-kako.cgi)の「02/01/05/03:21:09、03:21:43」を参照されたい。
2002.01.30
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http://fallibilism.web.fc2.com/z021.html
〔02.11.18 補註〕 新田雅章「中国天台における因果の思想」、仏教思想研究会編『因果』〔仏教思想3〕、平楽寺書店、1978年、263-269ページを参照されたい。
〔02.11.20 補註〕 法身(境)と報身(智)の関係については、花野充道「智■と本覚思想」、『印度学仏教学研究』第48巻第1号、1999年12月、154-156ページ、および、浅井円道「日蓮聖人の仏身論の特徴」、『印度学仏教学研究』第28巻第2号、1980年3月、580-582ページを参照されたい。
〔02.02.27 付記〕
〔05.09.04 補足〕
2002年2月19日に「富士門流信徒の掲示板」が運営されていたサーバー( green.jbbs.net )がダウンし、同掲示板は同日中に別のサーバーに移転された。よって、本稿中に記した同掲示板の URL は現在は無効となってしまったが、幸いなことに、同掲示板の管理者によって過去ログが現在も保管されているので、そちらにジャンプできるようにリンク先を修正した。なお、「富士門流信徒の掲示板」の新しい URL は以下である。
「富士門流信徒の掲示板」
http://jbbs.shitaraba.com/study/364/
独歩さんの名誉のためと、読者の方々に誤解を与えないために申し上げておきますと、現時点(05.09.04)における独歩さんの Libra 評価は、ここでいわれているのとはむしろ逆転しています。