宇宙生命論は仏教ではない

 季節が変わったせいか、なんとなく、自分の考えを「雑記」という形ででも書いてみようかという気持ちになりました。

 記念すべき第一回めは、創価学会で説かれている「宇宙生命論」について、思うところを素直に書いてみようと思います。結論から言えば、僕は「宇宙生命論」はウパニシャッド哲学の「梵我一如」の思想であって仏教思想ではないと考えます。

 いきなり「宇宙生命論」などと言ってもご存知無い方がおられるかもしれませんので、少し説明します。僕が「宇宙生命論」と言っているのは現在も創価学会で説かれている以下のような考え方のことです。

本来、仏教は、生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る。それが釈尊の悟りです。それを「縁起」とも言い、「空」とも言い、「妙法」とも言うのです。
(池田大作他『法華経の智慧』第3巻、聖教新聞社、p. 129)
「仏とは何か」を追求し抜いて、仏とはほかならぬ自分のことであり、宇宙の大生命であり、それらは一体であるとわかった。
 “足下を掘れ、そこに泉あり”という言葉は有名だが、自身の根源を堀り下げていく時、そこに万人に共通する生命の基盤が現れてきた。それが永遠の宇宙生命です。

(同上、p. 328)
 上のような考えは、明らかにウパニシャッド哲学の「梵我一如」と同じ構造をもっています〔05.08.25 補足〕。そして、“仏教(釈尊)は「梵我一如」を否定した”と僕は考えていますから〔05.09.02 補足1〕、当然、“宇宙生命論は仏教ではない”という結論になります。詳しくは「資料集」松本氏の主張(001)及び袴谷氏の主張(002)をご参照下さい。

 こんなことを書くと多くの創価学会員の方々の反感を買ってしまうかもしれません。なぜなら戸田城聖第二代会長の無量義経解釈であるところの「生命論」は「創価学会の原点」だと言われており、「宇宙生命論」はその根幹だからです。

 ともあれ学会は、生命論に始まり、生命論に終わるといってよい。「仏とは生命なり」──戸田先生の悟達に、創価学会の原点があったのです。
池田大作他『法華経の智慧』第1巻、聖教新聞社、p. 40)
 しかし、どう解釈しても“宇宙生命論は仏教ではない”と僕には思えるので、たとえ創価学会員の方々の反感を買う結果になろうとも、ありのままそのように言うしかありません。
本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからずいづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又法門によりては設い王のせめなりともはばかるべからず何に況や其の已下の人をや、父母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに
(「破良観等御書」、堀日亨編『日蓮大聖人御書全集』〔以下、『全集』と略記〕、創価学会、1952年、p. 1293)
 また、「宇宙生命論」は法華経寿量品の「久遠仏」と結びつけて説かれることも多いのですが、「久遠仏」の中心はあくまでも「報身仏」であり「有始無終」ですから、「宇宙生命」ではありえません〔05.09.02 補足2〕。詳しくは掲示板過去ログの議論をご参照下さい。

 なんだかごちゃごちゃと書いてしまいましたが、今回僕が言いたかったことはただ一つ、“宇宙生命論は仏教ではない”ということです。もちろん僕のこのような主張が間違っている可能性はあります。ですから、僕の誤りを論理的に指摘して下さる方がおられれば大歓迎いたします。「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」です。是非メールにてご指摘下さい。よろしくお願い致します。

2000.10.03
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http://fallibilism.web.fc2.com/z001.html


〔01.03.30訂正〕
打ち込みミスを修正
(誤)「報身仏」であり「有始終」
               ↓
(正)「報身仏」であり「有始終」


〔01.05.11付記〕
 先ごろ、「創価学会関連リンク集」掲示板にて、“創価学会の宇宙生命論はブラフマニズムであり、密教であり、非仏教への転落である”ということを改めて詳しく論証しました。参照して頂ければ幸いです。「創価学会関連リンク集」掲示板には検索機能を備えた過去ログがあり便利です。当ホームページにも当該議論を書写してあります(ここからここまで)のでご利用下さい。


〔01.10.06 付記〕
 「宇宙生命論」の具体的な問題点については、資料のNo. 056「創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)」を参照されたい。その「引用者註1」では宇宙生命論とブラフマニズムとの関係について触れておいた。


〔02.05.18 付記〕
 以下の Leo氏の御論考では、実際の学会指導に即して「宇宙生命論」の問題点が明快に指摘されている。

ノートNo.008 宇宙生命論の悪弊
http://fallibilism.web.fc2.com/note008.html


〔02.06.01 付記〕
 「生命論」について批判的に考察している、以下の論文の存在を本日知った(この論文では、松戸行雄氏の凡夫本仏論の問題点についても詳しく論じられている)。

渋沢光紀「宗教と科学について−ニューエイジ批判を通しての一考察−」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm
 この論文で、渋沢氏は、『大正生命主義と現代』(河出書房新社、1995年)での鈴木貞美氏や森岡正博氏の議論を援用しつつ、「生命主義」の「全体論(ホーリズム)の危険性」「他者性の欠落の問題」を指摘されているが、その議論は妥当であると私も思う。渋沢氏は「プラトン的構図」に対しても批判的であるが、上記の指摘とも関連して、渋沢氏の考えにはポパーの思想との間に親縁性が見られるようにも思った。ポパーのプラトン批判については、小河原誠「ポパーとプラトン──認識論と政治のかかわり──」(ポパー哲学研究会編『批判的合理主義──第1巻:基本的諸問題』、未來社、2001年、pp. 230-239)を参照されたい。

私が「真の合理主義」と呼ぶのは、ソクラテスの合理主義である。この合理主義を成立させているのは、自分が様々に制約されていることの意識であり、自分たちがしばしば誤りを犯すということ、ならびに、誤ったということを知るのにさえ他人に大きく依存していることを知っている者の知的謙虚さである。

(K.R.ポパー著・小河原誠他訳『開かれた社会とその敵 第二部』、未來社、1980年、pp. 209-210)



 私が「擬似合理主義」と呼ぶのは、プラトンの知的直観主義である。それは、自己の卓越した知的才能への不遜極まる信仰であり、秘伝を伝授されているし、確定的にそして権威づきで知っているという主張である。(中略)この権威主義的な主知主義、発見の不可謬の道具あるいは不可謬の方法を所有しているというこの信仰、人間の知的能力と、人間は自分がおそらく知りうる或いは理解しうる一切を他人に負うているということを区別するにあたってのこの失敗、この擬似合理主義、これらがしばしば「合理主義」と呼ばれているのだが、しかし、それは、われわれがこの名称で呼ぶところのものとは正反対のものである。

(同上、p.210)


   そもそも、釈尊は「縁起」を説いたのであるから、釈尊自身、「自分が様々に制約されていることの意識」を持っていたにちがいない。従って、釈尊が「宇宙生命論」のような<他者性を欠落した思想>を肯定するはずはない。そういう意味からも、「宇宙生命論」は全く仏教ではありえない。


〔05.08.25 補足〕
 現在の創価学会の本尊は密教と同じく「宇宙生命」ですから[*1]、「梵我一如思想」が創価学会で説かれているのは当然の結果だと思います。もっとも、当の創価学会員の人たちには、自分たちの考えが密教と全く同じものであるという自覚は全くありませんが。
 島薗進先生が、新宗教の中にみられる「自立を抑制する要素」の一つとして「体験主義的な考え方」というものを挙げておられますが[*2]、創価学会の「梵我一如思想」も、その「体験主義的な考え方」の一つだと思います。「神秘主義的な傾向をもつ宗教は、宗教的な生活だけではなく、日常生活においても、師に対して絶対的な服従を求める[*3]ものなのでしょう。
 さて、このような現在の創価学会の本尊観に対しまして、日蓮聖人ご自身の本尊観はどうなのかといいますと、日蓮聖人の本尊は法華経ということになります[*4]。法華経の中でも「上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字[*5]です。この五字の中身は何か、すなわち、五字には何がつつまれているのかというと、それは「一念三千の法門」です[*6]。「一念三千の法門」というと難しく聞こえるかもしれませんが、その本質は、「悪人というのは名称に過ぎず、悪人という固定的な存在はない。今、良心にしたがって生きているから、この人は、今、善い人なのだ[*7]という「空・縁起の思想」であると理解してよいと思います[*8]。法華経が「二乗作仏」を説いているのも同じ趣旨だと思います。そして、いうまでもなく、「梵我一如思想」(創価学会で現在説かれている思想)と「空・縁起の思想」(仏教思想)とは「敵対する[*9]思想です[*10][*11]

[*1] 本尊観について(最後の部分)
   http://fallibilism.web.fc2.com/note006.html
[*2] 「自立」を抑制する要素(島薗進)
   http://fallibilism.web.fc2.com/043.html
[*3] 神秘主義的宗教は師に対して絶対的な服従を求める(松長有慶)
   http://fallibilism.web.fc2.com/046.html
[*4] 「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。 釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より生し給へり。故に今能生を以て本尊とするなり。」(「本尊問答抄」)
[*5] 「日蓮は広略を捨てて肝要を好む。所謂、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字也。」(「法華取要抄」)
[*6] 「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(「観心本尊抄」)
[*7] ブッダ、因果を超える(友岡雅弥)
   http://fallibilism.web.fc2.com/080.html
[*8] 一念三千説は一切法のあり方を無自性と説く(新田雅章)
   http://fallibilism.web.fc2.com/122.html
[*9] 平川彰『インド仏教史 上』春秋社、1974年、pp. 9-10。
   http://fallibilism.web.fc2.com/001.html#20
[*10] 仏教の消滅(小川一乗)
   http://fallibilism.web.fc2.com/060.html
[*11] 原始仏教における生命観(高橋審也)
   http://fallibilism.web.fc2.com/059.html

〔05.09.02 補足1〕
 以下を参照されてください。

「仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)」に付した〔引用者註2〕
http://fallibilism.web.fc2.com/082.html#L_2

〔05.09.02 補足2〕
 寿量品には「我本行菩薩道」とあります。《久遠仏は菩薩行によって仏となった》と法華経には説かれているわけです。また、日蓮は「本門の教主釈尊を本尊とすべし[*1]といっていますが、この教主釈尊には「初発心」があったとされています[*2]。したがって、寿量品で説かれている久遠仏(日蓮がいうところの「本門の教主釈尊」)を「永遠の宇宙生命」なるものと結びつけるのは明らかに誤りです。
 「永遠の宇宙生命」のお話というのは、新宗教にはよくあるお話ですから[*3]、決してめずらしいものではありませんが、創価学会においては、戸田城聖第二代会長によっていわれはじめたものです。法華経の久遠仏は「永遠の宇宙生命」とは決定的に異なりますから、さすがの戸田第二代会長も、法華経を読まれて「永遠の宇宙生命」のお話を言い出されたわけではありません。では何にもとづいて言い出されたのかといいますと、無量義経なのです[*4]。なるほど、無量義経からだというのであれば、「永遠の宇宙生命」のお話が引き出されるのはむしろ当然のことでしょう。無量義経は「根源的実在を立てる」中国仏教[*5]の産物ですし[*6]、実際、無量義経は、根源的実在を説く我説[*7]とそっくりそのまま同じ内容を説いていますから。
 以上のことを理解して頂ければ、宇宙生命論者が日蓮の曼荼羅を選ぶのはおかしいということがお分かり頂けることと思います。日蓮にとっては《法華経=教主釈尊》です[*8]。そして、日蓮は、法華経の中でも「上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字[*9]を選んでいます。ですから、日蓮は、曼荼羅において、「本門の教主釈尊」を五字(妙法蓮華経)で表現しているのです[*10]。宇宙生命論者の方々には、《日蓮の曼荼羅の中尊は「永遠の宇宙生命」などではない》ということをぜひ理解して頂きたいと思います。「永遠の宇宙生命」を本尊とされるのであれば、間違って日蓮の曼荼羅をお選びにならないようお願いいたします。

[*1] 「報恩抄」、全集、p. 328。
[*2] 「我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」(「観心本尊抄」、全集、p. 253)
[*3] 新宗教における生命主義的救済観(対馬路人 他)
   http://fallibilism.web.fc2.com/041.html
[*4] 戸田城聖の悟達と『無量義経』の「三十四の否定」(池田大作)
   http://fallibilism.web.fc2.com/054.html
[*5] 中国仏教の底流─万物一体の思想(伊藤隆寿)
   http://fallibilism.web.fc2.com/081.html
[*6] 『無量義経』は中国で作られた偽経(菅野博史)
   http://fallibilism.web.fc2.com/050.html
[*7] ヤージュニャヴァルキャの「我説」(袴谷憲昭)
   http://fallibilism.web.fc2.com/049.html
[*8] 日蓮は『法華経』=釈迦仏と主張(末木文美士)
   http://fallibilism.web.fc2.com/120.html
[*9] 「日蓮は広略を捨てて肝要を好む。所謂、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字也。」(「法華取要抄」、全集、p. 336)
[*10] 本尊論メモ
   http://fallibilism.web.fc2.com/z013.html




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