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┣□┓論文集
┃ ┗「如来蔵思想批判」の批判的検討
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┣□┓雑記
┃ ┣宇宙生命論は仏教ではない
┃ ┣日蓮は広略を捨てて肝要を好む
┃ ┣続・日蓮は広略を捨てて肝要を好む
┃ ┣折伏は慈悲が根本
┃ ┣日蓮は広略を捨てて肝要を好む(完結編)
┃ ┣輪廻説は仏教ではない
┃ ┣秋谷会長への手紙
┃ ┣初期興門教学には「大石寺流宗祖本仏思想」はなかった
┃ ┣法華経を師匠と御憑み候へ
┃ ┣曽我逸郎さんとの対話
┃ ┣「無我」と「非我」は違うか?
┃ ┣縁起と空
┃ ┣本尊論メモ
┃ ┣仏身論メモ
┃ ┣タツノコさんとの対話
┃ ┣タツノコさんとの対話2─戸田先生の宇宙生命論について─
┃ ┣釈尊が「西紀前949年に入滅した」などということはありえない
┃ ┣創価学会は「生命の変形の被害者」と「釈迦仏の御敵」の集りか?
┃ ┣題目論メモ
┃ ┣蓮華不染喩のパドマと経題のプンダリーカについて
┃ ┣犀角独歩さんとの対話
┃ ┣本仏と真仏
┃ ┣対話主義と可謬主義
┃ ┣題目は呪文ではない
┃ ┣問答迷人さんとの対話
┃ ┣ポパーの真理論などについて(小河原先生からのご回答)
┃ ┣反創価連盟さんの置き土産
┃ ┣宇宙生命論を破す(Leo)
┃ ┣本尊観について(Leo)
┃ ┗宇宙生命論の悪弊(Leo)
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┣□┓書写(他サイトでのLibraの発言の記録)
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┃ ┣■┓「創価学会関連リンク集」掲示板
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┃ ┣■┓みんなで歩こう菩薩の道
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┃ ┣■┓Yahoo!掲示板「創価学会と日蓮正宗」
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┃ ┣■┓Yahoo!掲示板「創価学会の学会員によるトピ」
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┃ ┣■┓創価山立宗寺の「VedaBBS」
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┃ ┣■┓創価学会応援隊・会議室2
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┃ ┣■┓創価学会をみんなで考えよう
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┃ ┃ ┣「仏教の源流から」スレッド 主な発言 その1〜8、付録1〜3
┃ ┃ ┣「「学会員の対話能力 」スレッド
┃ ┃ ┣「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド
┃ ┃ ┣「「開会」「死活の法門」研鑽!【絶待妙】【相待妙】って何?」スレッド
┃ ┃ ┣独り言スレッドvol.4
┃ ┃ ┣池田大作作小説人間革命批判
┃ ┃ ┗マインドコントロールについて
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┃ ┣■┓「Enjoylife」 BLOG
┃ ┃ ┣自性・無自性について
┃ ┃ ┣「仏教の源流から」スレッド 主な発言 その1〜8、付録1〜3
┃ ┃ ┣輪廻転生について
┃ ┃ ┣日蓮(大聖人)も真っ青
┃ ┃ ┣釈迦が肯定する信仰
┃ ┃ ┗対話と議論
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┃ ┣■┓「Enjoylife」 BBS
┃ ┃ ┣試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について
┃ ┃ ┣法華経について
┃ ┃ ┣「客観的事実」とは?
┃ ┃ ┣日蓮考察
┃ ┃ ┗議論しませんか?(議題検討スレ)
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┃   ┣この掲示板の目的と使用上のルール
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┃   ┣創価学会に関する批判的考察
┃   ┣《日蓮本仏論》再考
┃   ┣《対話主義と可謬主義》
┃   ┗掲示板を再開
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┗□┓資料集
  ┣001. 如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)
  ┣002. 如来蔵思想と法華経(袴谷憲昭)
  ┣003. 「無知」をはっきり知ることは難しい(袴谷憲昭)
  ┣004. 〈典拠への参照〉(『大パリニッバーナ経』)
  ┣005. 真の知性人とは(伊藤瑞叡)
  ┣006. 異論が起こったときには、道理によってよく説き伏せて(『大パリニッバーナ経』)
  ┣007. 最後は自分の信念によって選びとるしかない(田村芳朗)
  ┣008. 『スッタニパータ』vs.『ダンマパダ』(袴谷憲昭)
  ┣009. 『スッタニパータ』の立場は「ジャイナ教的相対主義」(松本史朗)
  ┣010. 宗門の学は、法華経に対する信心の欠落の状態にある(伊藤瑞叡)
  ┣011. 真実ならざることは真実ならざることとして否定しなければならない(袴谷憲昭)
  ┣012. 「われを善き友として」(増谷文雄)
  ┣013. エゴイズムの昇華(友岡雅弥)
  ┣014. 頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  ┣015. 意志と業(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)
  ┣016.『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
  ┣017. 議論の世界からの離脱は、たんなる逃亡にすぎない(小河原誠)
  ┣018. 正当化主義と非正当化主義―汎批判的合理主義(小河原誠)
  ┣019. 「空」― 断固たる否定の精神(三枝充悳)
  ┣020. 生き続ける「形のない釈尊」(三枝充悳)
  ┣021. 中国における教判の形成の必然性(菅野博史)
  ┣022. タントラ仏教はブラフマニズム的宗教(吉水千鶴子)
  ┣023. 空無我の思想と本性心の思想とが両立し得るとは考え難い(藤田正浩)
  ┣024. 信仰的模倣時代から理性の時代へ(牧口常三郎)
  ┣025. 依法不依人(牧口常三郎)
  ┣026. 英雄は四面楚歌の苦境に堅忍奮闘して漸く勝利を得る(牧口常三郎)
  ┣027. 弟子の批判を許容する精神(小河原誠)
  ┣028. 釈尊は祈祷や呪術に応じて魔力をふるう神秘を退けた(三枝充悳)
  ┣029. 四阿含経までも「小乗仏教」と呼ぶのは誤り(三枝充悳)
  ┣030. 人文科学の研究者は苦難の道を歩まねばならぬ(中村元)
  ┣031. サンガは構成員全員の合議にもとづく(宮元啓一)
  ┣032. 「一切」とか「世界」とかいう発想は明確に反仏教的なものだ(松本史朗)
  ┣033. 大宇宙と小宇宙の一体を体得する道─ヒンドゥ教・タントラ(松長有慶)
  ┣034. マクロコスモスとミクロコスモスが本来的に一体(松長宥勝)
  ┣035. 宇宙生命それじたいを本体とする法身大日如来(宮坂宥勝)
  ┣036. 全宇宙が仏陀の姿─華厳思想(渡辺照宏)
  ┣037. 密教の「入我我入」(頼富本宏)
  ┣038. 比丘たちは呪術禁止のいましめを守りとおせなかった(松長有慶)
  ┣039. 相対主義批判(小河原誠)
  ┣040. 仏教学を離れた仏教評論などはまったく成立の余地がない(三枝充悳)
  ┣041. 新宗教における生命主義的救済観(対馬路人 他)
  ┣042. 呪縛からの解放─法華経の宗教性(友岡雅弥)
  ┣043. 「自立」を抑制する要素(島薗進)
  ┣044. 仏教の師弟関係(中村元)
  ┣045. 仲間が仲間にたずねるようにたずねなさい(『大パリニッバーナ経』)
  ┣046. 神秘主義的宗教は師に対して絶対的な服従を求める(松長有慶)
  ┣047. 大乗『涅槃経』の後半で説かれる仏性思想(藤井教公)
  ┣048. ブッダと「汎批判的合理主義」(小河原誠)
  ┣049. ヤージュニャヴァルキャの「我説」(袴谷憲昭)
  ┣050. 『無量義経』は中国で作られた偽経(菅野博史)
  ┣051. 初期仏教の心論は「染浄和合説」(藤田正浩)
  ┣052. 「不生不滅の法性」─「空」についての大きな誤解(小川一乗)
  ┣053. フッサール現象学の動的性格(谷徹)
  ┣054. 戸田城聖の悟達と『無量義経』の「三十四の否定」(池田大作)
  ┣055. 公明正大の方法によつて、最も自由に徹底的の討議を(牧口常三郎)
  ┣056. 創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
  ┣057. 肯定的証拠をいくら積み重ねても理論の正しさは証明されない(小河原誠)
  ┣058. しゃくし【釈子】(『仏教哲学大辞典』)
  ┣059. 原始仏教における生命観(高橋審也)
  ┣060. 仏教の消滅(小川一乗)
  ┣061. 密教の即身成仏は作り話(小川一乗)
  ┣062. 日蓮久遠本仏論批判(松戸行雄)
  ┣063. 勤行─大宇宙と自身の生命交流の儀式(「やさしい教学」『聖教新聞』)
  ┣064. 大宇宙即御本尊(戸田城聖・池田大作)
  ┣065. 上行菩薩即日蓮聖人(牧口常三郎)
  ┣066. 宇宙の中心生命であるブラフマン(高校の世界史の参考書)
  ┣067. 大聖人「釈尊に還れ」(『聖教新聞』寸鉄)
  ┣068. 学問と礼節、無我と慈悲、宗教的時間と日常的時間(松本史朗)
  ┣069. 仏教の真理に目覚めるということを抜きにした慈悲行などはあり得ない(小川一乗)
  ┣070. 輪廻思想と無我思想の調和は不可能(和辻哲郎)
  ┣071. 玉城康四郎説批判─根源℃v想は仏教にあらず(松本史朗)
  ┣072. 肯定と批判と無知と無視─無視≠ニいうことが最悪(松本史朗)
  ┣073. 波と海のたとえ─たとえ話の危険性(小川一乗)
  ┣074. 五蘊無我説─有身見の否定(小川一乗)
  ┣075. 無自性=正因仏性(藤井教公)
  ┣076. 蓮華三昧経の法華経曼荼羅の構成(水上文義)
  ┣077. 釈尊は輪廻転生説を否定した(小川一乗)
  ┣078. 輪廻思想は仏教本来の思想か(舟橋尚哉)
  ┣079. 三時業説批判(角田泰隆)
  ┣080. ブッダ、因果を超える(友岡雅弥)
  ┣081. 中国仏教の底流─万物一体の思想(伊藤隆寿)
  ┣082. 仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)
  ┣083. ポパーの倫理思想(小河原誠)
  ┣084. 経典に向かうものは熟練した潜水者であることが必要(増谷文雄)
  ┣085. 「法を見ざる者はわたしを見ない」(増谷文雄)
  ┣086. 「自性」の否定─『根本中論偈』の「自性の考察」(小川一乗)
  ┣087. 『中論』における「自性」の二つの語義(松本史朗)
  ┣088. 「自性」「性」「本性」(『岩波仏教辞典』)
  ┣089. 無我説と非我説(羽矢辰夫)
  ┣090. 「選択」とは(小川一乗)
  ┣091. 恥ずかしい一夏の霊体験(皆神龍太郎)
  ┣092. ハンセン病 謝罪決議文の要旨(曹洞宗宗議会)
  ┣093. 批判的外在主義(袴谷憲昭)
  ┣094. 〈犀の角〉(『スッタニパータ』)
  ┣095. 「理解」のソクラテス的な定義(キルケゴール)
  ┣096. 智ギ〔豈+頁〕の三身論と『起信論』の本覚思想(花野充道)
  ┣097. 寿量品は末法のために説かれた(池田大作)
  ┣098. 初期興門教学には「唯授一人血脈相承論」などなかった(小林正博)
  ┣099. 同一理に支えられた同一相貌の御本尊は同質同体(浅井円道)
  ┣100. 久遠実成の釈尊は娑婆世界に生きる永遠の仏(池田大作・斉藤克司)
  ┣101. 「印籠教学」だけでは、松戸・小林の新説を覆すことは難しそう(西山茂)
  ┣102. 「五人所破抄見聞」は妙蓮寺日眼の著作ではない(宮崎英修)
  ┣103. ブッダの不動の確信は最初の説法に成功した時に成った(増谷文雄)
  ┣104. 「宗学的立場」と「批評的立場」(本田義英)
  ┣105. 法華経の生命を体現しつつある者が、すなわち法華経(姉崎正治)
  ┣106. 日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)
  ┣107. 本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  ┣108. 日蓮大聖人の「釈尊御領観」(佐藤弘夫)
  ┣109. ほらふき男爵のトリレンマ──論証は正当化をなしえない(小河原誠)
  ┣110. 論争における勝利にはなんの価値もない(カール・ポパー)
  ┣111. フレームワークの神話(カール・ポパー)
  ┣112. 精神の健全さと病気の違い(カール・ポパー)
  ┣113. あらゆる人々は哲学者である(カール・ポパー)
  ┣114. ポパーの批判的方法──非正当化主義的批判(立花希一)
  ┣115. 人間の知識は動物の知識の特殊例である(カール・ポパー)
  ┣116. 問題を理解するとは、どのようなことか(カール・ポパー)
  ┣117. 科学は岩底に基礎をおくものではない(カール・ポパー)
  ┣118. 自分たち自身の知性を使え(カール・ポパー)
  ┣119. 日蓮における釈尊観と霊山浄土観の諸相(松戸行雄)
  ┣120. 日蓮は『法華経』=釈迦仏と主張(末木文美士)
  ┣121. 一念三千説は発生論を拒否するものである(安藤俊雄)
  ┣122. 一念三千説は一切法のあり方を無自性と説く(新田雅章)
  ┣123. 龍樹の空思想(新田雅章)
  ┣124. 批判とは言明間の論理的関係の指摘である(小河原誠)
  ┣125. 反証はなにをおこなっているのか(小河原誠)
  ┣126. 感覚的知覚から普遍概念への飛躍(小河原誠)
  ┣127. 「批判的合理主義」と「無批判的合理主義」(カール・ポパー)
  ┣128. 下からの合理性(小河原誠)
  ┣129. 『法華経』における縁起と空
  ┣130. 一大事因縁(『法華経』)
  ┣131. 『法華経』のねらい──諸教の統一・諸仏の統一(菅野博史)
  ┣132. 時間的縁起と論理的縁起(水野弘元)
  ┣133. 大小乗の意味(平川彰)<
  ┣134. 分別功徳品──舎利の塔を建てる必要はない(中村瑞隆訳)
  ┣135. 仏塔供養に対する経の受持行の優位(勝呂信静)
  ┣136. 日本では変相も曼荼羅と称せられた(加藤善朗)
  ┣137. 法師品─『法華経』の経巻を生きている仏陀≠サのものと見なす考え方(松本史朗)
  ┗138. ウィトゲンシュタインの神秘主義(鬼界彰夫) 








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