法華経を師匠と御憑み候へ

 「上野殿御返事」の「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」という文を引いて、「法華経(釈迦仏法)は末法無益」などと主張する学会員が残念ながらまだいます(1)。御書を素直に読んでさえいれば、このような解釈が日蓮仏法を根底から破壊する邪義であることはすぐに分かります。しかし、現にこのような「法華経の御かたき」「法華経の敵・釈迦仏の怨」が学会員として存在しているのです。こういう人たちは一体どういうつもりで勤行したり「南無妙法蓮華経」と唱えているのだろうか。非常に残念です。

堂塔つくらず布施まいらせずらん、をしき物は命ばかりなり、これを法華経にまいらせんとをもし三世の仏は皆凡夫にてをはせし時命を法華経にまいらせて仏になり給う、此の故に一切の仏の始には南無と申す南無と申すは月氏の語此の土にては帰命と申すなり、帰命と申すは天台の釈に云く「命を以て自ら帰す」等云云、命を法華経にまいらせて仏にはならせ給う、日蓮今度命を法華経にまいらせて
(「南無御書」、全集、p. 1299)
 「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」という文を「法華経(釈迦仏法)は末法無益」などと解釈することがいかに無理であり、不可能事であるかを明らかにするために、関連する要文をいくつかヒックアップして以下に年代順に並べてみます〔ポイントとなる弘安元年(1278年)四月一日より以前の年代表記の色を茶色以後として色分けした〕

是れ程に思食したる親の釈迦仏をばないがしろに思ひなして唯以一大事と説き給へる法華経を信ぜざらん人は争か仏になるべきや能く能く心を留めて案ずべし。
(「主師親御書」、全集、p. 385、[建長七年(1255年)]

善男子善女人此の法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱え奉らば此の三罪を脱るべしと説き給へり何事か是にしかんたのもしきかなたのもしきかな
(同上、p. 389)


たとい法然上人慧心法華経を雑行難行道として末代の機に叶わずと書き給うとも日蓮は全くもちゆべからず、一代聖教のおきてに違い三世十方の仏陀の誠言に違する故にいわうやそのぎなし、而るに後の人の消息に法華経を難行道経はいみじけれども末代の機に叶わず謗らばこそ罪にてもあらめ
(「一代聖教大意」、全集、p. 405、[正嘉二年(1258年)二月十四日]


法華経を師匠と御憑み候へ法華経をば国王父母日月大海須弥山天地の如くおぼしめせ
(「唱法華題目抄」、全集、p. 9、[文応元年(1260年)五月二十八日]


経に云く「亦不聞正法如是人難度」と云云、此の文の意は正法とは法華経なり、此の経をきかざる人は度しがたしと云う文なり、法師品には若是善男子善女人乃至則如来使と説かせ給いて僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり、貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし、此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし
(「椎地四郎殿御書」、全集、p. 1448、[弘長元年(1261年)四月二十八日]

釈迦如来はかぢを取り多宝如来はつなでを取り給へば上行等の四菩薩は函蓋相応してきりきりとこぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、是にのるべき者は日蓮が弟子檀那等なり、能く能く信じさせ給へ
(同上、pp. 1448-1449)


善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし
(「開目抄下」、全集、p. 232、[文永九年(1272年)二月]


久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり
(「生死一大事血脈抄」、全集、p. 1337、[文永九年(1272年)二月十一日]


寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり
(「法華取要抄」、全集、p. 334、[文永十一年(1274年)五月]

諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり、諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり
(同上、p. 335)


法華経をすつる人はすつる時はさしも父母を殺すなんどのやうにをびただしくはみへ候はねども無間地獄に堕ちては多劫を経候
(「兄弟抄」、全集、p. 1080、[文永十二年(1275年)四月十六日]

この法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候ける
(同上)


但法華経計りこそ三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ、されば普賢文殊なりとも輙く一句一偈をも説かせ給うべからず、何に況や末代の凡夫我等衆生は一字二字なりとも自身には持ちがたし、諸宗の元祖等法華経を読み奉れば各各其の弟子等は我が師は法華経の心を得給へりと思へり、然れども詮を論ずれば慈恩大師は深密経唯識論を師として法華経をよみ、嘉祥大師は般若経中論を師として法華経をよむ、杜順法蔵等は華厳経十住毘婆沙論を師として法華経をよみ、善無畏金剛智不空等は大日経を師として法華経をよむ、此等の人人は各法華経をよめりと思へども未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を論ずれば伝教大師ことはりて云く「法華経を讃すと雖も還って法華の心を死す」云云、例せば外道は仏経をよめども外道と同じ蝙蝠が昼を夜と見るが如し、又赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ太刀に顔をうつせるもの円かなる面をほそながしと思ふに似たり。
今日蓮は然らず已今当の経文を深くまほり一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む、麻の中の蓬墨うてる木の自体は正直ならざれども自然に直ぐなるが如し、経のままに唱うればまがれる心なし、当に知るべし仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか
(「妙密上人御消息」、全集、pp. 1239-1240、[建治二年(1276年)三月五日]


仏の遺言を信ずるならば専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか。
(「報恩抄」、全集、p. 294、[建治二年(1276年)七月二十一日]


 問うて云く今日本国を見るに当時五濁の障重く闘諍堅固にして瞋恚の心猛く嫉妬の思い甚しかかる国かかる時には何れの経をか弘むべきや、答えて云く法華経を弘むべき国なり、其の故は法華経に云く「閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云
(「法華初心成仏抄」、全集、p. 544、[建治三年(1277年)]

 問うて云く当時は釈尊入滅の後今に二千二百三十余年なり、一切経の中に何の経が時に相応して弘まり利生も有るべきや(…)答えて云く末法当時は久遠実成の釈迦仏上行菩薩無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり。
(同上、p. 548)

当時は経道滅尽の時に至つて二百歳に余れり、此の時は但法華経のみ利生得益あるべし。 されば此経を受持して南無妙法蓮華経と唱え奉るべしと見えたり
(同上、p. 549)

此くの如き闘諍堅固の時は余経の白法は験し失せて法華経の大良薬を以て此の大難をば治すべしと見えたり。
(同上、p. 550)

末法には強いて法華経を説くべしと仏の説き給へるをばさていかが心うべく候や
(同上、p. 552)


今度法華経のために命をすつる事ならばなにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、さればひが事をすべきにはあらず、今はすてなばかへりて人わらはれになるべし
 (「上野殿御返事」、全集、p. 1540、[建治三年(1277年)五月十五日]


日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず
(「日女御前御返事 」、全集、p. 1243、[建治三年(1277年)八月二十三日]

法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり、此の事伝教大師入唐して道邃和尚に値い奉りて五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり、日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ
(同上、p. 1245)


抑今の時法華経を信ずる人あり或は火のごとく信ずる人もあり或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時はもへたつばかりをもへどもとをざかりぬればすつる心あり、水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり、此れはいかなる時もつねはたいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるかたうとしたうとし
(「上野殿御返事」、全集、p. 1544、[建治四年(1278年)二月二十五日]

釈迦仏法華経の御そら事の候べきかとふかくをぼしめし候へ
(同上、p. 1245)


南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心人の中の神のごとし
(「上野殿御返事」、全集、p. 1546、[弘安元年(1278年)四月一日]

今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり
(同上)


末法のけふこのごろ法華経の一句一偈のいはれをも尋ね問う人はありがたし、此の趣を釈し給いて人の御不審をはらさすべき僧もありがたかるべしと、法華経の四の巻宝塔品と申す処に六難九易と申して大事の法門候、今此の御不審は六の難き事の内なり、爰に知んぬ若し御持ちあらば即身成仏の人なるべし、此の法華経には我等が身をば法身如来我等が心をば報身如来我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候、南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候一部の肝要八軸の骨髄にて候
(「妙法尼御前御返事」、全集、p. 1402、[弘安元年(1278年)七月三日]

経文に云く於末法中於後末世法欲滅時受持読誦悪世末法時能持是経者後五百歳中広宣流布」と、此れ等の文の心は当時末法の代には法華経を持ち信ずべきよしを説かれて候、かかる明文を学しあやまりて日本漢土天竺の謗法の学匠達皆念仏者真言禅律の小乗権教には随い行じて法華経を捨てはて候ぬ、仏法にまどへるをばしろしめされず、形まことしげなれば云う事も疑ひあらじと計り御信用候間、をもはざるに法華経の敵釈迦仏の怨とならせ給いて今生には祈る所願も虚しく命もみじかく後生には無間大城をすみかとすべしと正しく経文に見えて候
(同上、p. 1403)


又禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝なり法華経等の経経は教内なり、譬えば月をさす指渡りの後の船彼岸に到りてなにかせん月を見ては指は用事ならず等云云、彼の人人謗法ともをもはず習い伝えたるままに存の外に申すなり、然れども此の言は釈迦仏をあなづり法華経を失ひ奉る因縁となりて、此の国の人人皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら而も罪ともしらず
(「妙法比丘尼御返事」、全集、p. 1411、[弘安元年(1278年)九月六日]

日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ戦をし身に手をおひ弟子等を殺され両度まで遠流せられ既に頚に及べり、是れ偏に法華経の御為なり
(同上、p. 1415)

いかに信ずるやうなれども法華経の御かたきにも知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑なし
(同上、p. 1418)


仏滅後一千五百余年と申すに日本国の第三十代欽明天皇と申せし御門の御時百済国より始めて仏法渡る、又上宮太子と申せし人唐土より始めて仏法渡させ給いて其れより以来今に七百余年の間一切経並に法華経はひろまらせ給いて、上一人より下万人に至るまで心あらむ人は法華経を一部或は一巻或は一品持ちて或は父母の孝養とす、されば我等も法華経を持つと思う、しかれども未だ口に南無妙法蓮華経とは唱へず信じたるに似て信ぜざるが如し
(「松野殿後家尼御前御返事」、全集、p. 1392、[弘安二年(1279年)三月二十六日]


願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云
(「上野殿御返事」、全集、p. 1561、[弘安二年(1279年)十一月六日]


法華経釈迦多宝十方の諸仏菩薩諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり
(「妙一尼御前御返事」、全集、p. 1255、[弘安三年(1280年)五月十八日]


2001.05.08
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(1) かつてメールでお話した、ある学会員の方も確かにそのように言っておられた。しかし、私信を勝手に公開するわけにもいかないので、ここでは、「掲示板」という公の場でそのように公言されている二名の学会員(かつや氏と三色旗氏)の発言をご紹介しておきたい。

わたしは釈迦仏法など信仰していない。
(「創価学会関連リンク集」掲示板、投稿者:かつや 投稿日:2001/03/07(Wed) 11:18 )
釈迦仏法は正法時代の教えであり、末法においては功力はありません。その辺、誤解の無いように。
(同上、投稿者:かつや 投稿日:2001/03/07(Wed) 22:35 )
今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし
(上野殿御返事 御書1546ページ)
→末法の現在では他経、法華経は不要
(同上、投稿者:三色旗 投稿日:2001/04/15(Sun) 09:40)
此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し
(観心本尊抄 御書254ページ)
→法華経の釈尊は本尊でない
(同上、投稿者:三色旗 投稿日:2001/04/15(Sun) 09:40)
文献でも示されるように日蓮仏法により釈迦仏法や法華経が超克されたのですから、釈迦仏法や法華経を議論しても意味がないと考えています。
(同上、投稿者:三色旗 投稿日:2001/04/15(Sun) 16:23)

彼らの発言よりもむしろ、このような発言を諌めようとする学会員が皆無であるという事態の方がさらに深刻であるように私には思われる。

仏法の中には仏いましめて云く法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし
(「妙法比丘尼御返事」、全集、p. 1412、[弘安元年(1278年)九月六日]



〔01.05.10 付記〕

1.対告を考慮に入れ、「上野殿御返事」等の要文をさらに追加した。

2.「掲示板過去ログ」の記事No: 443において、川蝉氏が「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」の口語訳を紹介して下さっている(ただし、典拠は不明)。同文に対する氏の解釈とともに是非参照されたい。



〔01.05.11 付記〕

1.弘長元年の「椎地四郎殿御書」の要文を追加した。

2.正嘉二年の「一代聖教大意」の要文を追加した。

3.建治三年の「法華初心成仏抄」の要文を追加した。

4.特に注目して欲しい部分にアンダーラインを引いた。



〔01.05.12 付記〕

1.本文に註(1)を加えた。

2.本文に

〔ポイントとなる弘安元年(1278年)四月一日より以前の年代表記の色を茶色以後として色分けした〕
一文を加え、その通りに年代表記を色分けした。



〔02.04.14 訂正〕

 ある読者の方から、「主師親御書」「一代聖教大意」の引用ページ数に誤りがあるとのご指摘を頂いたので訂正した。



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