続・日蓮は広略を捨てて肝要を好む

 前回に引き続き三吉さんの掲示板に投稿した文章をアップします。

 自分のところの掲示板を閉じたので、少しはHPのコンテンツを充実させるための時間ができるかと思ってたんですが、他の掲示板で議論を始めちゃうとやっぱり駄目ですね(^_^;)。

 三吉さん、こんばんは。

 「方便品の読誦」については「月水御書」も参考になるかと思います。

 また、「月水御書」では以下のように説かれています。

南無一乗妙典と唱えさせ給う事是れ同じ事には侍れども天親菩薩・天台大師等の唱えさせ給い候しが如く・只南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべきか、是れ子細ありてかくの如くは申し候なり
(「月水御書」、全集、p. 1203)
 言うまでもなく、天親は羅什訳の妙法華を知りません。

妙法華を根拠にしなくちゃいけない
 ということはないということです。

(月水御書、
投稿者:Libra 00/10/08 Sun 22:54:44)

 Libraさん。わかりやすいレスありがとう。


天竺の梵品には・・・
 梵本の存在を知っていたならば、日蓮さんはなぜ、Libraさんが、川蝉氏に展開されたように、寿量品の梵本から、岩本氏訳のように「仏の無量寿性も方便」であると展開されてなかったのでしょうか?これもまた、時代性に併せた方便なのでしょうか?だとするならば、小乗権大乗迹門の法門と共に本門の法門もまた、現今の時代性にそぐわないということになりませんか?
 妙法華なくして梵品だけからでは、十如是も一念三千も「題目」も展開できなかったのではと、思っているからです。サンスリット本をしらないのではと思っていたのは、しっていたならば、妙法華を無視して、日蓮訳を創出して展開するはずだという私の思い込みです。
 その存在を知りつつ、妙法華を重視したということであれば、妙法華の優位性は動かないのでは?(あるいは梵本の一部しかしらなかったのでは?)


開目抄下
 おぉぉぉ、されてましたか。ありがとう。(ちょい恥ずかしいです)
 ただ比較すると、教行信証はほとんどがそういう展開で開目抄は重要な語句が一部だけという差異があります。


日蓮滅後「方便品不読誦論」を展開し論争(天目)
在世中の曽谷教信御房
 なるほど、私のような誤解は、先輩がいるのですね。


月水御書
 天親は羅什訳の妙法華をしらないから、御書によると「南無一乗妙典」となえたとあるのでしょう。その「一乗妙典」は凡本の法華経のみなのか、他の大乗経典もあるのかどうかとか、そもそもその根拠は世親のどの著作に由来するのかとか、引用部分だけでは謎が謎を呼びます。
 ただ、別論題になりますが、「題目」の根拠として世親が出てくると面白いですね


 川蝉さんへ

 的確なる御書の引用を感謝します。
 余談ですが、私は学会版の御書を持ってなく、もっているのは、波木井坊氏のサイトからダウンロードした御書ですので。
 観心本尊得意抄を(富木第十九書)と書いていただけるとわかりやすいです。


 Libra さん 川蝉さん

 方便品読誦については、お蔭様で日蓮さんの見解はわかりました。
 「寿量品得意鈔」にも「爾前の経」には二つの失があり、それは、「迹門方便品の十如是の一念三千、開権顕実、二乗作仏の法門を説かざる過」と「久遠実成の寿量品を説かざる過」で、このふたつは釈尊の教法の心髄であると。
 さらに、迹門では前者は説くが後者は説かない。
 だから両者を重視せねばならなんという主旨なのでしょう。

(おはようございます、
投稿者:三吉 00/10/10 Tue 07:30:18)

 三吉さん、こんにちは。


梵本の存在を知っていたならば、日蓮さんはなぜ、Libraさんが、川蝉氏に展開されたように、寿量品の梵本から、岩本氏訳のように「仏の無量寿性も方便」であると展開されてなかったのでしょうか?これもまた、時代性に併せた方便なのでしょうか?
 まず、「宗祖の時代には過去仏思想がまだ生きていた」ということを考慮に入れる必要があります。従って、当時、「諸仏を釈尊一仏に統一する」ためには、法華経の教相に従って釈尊の成道を五百塵点劫まで遡って説く必要があります。この点は法華経成立時の事情と同じだと思います。しかし、過去仏思想がすでに無効になっている現代においてはその必要はないでしょう。むしろ弊害があるとさえ思います。このことは川蝉さんとの議論の中でも述べました。
 また、これも川蝉さんとの議論でも延々と主張したことですが、僕は、宗祖の立場は「“釈尊=法華経”という形で現に仏は生き続けているし未来永劫生き続ける」というものだと思っています。そういう意味では「仏の無量寿性も方便」というよりは、やはり「仏の寿命は無量」ということでしょう(ただし有始)。感覚としては原始仏教の立場に近いのではないでしょうか。
「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。
(「大パリニッバーナ経」、第六章第一詩。中村元訳『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)、岩波書店、1980年、p. 155)

その存在を知りつつ、妙法華を重視したということであれば、妙法華の優位性は動かないのでは?(あるいは梵本の一部しかしらなかったのでは?)
 羅什訳を別格扱いされたことは動きません。
 羅什訳をいい訳だと認めていて、かつ、当時、現実に普及していた以上、あえて独自の訳を試みる必要はないと思います。


ただ比較すると、教行信証はほとんどがそういう展開で開目抄は重要な語句が一部だけという差異があります。
 宗祖は「広略を捨てて肝要を好む」と言われています。読み手にとって必要かつ十分な展開をと考えられたのではないでしょうか。

三吉さんへ(1/2)、
投稿者:Libra 00/10/10 Tue 12:33:01)


月水御書
 天親は羅什訳の妙法華をしらないから、御書によると「南無一乗妙典」となえたとあるのでしょう。
 そうではありません。「天親菩薩・天台大師等の唱えさせ給い候しが如く・只南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべきか」ということですから(「等」に注目!)、天親も天台と同様に「南無妙法蓮華経」と唱えたということです。しかし、天親が妙法華を知っているはずがありませんので、この場合には、「ナム・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」という“意味の”言葉を唱えたということでしょう。宗祖にとっては「南無妙法蓮華経」が何語で表現されているかということは問題ではなかったということです。内容(法体)が重要だということでしょう。


その「一乗妙典」は凡本の法華経のみなのか、他の大乗経典もあるのかどうかとか、そもそもその根拠は世親のどの著作に由来するのかとか、引用部分だけでは謎が謎を呼びます。
 月水御書の全文は以下にあります(他の御書も同サイトで読めます)。是非御一読を。
月水御書
http://yat3.ice.ous.ac.jp/kuga/gosyo/title/G224.HTM
 「世親のどの著作に由来するのか」ということについては、今資料を持ち合わせてません。保留にさせて下さい。
 僕的には、この掲示板でも主張したように、法華経そのものが「法華経の受持(=南無妙法蓮華経)」の精神を一貫して強く訴えていると思っていますし、「行法としての経題の受持」も説かれていると思っていますので、題目の根拠をわざわざ世親の論に求める必要性を強くは感じません。


 方便品読誦については、お蔭様で日蓮さんの見解はわかりました。
 「寿量品得意鈔」にも「爾前の経」には二つの失があり、それは、「迹門方便品の十如是の一念三千、開権顕実、二乗作仏の法門を説かざる過」と「久遠実成の寿量品を説かざる過」で、このふたつは釈尊の教法の心髄であると。さらに、迹門では前者は説くが後者は説かない。
 だから両者を重視せねばならなんという主旨なのでしょう。
 そして両者は最終的には密接に結びついて「法華経を受持する人間(の系譜=法脈)がそのまま久成仏となる=即身成仏」という結論に至るわけです。
久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり
 (「生死一大事血脈抄」、全集、p.1337)
  妙法受持と自然譲与
 しからば法華の信心の信の基調は何か。綱要導師の所論によると、こうである。世の人々は唱題・誦経を懈らない者や仏閣に参詣する者を信者と思っている。しかし信者とは言っても、その人が妙宗の信心のあるべき相貌(すがたふるまい)を正しく弁えること無くして、心地において自身の成仏に猶予を抱き狐疑を生じているならば、実は生疑不信の者でしかないのであって、真の法華の信者ではない。真の法華の行者にして信者は、妙法の功徳・力用とは何かを見聞して、あるべき正しい信心の真の相貌を弁えて、「妙法を受持すれば必ずや即身成仏(=受持の身に即して仏徳を成就)する」という心地を決定して狐疑を無からしめるべきである。「久成釈尊と妙法五字と我等衆生との三つ全く差別なく一法なり」と得意して、「因行果徳を具足する五字を受持すれば、自然に(=自らの功用を仮らずに妙法功力の自ずから然らしむるところに自らを任せることになって)彼の因果の功徳を受得して、三道(惑・業・苦)は三徳(法身・般若・解脱)と転じ住処娑婆は常寂光土と開かれて、我が身は即ち三身即一の久成仏となる」と信じて、唱題読誦して生死に於て恐れること無く臨終に至るまで疑わないことが、事の即身成仏を可能にする本化の信なのである。
 そしてこれが自然譲与段三十三字の趣旨でもあるという。
(伊藤瑞叡『日蓮精神の現代』、大蔵出版、1989年、pp. 198-199)

三吉さんへ(2/2)、
投稿者:Libra 00/10/10 Tue 12:33:33)

 レスありがとうございます。

 過去仏思想が健在であった時代と、無効になった時代との時代認識ですが、つまり「時代性」に併せて解釈を動かすことの方が、日蓮さんの主旨にあうんだ、というお立場じゃないでしょうか?
 で、あなたの見られている弊害とは「現代人の合理的思考、科学的論証」という物差しからは「ずれ」があるので、誤解・無理解を招きかねない点ではないでしょうか?
 ここで共通土俵を求めるとすれば、あなたの解釈は文上の日蓮さんとの「ずれ」があることです。あなたの解釈が文底の日蓮さんに適っているかどうかは、見解が分かれているという点です。

 「“釈尊=法華経”という形で現に仏は生き続けているし未来永劫生き続ける」とは、「釈尊=法華経→教法のはたらき、うながし」という形でまさに、あなたにも川蝉さんにも、もしかすれば私にさえ生きているのかもしれませんし、それ自体に異論はありません。
 ただ疑問は「教法のはたらき、うながし」というところまで釈尊=法華経を展開すれば、それは伝統的に「如」あるいは「実相」という概念に包括され、その具体的な展開は釈尊=法華経でも釈尊→阿弥陀=大無量寿経でも構わないことになりませんでしょうか?
 日蓮さんが釈尊=法華経に収斂した根拠は、、「迹門方便品の十如是の一念三千、開権顕実、二乗作仏の法門」と「釈尊の久遠実成の寿量品」です。
 十如是も一念三千も縁起や空をわかりやすく説明しただけのものならば、妙法華や天台の解釈はいりません。人格的釈尊の無量寿性を根拠にせず、教法の無量寿性をいうならば、法華経のみならず、他大乗経典に対する優位性は根拠を喪失します。
 現今の状況は、大無量寿経を根拠にする念仏者もまだまだ健在ですれば。

 原始仏教の立場ということですが、私はゴータマ・シッダルタ自体、過去仏思想の影響下にあったのではと睨んでます。根拠は、自分をバラモン(聖者)の一人と言っている教説。「生まれではなく、行いでバラモン(聖者)になる」と言ってる教説。ここから類推しても自分を悟ったものの最初だという認識はなかったのではと思います。まして釈尊と無関係に真実としての法は存在しており、それを釈尊は作ったのではなく、発見した、きづいただけとの認識ではないでしょうか?
 仏仏相念とか、「唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」なども、つまり妙法というのは仏に独立してあり、仏なら誰しもがわかるという思想上にあるのではと思います。
 私は引用の「教法と戒律を師とせよ」という遺言がまさしくシッダルタの遺教だと思います。しかしここには教法と戒律を「導き」とせよという意味で「擬人化」せよとも、その永遠性を鼓舞せよともありません。逆に仏教は、正法像法法滅思想や末法思想を産み出し、遺教では得道不可という見解に立ち、日蓮さんもその常識に乗っております。
 (念のために私はゴータマ・シッダルタ自体、大乗に比するとたいしたことないと思ってます)


あえて独自の訳を試みる必要はない
 いやいや私の言葉が悪かったです。一番知りたいのは日蓮さんがどの程度梵本を知っていたのかという点です。


広略を捨てて肝要を好む
 なるほど。日蓮さんはそれで充分であつたが、私の機根にはあってない。


天親も天台と同様に「南無妙法蓮華経」と唱えたということです
 なるほど。日蓮さんは世親や智■(豈+頁)が「南無妙法蓮華経」と唱えたと書いている。それは了解しました。その上で、日蓮さんは「南無一乗妙典」と書いてあるのを見て「南無妙法蓮華経」と唱えたと受け止めたということではないですか?
 あなたもおっしゃるように世親が「南無妙法蓮華経」と唱えたはずはありません。
 「なます インド名」の可能性はあなたの云われるとおりありますが、そのインド名の漢訳は「一乗妙典」ではありませんか?
 「一乗妙典」=「梵本法華経」であるという根拠はなんでしょうか?
 世親の著作のどれに該当するのでしょうか?


宗祖にとっては「南無妙法蓮華経」が何語で表現されているかということは問題ではなかったということです。内容(法体)が重要だということでしょう。
 念仏では世親が「浄土論」で「帰命尽十方無碍光如来」と言ったことになっていてこれは「南無阿弥陀仏」の漢訳とされてます。で、本尊は6字でも、10字でも、他にも色々ありますが「帰命無量寿如来」「南無不可思議光」とか、なんでも、法体はいっしょですので同様なものとして扱われてます。
 それに比して、日蓮さん系では「南無一乗妙典」の本尊は聞いたことがありませんが、それは何故でしょうか?
 日蓮さんは同義ならばなぜ「南無一乗妙典」の本尊を書かなかったのでしょうか?


保留にさせて下さい。
 了解です。


題目の根拠をわざわざ世親の論に求める必要性を強くは感じません。
 了解です。ただ日蓮さんは月水御書で「題目」の傍証として世親を出したということで、それは世親の何を根拠にしているのか私には興味があります。


久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し
 生死一大事血脈抄は真筆ですか?
 生死の二字において差別なしと書いてあるがどういことなのであろうか。
 更に、「千仏まで来迎し、手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し」とあり、これは来迎往生思想であり、成仏それ自体ではない。

Libraさん こんばんわ、
投稿者:三吉 00/10/11 Wed 00:19:13)

 三吉さん、こんにちは。


過去仏思想が健在であった時代と、無効になった時代との時代認識ですが、つまり「時代性」に併せて解釈を動かすことの方が、日蓮さんの主旨にあうんだ、というお立場じゃないでしょうか?
 「解釈を動かす」というより、“宗祖は「時」を見て、「機」を見て法を説かれた”という立場です。そして「時」も「機」も変わると。


で、あなたの見られている弊害とは「現代人の合理的思考、科学的論証」という物差しからは「ずれ」があるので、誤解・無理解を招きかねない点ではないでしょうか?
 というか、よって立っている基盤(自明とされている前提)が現代とは異なっているということです。宗祖の時代においては何の問題もなく大乗経典は仏説だと考えられていました。
 また、宗祖の時代の思考が非合理的だとは思いません。当時一般的に承認されていた前提からの論証過程そのものはちゃんと合理的だと思います。


ここで共通土俵を求めるとすれば、あなたの解釈は文上の日蓮さんとの「ずれ」があることです。
 僕は別に「ずれ」があってもいいと思っています。例えば、僕は華厳経が小乗経より先に説かれたとは僕は思ってません。宗祖も神ではありませんから、時代の制約から完全に自由というわけにはいきません。当然、僕の現段階の解釈も同じです。


あなたの解釈が文底の日蓮さんに適っているかどうかは、見解が分かれているという点です。
 僕の解釈はまだ一般的には承認されていません。そのことはさすがに自覚しています。


ただ疑問は「教法のはたらき、うながし」というところまで釈尊=法華経を展開すれば、それは伝統的に「如」あるいは「実相」という概念に包括され、その具体的な展開は釈尊=法華経でも釈尊→阿弥陀=大無量寿経でも構わないことになりませんでしょうか?
 法華経と大経では説かれている教えの内容(経典が語りかけてくる内容)がやはり違うと思います。故に、仮に法華経と大経をそれぞれ釈尊と見るにしても、その場合の「二人の(語りかけてくるところの)釈尊」は別の人格を持つと言うべきではないでしょうか。と言っても、大経についてはほとんど何も知りませんので、これから少しずつ勉強しようと思っています。またいろいろ教えて頂ければ幸いです。
 あと、“伝統的に「如」あるいは「実相」という概念に包括され”ということの意味がよく分かりませんので説明して頂ければ幸いです。


日蓮さんが釈尊=法華経に収斂した根拠は、、「迹門方便品の十如是の一念三千、開権顕実、二乗作仏の法門」と「釈尊の久遠実成の寿量品」です。
十如是も一念三千も縁起や空をわかりやすく説明しただけのものならば、妙法華や天台の解釈はいりません。
 「いりません」の意味がよく分かりません。すでに一般に承認されている「妙法華や天台の解釈」の価値を認めている以上、それに立脚して論を展開するというのはごく自然なことなのではないでしょうか?


人格的釈尊の無量寿性を根拠にせず、教法の無量寿性をいうならば、法華経のみならず、他大乗経典に対する優位性は根拠を喪失します。
 これは川蝉さんとの議論でもさんざん言いましたのでもう繰り返したくはないのですが、教法というのは釈尊の言葉でしょう。釈尊の言葉とは「人格的釈尊」そのものではありませんか?
 そもそも、インドの釈尊以前に仏教の歴史を遡って「無量寿性」を主張すること自体が現代においてはすでにナンセンスだと思います。

三吉さんへ(1/3)、
投稿者:Libra 00/10/11 Wed 12:43:54)


原始仏教の立場ということですが、私はゴータマ・シッダルタ自体、過去仏思想の影響下にあったのではと睨んでます。
 これは議論しても決着が着かない問題でしょう。古い原始仏典ほど釈尊の教えを純粋に伝えているとも思えませんし。


釈尊と無関係に真実としての法は存在しており、それを釈尊は作ったのではなく、発見した、きづいただけとの認識ではないでしょうか?
 これはその通りでしょうが、“最初に発見した人間”という自覚はあったかもしれませんよ。


私は引用の「教法と戒律を師とせよ」という遺言がまさしくシッダルタの遺教だと思います。しかしここには教法と戒律を「導き」とせよという意味で「擬人化」せよとも、その永遠性を鼓舞せよともありません。
 教法というのは釈尊の言葉でしょう。「教法を師とする」ということは、経典から語りかけてくる師の言葉を素直な気持ちで受け止め、よく考え、実践するということでしょう。また、三宝への帰依を止めたらもはや仏教ではありませんので、教法(法宝)は「永遠の師」だと思います。


逆に仏教は、正法像法法滅思想や末法思想を産み出し、遺教では得道不可という見解に立ち、日蓮さんもその常識に乗っております。
 宗祖は『法華経』の文底の三大秘法こそが末法の衆生を救うと言われていますが、三大秘法は“インドの釈尊が”文底に説きおかれたと言われています。


あえて独自の訳を試みる必要はない
 いやいや私の言葉が悪かったです。一番知りたいのは日蓮さんがどの程度梵本を知っていたのかという点です。
 これは正直言って不明です。


広略を捨てて肝要を好む
 なるほど。日蓮さんはそれで充分であつたが、私の機根にはあってない。
 読み手の機根を無視して法を説くというのはただの自己満足でしかないでしょう。
 残念ながら宗祖は三吉さんのような人は想定されてなかったようです。僕自身、数百年後の未来人は想定できません(^_^;)。

天親も天台と同様に「南無妙法蓮華経」と唱えたということです
 なるほど。日蓮さんは世親や智■(豈+頁)が「南無妙法蓮華経」と唱えたと書いている。それは了解しました。その上で、日蓮さんは「南無一乗妙典」と書いてあるのを見て「南無妙法蓮華経」と唱えたと受け止めたということではないですか?
 天台大師は「南無妙法蓮華経」と書いています。しかし、世親の著作(の漢訳)にはおそらく「南無妙法蓮華経」はないように思います(後述)。また「南無一乗妙典」もおそらくないでしょう。少なくとも宗祖は御覧になってないでしょう。もし知っておられたら月水御書のような言い方はされないはずです。


それに比して、日蓮さん系では「南無一乗妙典」の本尊は聞いたことがありませんが、それは何故でしょうか?
日蓮さんは同義ならばなぜ「南無一乗妙典」の本尊を書かなかったのでしょうか?
 法華経の経題の「妙法(サッダルマ)」は「縁起の法」を表し、「蓮華(プンダリーカ)」は「菩薩(行)」を表しているというのが僕の私見です。他にもいろんな経題釈があります。
 宗祖は「一応は同義だが、やはり南無妙法蓮華経と唱えなさい」と言われているわけです。「南無一乗妙典」よりも「南無妙法蓮華経」と唱えるべきであると言うだけの独自の経題釈を持っておられたのだと思います。

三吉さんへ(2/3)、
投稿者:Libra 00/10/11 Wed 12:44:38)

保留にさせて下さい。
 結論から言えば、世親の著作には「南無一乗妙典」も「南無妙法蓮華経」もないと思います(少なくとも宗祖は御覧になっていません)。宗祖は「撰時抄」で以下のように言われています。
彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願に云く「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも欝頭羅弗とはならじ」と云云。
 問うて云く竜樹天親等の論師の中に此の義ありや、答えて云く竜樹天親等は内心には存ぜさせ給うといえども言には此の義を宣べ給はず、求めて云くいかなる故にか宣給ざるや、答えて云く多くの故あり一には彼の時にも機なし二には時なし三には迹化なれば付嘱せられ給はず
(「撰時抄」、全集、p. 260)
 「竜樹天親等は内心には存ぜさせ給うといえども言には此の義を宣べ給はず」と言われています。
 ならばなぜ「内心には存ぜさせ給う」と言われているのか?おそらく摩訶止観巻五の「天親・竜樹内鑑冷然外適時宜」(大正46巻、p. 55)の文をそのように主体的に読み込まれたのだと思います。
去十月十日に付られ候し入道寺泊より還し候し時法門を書き遣わし候き推量候らむ、已に眼前なり仏滅後二千二百余年に月氏漢土日本一閻浮提の内に天親竜樹内鑑冷然外適時宜云云、天台伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや。
(「富木入道殿御返事」、全集、p. 955)

了解です。ただ日蓮さんは月水御書で「題目」の傍証として世親を出したということで、それは世親の何を根拠にしているのか私には興味があります。
 月水御書では、文脈から言って、“「題目」の傍証として世親を出した”というよりも、“「南無一乗妙典」ではなく「南無妙法蓮華経」と唱えるべきであるという主張の傍証として天台を出したところに、「世親もそうだったに違いない」という宗祖の私見が合体して表現されている”と言うことだと思います。「撰時抄」で「言には此の義を宣べ給はず」と言われていますので世親については文証はない(つまりは宗祖の私見)のだと思います。


久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し
 生死一大事血脈抄は真筆ですか?
 偽作論もあります。


生死の二字において差別なしと書いてあるがどういことなのであろうか。
 どういうことなんでしょうね(^_^;)。


更に、「千仏まで来迎し、手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し」とあり、これは来迎往生思想であり、成仏それ自体ではない。
 宗祖には「現世安穏・後世善処」(薬草喩品)の思想があります。釈尊が在家信者に「生天思想」を説いたのと同じようなことかなと理解しています。

 最後に、「方便品の読誦」と「“法華経=釈尊”観」の両方にからむ御書を、参考までに引用させて頂いて、今回はおしまいにします。

 方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり、されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給うを破し奉るなり
(「曾谷入道殿御返事」、全集、p. 1025)

三吉さんへ(3/3)、
投稿者:Libra 00/10/11 Wed 12:45:03)

 三吉さん、おはようございます。

 昨日の続きです。今日はちょっと論文口調で書かせて頂きます。

 A.「原始仏教の立場」についての解釈

原始仏教の立場ということですが、私はゴータマ・シッダルタ自体、過去仏思想の影響下にあったのではと睨んでます。根拠は、自分をバラモン(聖者)の一人と言っている教説。「生まれではなく、行いでバラモン(聖者)になる」と言ってる教説。ここから類推しても自分を悟ったものの最初だという認識はなかったのではと思います。
 上記のような主張に対しては以下のような反論が十分に成立すると思われる。

 1.長部経典は釈尊がバラモンたちを批判したことを伝えている。


合理的思惟 当時の思想や宗教体系を批判するにあたって、原始仏教の示した合理的思惟は注目すべきものがある。それは経験によって確かめられたものでなければ、何ものをも信じてはならないという態度である。
 ゴータマは手ひどいことばを使ってバラモンたちを批判している。バラモンの学問の伝承などいうものは、次のような人の列みたいなものである。
『前の人も見ていないし、中の人も見ていないし、後の人も見ていない。実にこれらのバラモンたちの語ることばは、笑うべく、名のみのもので、空虚なもので、虚妄のものであるということになる。』(1)
 それは譬えていえば、ある地方における代表的美女をまだ見たこともないのにかの女を恋慕しているというようなものである(2)。あるいは宮殿を見たこともないのに、それに登る梯子をつくろうとするようなものである(3)

 (1) DN. vol, I, p. 239  (2) DN. vol. I, p. 241  (3) DN. vol. I, p. 243
(中村元『原始仏教 その思想と生活』(NHKブックス)、日本放送出版協会、1970年、p. 53)



 2.釈尊は「(既成宗教に対する)信仰を捨てよ」と言われている。
 中村博士は『ダンマパダ』の第九七詩を注釈する中で次のように述べられている。


釈尊がさとりを開いたときの心境をうたった詩句には「信仰を捨てよ」ということがある。バラモン教や当時の諸宗教に対する信仰を捨てるのは当然のことであったであろう。ところが仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると、信仰を説くようになった。
(中村元訳『ブッダの 真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)、岩波書店、1978年、p. 93)

上記引用中、「バラモン教や当時の諸宗教に対する信仰を捨てるのは当然のことであった」という見解についてはその通りだと思う。しかし、最初期の仏教に信仰がなかったという見解には賛成できない。『ダンマパダ』の第一四四詩には「信仰」が説かれている。

一四四 鞭をあてられた良い馬のように勢いよく努め励めよ。信仰により、戒めにより、はげみにより、精神統一により、真理を確かに知ることにより、智慧と行ないを完成した人々は、思念をこらし、この少なからぬ苦しみを除けよ。

(同上、p. 30)

 袴谷憲昭氏は上のような中村博士の見解を批判して次のように言われている。

 さて、次の a の(3)は、同じく『スッタニパータ』における「信」だけの用例ですが、中村元博士は、これを「信仰を捨て去れ」と訳され、最初期の仏教に「信(saddha(_))」はなかったと断言されております。しかし、私は、この箇所を藤田宏達博士の説に賛同して、中村博士とは逆に「信仰を向けよ」と説かれているものと理解しますし、同(3)の参考欄にも示しました『律蔵』「大品」を私は「およそ耳もてしものたちすべてに甘露の門は開かれたり、信仰を向けよ。」という意味に理解し、この時に甘露の門である縁起の教え、即ち仏教が始めて成立したのだと考えます。
(袴谷憲昭『本覚思想批判』、大蔵出版、1989年、pp. 297-298)


三吉さんへ(1/4)、
投稿者:Libra 00/10/12 Thu 12:39:37)

 また、別のところ(仏教は当時の土着思想であった「アートマンの思想」に対する批判として登場したと主張しているところ)で、袴谷氏は次のようにも言われている。


 しかし、先の『律蔵』「大品」の場面から、右に指摘したような主張が成り立つとしても、仏教学者のなかには、この最初の場面を文字どおり最初とは信じず、より古層の文献に仏教の真相を見出さんとするものも多いのが実情であるが、私は古ければなんでも正しいなどというふうには全く考えていない。むしろ、批判的な世の通念に逆らった縁起の考えが、釈尊によって始めて明瞭に説かれた後になって、逆に、その批判的な危険な考えを隠すために、古くより人口に膾炙し土着化したヴェーダやジャイナの文献とも共通するようになっていた格言的詩句が後世に付加された場合の方が多かったのではないかとさえ思っている。だから、古いものはむしろ偽物と考えた方がよいくらいなものであるが、恐らく、古いことだけを尚ぶ人は、本当の仏教のシッポすら掴めないであろう。逆に、ずっと新しいが、この最初の場面を真正面から意識して書かれたのが『法華経』の「方便品」だったと言わなければならないのである。
(同上、p. 12)

 『律蔵』「大品」では釈尊がよく理解したところの縁起の法は、「世の通念に逆らった巧妙で深遠で知り難い繊細なもの」であると説かれている(袴谷前掲書p. 11参照)。これによれば「縁起の法」は“前代未聞の真に革新的な思想”だったということになる。


 3.釈尊は「みずからさとったのであって、誰を師と呼ぼうか」と言われている。
 『ダンマパダ』第三五三詩がそれを伝えている。


三五三 われはすべてに打ち勝ち、すべてを知り、あらゆることがらに関して汚されていない。すべてを捨てて、愛欲は尽きたので、こころは解脱している。みずからさとったのであって、誰を〔師と〕呼ぼうか。

(中村元訳『ブッダの 真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)、岩波書店、978年、p. 59)


 B.『大パリニッバーナ経』と『法華経』「寿命量品」の類似性
 すでに引用した『大パリニッバーナ経』の第六章第一詩と合わせて、以下に『大パリニッバーナ経』から四つの詩句を引用する。


九 このように言われたので、尊師は悪魔に次のように言われた、「悪しき者よ。汝は心あせるな。久しからずして修行完成者のニルヴァーナが起るであろう。いまから三ヶ月過ぎて後に修行完成者は亡くなるであろう」と。

(「大パリニッバーナ経」、第三章第九詩。中村元訳『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)、岩波書店、1980年、p. 71)


五一 そこで尊師は修行僧たちに告げられた、「さあ、修行僧たちよ。わたしはいまお前たちに告げよう、──もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成させなさい。久しからずして修行完成者は亡くなるだろう。これから三ヶ月過ぎたのちに、修行完成者は亡くなるだろう」と。
 尊師、幸いな人、師はこのように説かれた。このように説いたあとで、さらに次のように言われた。──

「わが齢は熟した。
わが余命はいくばくもない。
汝らを捨てて、わたしは行くであろう。
わたしは自己に帰依することをなしとげた。
汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、
よく戒めをたもて。
その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。
この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生れをくりかえす輪廻をすてて、
苦しみも終滅するであろう」と。
(「大パリニッバーナ経」、第三章第五一詩。同上、pp. 96-97)

三吉さんへ(2/4)、
投稿者:Libra 00/10/12 Thu 12:40:08)


一 そこで尊師は若き人アーナンダに告げられた。──
「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、
『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。
しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。

(「大パリニッバーナ経」、第六章第一詩。同上、p. 155)


(釈尊が亡くなったときに)まだ愛執を離れていない若干の修行僧は、両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち廻り、ころがった、──「尊師はあまりにも早くお亡くなりになりました。善き幸いな方はあまりにも早くお亡くなりになりました。世の中の眼はあまりにも早くお隠れになりました」と言って。
(「大パリニッバーナ経」、第六章第一○詩より。同上、p. 161)

 上に引用した詩の中の最初の詩(第三章第九詩)の注釈の中で、中村博士は次のように言われている。

 いまから三ヶ月過ぎて後に・・・亡くなるであろう──この場合、釈尊がこの世になお永く留まるようにアーナンダが釈尊に懇請すべきであるというヒントを、釈尊がアーナンダに与えるのであるが、アーナンダは悪魔にとりつかれていたために、そのように懇請しなかった。そこで釈尊はみずからの意志で、残りの寿命をすててしまうのである。釈尊は、三ヶ月後にはみずから入滅すると悪魔に告げる。
 古代インドでは英雄ビーシマ(Bhi(_)sma)のような人は「決意によって死ぬ」(iccha(_)marana)ことのできる人であると考えられていた。この観念が偉人と仰がれた釈尊に移されたのである。釈尊は永く生きようと思えばできるのであるが、決意によって入滅するということは何を意味するかについて、後代の仏教徒の学者の間では盛んに論議されるのである。(Padmanabh S. Jaini: Buddha's Prolongation of Life, BSOAS. vol. XXI, part3, 1958, pp. 546-552.)良く考えてみると、このようなテーマのとりあげかたは『法華経』の場合と本質的に異なっていない。この意味において『法華経』の精神は原始仏教に由来しているということができる。またこの観念は浄土経典にも継承されている。『アーナンダよ、如来は、もしそうしようと思えば、一食分の施された食物で、一劫のあいだ住することができるであろう。あるいは百劫も、あるいは千劫、あるいは百千億、百万劫に至るまでも、あるいはそれを過ぎても、なお住することができるであろう。』(Sukha(_)vati(_)vyu(_)ha 2, p. 4)。しかしいま伝説や神話の釈尊ではなくて、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの実際の生涯を明らかにするという立場に立つならば、右の神話は、排除して考えなければならない。
(同上、pp. 239-240)

 中村博士が「『法華経』の精神は原始仏教に由来している」と指摘されているのは卓見だと思うが、結局「歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの実際の生涯を明らかにするという立場に立つならば、右の神話は、排除して考えなければならない」とされて、その神話的表現の意味をそれ以上考察されなかったのは非常に残念であると言わざるを得ない。

三吉さんへ(3/4)、
投稿者:Libra 00/10/12 Thu 12:41:11)

 仏典に現れる別の神話的表現(「梵天の勧請」)に関して、増谷文雄氏は以下のように述べられている。


 だが、ブッダはやがて、否定の側に傾いていた心をひるがえして、ついに、説法の決意をかためるにいたる。その心理的転換の経緯を、この経は、「梵天の勧請」という神話的手法をもって描き出している。梵天(Brahma(_))というのは、インドの古神であって、その神がブッダの心中を知り、ブッダを拝して、説法をなしたまえと勧請するのである。それは美しく、かつ巧みな構成である。だが、ブッダの決意の真相はけっして、そのような客観的なものではなかったにちがいない。
 思うに、古代人の文学的手法は、ほとんど心理描写を欠くことを一つの特徴とする。彼らは、しばしば、心理的過程を客観的に描き出す。心中に悪しき思いが頭を擡げると、悪魔のささやきをもって表現する。すぐれた思いが心中に浮んだ時には、梵天がすがたを現ずるのである。それが、仏教経典の文学形式の定法である。
(増谷文雄『仏教概論』(現代人の仏教12)、筑摩書房、1965年、p. 111)

 我々は神話的表現で象徴的に表現されているものの意味を把握しなければならない。
 さて、『法華経』「寿量品」の内容をよく知っている者にとっては、この『大パリニッバーナ経』の上記の「象徴的表現」が意味するものについて、少し考察しさえすれば、自然と『法華経』「寿量品」との類似性に気がつくであろう。『大パリニッバーナ経』において、釈尊に入滅を決意させたと説かれているところの「アーナンダにとりついた悪魔」とは「寿量品」で言われる「(〔小+喬〕)恣の心」と同じである。
 すなわち、“アーナンダは悪魔にとりつかれていた”ということの意味は、“アーナンダの「仏には値い難し」という思いが希薄になっていた”ということだと思われる。

常にわれを見るをもっての故に 而ち(〔小+喬〕)恣の心を生じ
放逸にして五欲に著み 悪道の中に堕ちなん
(岩波版『法華経』(下)、p. 35〔註:p. 34の誤り〕

 また、「寿量品」の「良医の譬」においては、父である良医は、父を目の当たりに見てすら良薬をどうしても口にしようとしない子供のために、あえて一旦国外に出て使いを遣わし、「汝等の父は既に死せり」と子供らに告げさせる。それを聞いた子供らはひどく悲しみ父親に対する恋慕の心を猛烈に起こす。ちょうど上で引用した『大パリニッバーナ経』の四つの詩のうちの最後の詩(第六章第一○詩)のように。そしてやっと子供らは良薬を服用して病は全治するのである。このことをよく考える時、“『法華経』の精神は原始仏教に由来している”ということの真の意味がよく分かると思われる。そして寿量品の肝心が「南無妙法蓮華経」であるということの意味も。

三吉さんへ(4/4)、
投稿者:Libra 00/10/12 Thu 12:43:17)


2000.10.12
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