「如来蔵思想批判」の批判的検討


Libra

1.はじめに
 近年、駒沢大学仏教学部の松本史朗氏や袴谷憲昭氏を中心として、「批判的な仏教理解」が着実に進みつつあるように思われる(1)。筆者はこの“Critical Buddhism”の立場に基本的には全く賛成なのであるが、松本氏の主張の中には従いにくいものも多い。従って、本稿では、筆者の立場から見て“従いにくい”と感じられる松本氏の主張の中から、主なものを3つ取り上げて批判的に検討してみたいと思う。
 以下、まず2.において、「仏性修現論は論理的に成立しない」という氏の主張が批判的に検討される。次に、3.においては、「不二」を「如来蔵思想」だと決め付ける氏の「不二」理解が問題にされる。最後に、4.においては、中国仏教(および日本仏教)を全否定し、チベット仏教にのみ価値を認めようとする氏の考えの誤りが指摘される。

2.「仏性修現論」は論理的に成立する


 松本氏によれば、『弁道話』の道元は、存在論的には“絶対的一元論としての仏性顕在論”の立場に立ちつつ、修道論的には“修行の必要性”を主張したのだとされる(2)。また、氏は同時に
仏性顕在論においてはすでに仏性が全現しているのであるから、何故さらにこれを修行によって現わす必要があるのであろうか(…)つまり、仏性修現論は論理的に成立しないのではないかと考えている。(3)
と主張されている。
 私は、上に示されたような氏の仏性観には根本的な修正が必要であると考える。というのも、そもそも氏のように「仏性」をモノ的(存在論的)に理解しようとする立場にとどまろうとする限り、いかなる仏性論も「如来蔵思想」の枠内に閉じ込められざるをえないのは当然なのである。なぜならば、そのように“仏性を実在視する思想”こそが「如来蔵思想」に他ならないからである。以下では、そのような“モノ的仏性観”に根本的な修正をせまる意味で、三因仏性論(4)を取り上げ、“コト的(属性論的)仏性観”の必要性を示したい。
 『岩波仏教辞典』を見ると、「三因仏性」は以下のように説明されている。
〈正因(しょういん)仏性〉〈了因(りょういん)仏性〉〈縁因(えんいん)仏性〉の3で、涅槃経師子吼菩薩品に説かれたものを天台智(〔豈+頁〕)が整合し、確立した(『金光明経玄義』など)。成仏のための3要因のことで、正因仏性とは、本性としてそなわっている仏性を意味し、了因仏性とは、仏性を照らしだす智慧、あるいは智慧として発現した仏性を意味し、縁因仏性とは、智慧として発現するのに縁となる善行を意味する。(5)
 ここでまず最初に明確にしておかなければならないことは、“仏性とは何か”ということである。上の説明では「三因仏性」が「成仏のための3要因」であるとされているので、おそらく「仏性」とは、「成仏のために必要な因子(ファクター)」のことであると考えてよいであろう。そこで、次に問題になるのは「成仏」という言葉であろうが、私見によれば、「成仏」とは“思考によって仏の智慧に到達すること”に他ならないであろうし、その場合の“仏の智慧”とは“縁起”あるいは“一切皆空”を指すであろう。このような立場に立って、上記引用中の「正因仏性とは、本性としてそなわっている仏性を意味し」という説明を読むならば、「仏の智慧(縁起・一切皆空)に思考によって到達するために必要な因子のうち、“本性としてそなわっている因子”」のことであるということになるだろう。さて、この場合の“本性としてそなわっている”とはどのような意味であろうか。もし上記の規定が、3つの仏性のうちの「正因仏性」を規定するものとして意味をもつのだとすれば、当然のことながら、「了因仏性」及び「縁因仏性」は“本性としてそなわっていない”のでなければならないであろうが、この点については「了因仏性」と「縁因仏性」の意味をもう少し明確にしてから改めて論じることにしよう。
 上記引用中、「了因仏性」は「智慧」であると説明されているので、結局、「了因仏性」とは「思考によって仏の智慧(縁起・一切皆空)に到達するために必要な因子のうちの“智慧”的な因子」ということになるだろう。これを素直に解釈すれば、「了因仏性」とは「論理的に考え正邪を判断・区別すること、及び、そのために必要な思考力」ということになるであろう。また、「縁因仏性」は、上記引用中、「縁となる善行」とされているので、結局、「思考によって仏の智慧(縁起・一切皆空)に到達するために必要な因子のうちの“縁となる善行”的な因子」ということになる。これを素直に解釈すれば、「縁因仏性」とは「虚心に仏説に耳を傾けること、及び、そのために必要な能力」に他ならないであろう。
 以上の考察によって「了因仏性」と「縁因仏性」の意味がほぼ明らかになったと思われる。よって、これらの二者が“本性としてはそなわっていない”ような属性であるということの意味も明らかになったと思われる。つまり、人間には、仏の言葉を信じて聞くこと(縁因仏性)も、それを聞いて考えること(了因仏性)も“可能”であるが、必ずしもすべての人間がそれを実行するわけではないということである。このようにとらえるならば、「了因仏性」及び「縁因仏性」は、すべての人間に具わっている“潜在的属性・能力”ではあるが、“その意志があるときに始めて現実に現れる属性”であるということになろう。今や、「正因仏性」が“本性としてそなわっている”属性であるということの意味も明らかになったであろう。つまり、「正因仏性」は意志によって現れたり現れなかったりするような属性ではなく、常に本性として具わっている属性だということである。仏教において、“一切諸法に常に具わっている属性”と言えば、“空性・無自性”をおいて他にはあるまい(6)。よって、「正因仏性」とは、「空性・無自性」のことであると考えてよいであろう。
 これまでの考察の結果をまとめると次のようになる。

 ア)正因仏性=空性・無自性

 イ)了因仏性=(“縁起・一切皆空”を考えるための)思考力

 ウ)縁因仏性=(“縁起・一切皆空”を考えるために)虚心に仏説を聞く力

 やや余談になるが、上の3つの仏性の有無を、無情・動物・人間の三者について見てみると以下の表のようになる。

三因仏性
無情
有情
動物
人間
正因仏性
縁因仏性
×
了因仏性
×
×

 成仏するためには三因仏性がすべて具わっている必要があるのであり、従って、成仏の可能性を有しているのは人間のみなのである。つまり、「草木有(正因)仏性」という主張は可能であろうが、「山川草木悉皆成仏」というような主張は、仏教の主張としては絶対にありえないのである。このようなことは、今更言うまでもないことなのであるが、この「山川草木悉皆成仏」という考えが“仏教に反する考え”であることはもう10年以上も前に袴谷氏によって指摘された(7)にもかかわらず、いまだにその種の“ニセ仏教”が存在し続けているという驚くべき現状を鑑みて、あえて言及した次第である。
 さて、本題の「仏性修現論」に戻って結論を述べよう。松本氏のような「存在論的仏性観」の立場を放棄し、上述のような「属性論的仏性観」の立場に立ちさえすれば、「仏性修現論」は十分論理的に成立するのである。つまり、「正因仏性(空性)は“属性”として一切諸法に具わっている=“一切皆空”」という意味での「正因仏性顕在論」と、「修行する意志を持つことによってはじめて“了・縁因仏性”が現実に現れる(発現する)」という意味での「了・縁因仏性修現論」は十分論理的に両立するのである。むしろ私はこのような「仏性修現論」こそ仏教の本道であると考える。
 道元に「三因仏性」についての言及があるのかどうか私は知らないが、日蓮が「三因仏性」を重視した思想家であり、日蓮の仏性論が「仏性修現論」であることはまちがいないであろう(8)。言葉と思考を重視した日蓮の思想(9)が「如来蔵思想」でないことは明らかであり、その日蓮が“唱題”という形で具体的に「仏性修現論」を展開した(10)という事実によっても、「仏性修現論」が論理的に成立することが知られるであろう。
 また、袴谷氏は「所謂本覚思想と正統的な本覚思想との両者を峻別」しようとする試みに全く意義を認めない立場のようである(11)が、私は上に論じたような「仏性修現論」を「天台教学に基づく正統的な本覚思想」と位置付けることは十分可能であり有意義であると考える。日蓮は
我が心本より覚なりと始めて覚るを成仏と云うなり所謂南無妙法蓮華経と始めて覚る題目なり(12)
というように、「始覚即本覚」を説くのであるが、「本より覚なり」の「覚(性)」とは「衆生本有の妙理」である「正因仏性(=“縁起・妙法”)」であり、「始めて覚る」とは、「修行(=信・行・学)によって了・縁因仏性を実際に発現させることによって始めて“縁起・妙法”を智慧として覚る=“成仏”」ということであろう。このような「仏性修現論」は「所謂本覚思想」とは明確に異なるが、「本より覚なり」と言う以上は、やはり「本覚思想」の一種であるとも言いうるのである。また、袴谷氏は『本覚思想批判』の中で、次のように述べられている。
私はその老荘と禅を「本覚思想」という呼称のもとに一括して呼んでいるだけなのである。しかも、敢えて一括して呼ぶのは、批判者としての仏教が、(一)縁起、(二)利他、(三)言葉という三点を重んずる思想であるのに対して、否定対象としての「本覚思想」は、老荘であれ禅であれ、その三点を無視することでは共通した性格を示しているからにほかならない。(13)
 日蓮の思想が上記の三点を重んずる思想であったことは“歴史的事実”であるが、このことは日蓮が最重要視した題目(南無妙法蓮華経)の中の“妙法”、“蓮華”、“経”が、以下のように上の三点のそれぞれに対応することとも無関係ではないだろう。

 ア)“妙法”―――――→“縁起”

 イ)“蓮華”→“菩薩”→“利他”

 ウ)“経” →“仏説”→“言葉”

 以上の考察から、日蓮の思想を「天台教学である三因仏性論に基づく正統的な本覚思想」と言いうることは明らかであろう。

3.「不二」は「如来蔵思想」ではない


 松本氏は、『禅思想の批判的研究』の第六章「深信因果について」の註22において、田村芳朗博士の学説(14)を批判して以下のように述べられている。
天台本覚思想の成立に至る思想的展開に関する田村博士と山内博士の説明を比較すると、田村博士の説明には、従いにくい点が多いと思われる。すなわち、第一に、「的相即論」が相即論の基本であるとして、空観に「絶対一元論」の起源を認める点は、不適切であろう。少なくとも『根本中頌』には「不二」等の語は見られないからである。田村博士は、「不二」を説く『維摩経』を空観に含めるが、この経が“dha(_)tu-va(_)da”を説くことは、袴谷氏によって論証されている。『本覚批判』二三一−二三二頁参照。また「顕現的相即論」というものを「内在的相即論」と「顕在的相即論」の間に設定する必要があるかどうかも疑問である。さらに全体として「相即論」という概念によって本覚思想の発展を追えるかどうかも疑わしい。(15)
 田村博士の説明に欠陥があることは私も認めるのだが、松本氏のように田村博士の説明の価値を全否定してしまうこともまた誤りだと思うのである。というのも、田村博士の説明は、見方を変えれば、空観(「空的相即論」)の実在論(「絶対的一元論」)への転落の過程をそれなりに正確に表現したものであるには違いないと思われるからである。松本氏は、竜樹以降の中観派の実在論への転落の過程を辿り、バーヴィヴェーカによる“中観派への「無分別知」の導入”に、『根本中頌』の「無分別なるもの(nirvikalpa)」という語が果たした役割について論じられた(16)が、田村博士の説明も同様の意義を持ちうると私は考えるのである。問題は、松本氏がバーヴィヴェーカの『根本中頌』理解の「致命的欠陥」を明確に指摘されているのに対して、田村博士は
段階的・発展的相即論のほうは、第二期大乗経典の成立(四世紀)以降において見えてくるものといえよう。すなわち、般若経維摩経法華経華厳経などの第一期大乗経典の成立(一−三世紀)後、竜樹が出て改めて空観の体系化に努め、それを受けて再び空観の積極的展開が試みられ、第二期大乗経典の成立となるが、その中でも仏性や如来蔵を説く如来蔵経典群において、内在的相即論が見られる。(17)
と言われ、空観の「内在的相即論」への“転落”を「積極的展開」と表現された点にあると言うべきである(18)。また、そのような“転落”がすでに「第一期大乗経典」において始まっていたに違いないという視点を欠いている点も田村説の大きな問題であろう。
 また、松本氏は「『根本中頌』には、「不二」等の語は見られない」と言われ、空観と「不二(相即論)」とが結びつかないように主張されているが、これは適切ではないだろう。たしかに『根本中頌』には「不二(advaya)」という語はないのであろうが、以下に示すように、その第18章の第10詩及び第11詩(19)には明らかに「不二」に相当することが言われているのである。

18・10『 Aに縁って(Aを原因として)Bが成り立つのであるならば、実にBはAではない。(AとBとは同一ではない。)
またBはAと異なるのでもない。
それ故に(原因は)断絶するのでもなく、また常恒に存在するのでもない。』

18・11『 (諸の事物の真の本性は)同一のものでもなく、異なった別のものでもなく、断絶するのでもなく、常恒に存在するのでもない。―――
これが世の人々の主である諸のブッダの甘露の教えである。』

 さて、いろいろ問題がある田村説ではあるが、そこでも
 顕現的相即論および顕在的相即論が確然と説きだされてくるのは、日本の天台本覚思想においてであって、天台本覚思想を絶対的一元論と定義づけたゆえんである。このことが、また天台本覚思想と、それ以前の先駆的な本覚思想との間に一線を画するところともなる。(20)
と言われているのであるから、「天台本覚思想」と「先駆的な本覚思想」とが異質なものであることだけは意識されていたのである。しかし、残念ながらその“差異”は、ついに田村博士によっては明らかにされなかったのである。そこで、以下では、まず田村博士の言われる「空的相即論」と「発展的相即論」の差異を明らかにしておきたいと思う。
 田村博士は「不二」について次のように説明されている。

「不二」ということばもある。これは、空の観念を相対する二者にあてはめていったものである。このことばも重要なもので、『維摩経』では、この考察に一章をさいているほどである。入不二法門品第九がそれである。いま、わかりやすく男女の二を例にとって説明すると、男女のいずれか、あるいはそれぞれが独立・固定した実体を有して存在しているのではなく、女あって男、男あって女というふうに、相依相関しながら男は男として存在し、女は女として存在しているのである。これが男女の二についての真相である。ここのところを表現して不二といったのである。(21)

 さきに例としてあげた男女の二についていえば、男女不二・空とは、男女のいずれかを不動・固定視し、絶対視して、一方を他方に従属させることも誤りなれば、それぞれ無関係な独立・固定の存在と見なすことも誤りであることを意味する。さりとて、男でも女でもないものに帰することを意味するのでもない。男は男として、女は女として、それぞれの持場・持味を充全に主体的に発揮しながら、しかも一体であることをいったものである。逆にいえば、男女不二・空がもとになって、真に男女の二がそれぞれ主体的に生かされてくるのである。二者のこのような関係を天台宗六祖の妙楽湛然(七一一−七八二)は「不二而二・二而不二(『法華玄義釈籖』巻第七上)と定義づけている。不二にして二、二にして不二ということである。(22)

 においてはまたもや『維摩経』が持ち出されているのであるが、このことからただちに田村博士の説を全否定することはできないであろう。なぜなら、田村博士の説は『維摩経』などを持ち出さずとも、先に示した『根本中頌』の二つの詩から十分主張しうるからである。その主張の根拠を『維摩経』に求めたという欠点さえ大目に見れば、“不二とは相対する二者について無自性(空)を説いたものである”という田村博士の解説は十分に説得力を持つであろう。ただし、の「一体であることをいったものである」という表現は、たとえその直前に「男でも女でもないものに帰することを意味するのでもない」と明確に断られているにせよ、「基体説(dha(_)tu-va(_)da)」ともとられかねない表現であるのはまちがいないのであるから、やはり「一体」という語は「不二」という語に改められるべきであろう。
 以上の考察から、本来の「不二」とは、あくまでも、相対する二者のそれぞれの無自性(空)を、両者の「不二而二・二而不二」という“関係”を説明することによって明らかにしようとする“コト的関係論”であり、“モノ的実在論”ではないことが明らかになったであろう。このことを確認するために、おそらく田村博士によって執筆されたであろうと思われる「不二」についての文章をもう一つ引用しておこう。
現実の世界には様々の事物や事象が生起しているが、それらは自他・男女・老若・物心(色心 しきしん)・生死・善悪・苦楽・美醜などのように、相対立する二つの枠で整理される。しかし、それら二つのものは、それぞれ独立・固定の実体(我 が)をもって存在しているのではなく、無我・空のもとで、根底は不二・一体をなしている。つまり、〈不二〉(advaya)とは、〈空 くう〉(s(/)u(_)nya)を関係の上に言い直したものである。空を解明した般若経典の一つに維摩経(ゆいまぎょう)があるが、その入不二法門品において、対立するものの不二が解き明かされている。ひいては、不二・空が事物の真相であり、それをつかむことが悟りということになる。なお、婆羅門哲学の一つであるヴェーダーンタ哲学においても、不二(advaita)が強調されたが、これは発生論に立ってのものであり、仏教における不二(advaya)とは区別される。仏教は発生論を取らず、どこまでも現実の事物をあるがままに観察し、そのあり方の解明に努めた。仏教における不二は現実の事物のあり方について言ったものであり、関係論としての不二である
 ところで、仏教において誤解が生じた。たとえば、男女の二は仮の姿で、空のもとでは男女不二が真相ということから、男でも女でもないものになること(不男不女 ふなんふにょ)を理想と考え、現実の男女の二を生かすことを忘失する者が出た。そこで、現実における実践活動にポイントを置いた大乗仏教がおこり、男女の不二・空は正しい男女の二を生むものであることを主張するにいたる。それに関して、中国において空観(くうがん)を確立した天台智(〔豈+頁〕)(ちぎ)は、「二而不二(ににふに)・不二而二(ふににに)(二にして不二、不二にして二)」〔法華文句6上〕と称した
 日本において改めて不二を強調したのは空海である。空海は『大乗起信論』の応用解釈である『釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)』を活用して密教の体系化に努め、これが日本における本覚思想のはしりともなるが、その『釈摩訶衍論』に本覚以上に〈不二摩訶衍(ふにまかえん)法〉が強調されており、空海は、それを密教にあてた。ここでの不二は、一段と積極的な意味を帯びたもので、男女を例にとれば、男女不二は男女二を生かすものということから進んで、現実の男女二の当相、つまり男女の愛欲・合体の当処に男女不二の境地を見るということである。空海の没後、密教に盛られた本覚思想は叡山天台に移入し、中世にいたって徹底した現実肯定の不二論となる。
(23)
 上の説明中、「無我・空のもとで、根底は不二・一体をなしている」という表現には修正が必要であろうが、ここでは明確に「仏教における不二」は「発生論」(=基体説)ではなくて「関係論」であると明確に強調されているのである。
 以上の考察により、田村博士の言われる「空的相即論」とは「二而不二・不二而二」という“コト的関係論”であって、“モノ的実在論”であるところの「如来蔵思想」ではないことが明らかになったであろう。また、「内在的相即論」が「仏性内在論」であり「如来蔵思想」であることは明らかである(24)から、「空的相即論」と「発展的相即論」の差異も明らかになったであろう。「空的相即論」とは「即の中道」である。また、「発展的相即論」とは、松本氏の表現で言えば「離二辺中道」のことに他ならない。「即の中道」と「離二辺中道」の差異を図で表現するとすれば、以下のようになるだろう(“離二辺中道の図”は松本前掲書、p.550より転載)。

離二辺中道の図

4.中国仏教にも中観思想は存在した


 「不二(空的相即論)」が「如来蔵思想」などではなく、れっきとした「空の思想」であり、「中観思想」であることを前章で示したが、中国において智(〔豈+頁〕)によって明確に「不二空的相即論)」が主張されたことは周知のことであろう。よって、中国に中観思想が存在したことは明らかなのである。ところが、松本氏は以下のように主張されている。
結論より言えば、インド中観派の「空の思想」は、厳密な意味では、中国には正確に移入されなかったのである。換言すれば、中国系の仏教には、「空の思想」の正確な理解は存在しなかったということである。
 ナーガールジュナの『根本中頌』は、確かに青目の註釈を伴った形で、羅什によって、五世紀初頭に、『中論』として漢訳され、この『中論』『百論』『十二門論』の思想を研究する人々が三論宗という有力な学派を形成し、彼等がいわば、中国における中観思想、「空の思想」の継承者となったのである。しかるに、彼等三論宗の人々の「空」の理解は、根本的な誤解を含んでおり、そのために、インド中観派の「空の思想」は、中国には正確に伝わらなかったのである。
(…)インド中観派の「空の思想」の継承者たるべき三論宗の大成者とされる吉蔵(五四九−六二三)でさえも、如来蔵思想を積極的に容認し、(…)「有の思想」を説いたのである。
 従って、思想的に見れば、中国系の仏教においては、如来蔵思想という「有」と「我」の思想が主流をなし、チベット仏教では、中観思想という「空」と「無我」の思想が中心をなしてきたと言うことができる。
(…)我々は、中国仏教の伝統に従っているかぎり、両者の対立・矛盾を理解することは、不可能である。何故なら、先に説明したように、中国仏教には、厳密な意味では、中観思想というものは存在しなかったからである。(…)
 我が国では、ごく一般的な説明として、「仏教とは“すべての人が仏性をもつ”という教えである」というような言い方がなされることが多い。この事実は、日本仏教というものが如来蔵思想を主流とする中国仏教の完全な影響化にあるということ、及び、それに対して我が国では、些かの疑念も批判も見られなかったということを示しているであろう。
(25)
 確かに氏が言われるように、吉蔵には「空の思想」は継承されなかったのであろう。しかし、だからと言って、ただちに「中国仏教には中観思想はなかった」と結論付けることはできまい。なぜなら、智(〔豈+頁〕)
文師の用心は一に『釈論』に依る。論は是れ竜樹の説く所にして、付法蔵の中の第十三の師なり。智者の『観心論』に云く、『竜樹師に帰命したてまつる』と。験かに知る、竜樹は是れ高祖師なることを(26)
と言っている〔02.03.01 補注〕のであるから、本人に「中観思想の継承者たる自覚」があったことは明らかであるし、実際、前章の考察で説明したように、彼の言う「二而不二・不二而二」が中観思想を正統に継承したものであることは間違いないからである。従って、中国仏教に中観思想はあったのである。智(〔豈+頁〕)の思想が吉蔵の「有の思想」と相対立するものであったことは、弟子の灌頂の『観心論疏』巻二の次の言葉からも明らかであろう。
もし定んで、一念の心に万法を具含するをこれ如来蔵と謂ふ者は、即ち迦毘羅外道の因中にまづ果ありと計するに同ず(27)
さらに松本氏は、上のような誤解に基づいて、「日本仏教というものが如来蔵思想を主流とする中国仏教の完全な影響化にある」と言われているが、これもまた誤りである。なぜなら、智(〔豈+頁〕)の思想は日本においては日蓮に継承され、その法脈は現在も生きているからである。日蓮が智(〔豈+頁〕)の中観思想を継承したということについては今更言うまでもないことであるが、ここでは、日蓮が『三世諸仏総勘文教相廃立』の中で、以下に示すような円珍の『授決集』に見られる三論宗否定の記述を引用(28)して三論宗を破折している事実を挙げておこう。
即離の中道の異なるなり、汝正しく何れを取るや設し離の辺を取らば果として成ずべき無し(29)
 松本氏は中国・日本の仏教を全否定する一方で、次のようにチベット仏教を正統視されている。
チベット仏教ほど知的で正統的な仏教は世界のどこにも存在しない。誤解をおそれずに敢えて言えば、これは中国や日本の仏教と比較したうえで言えることである。チベット仏教こそインドの大乗仏教の正統を受け継ぐものであり、今日、世界の仏教学にとって、チベット仏教の研究が不可欠となっている理由も、ここにある。(30)
 上のような主張自体が誤解に基づいたものであるのであって、そのような主張を「誤解をおそれずに敢えて言」ってもらっては困るのである。また、氏は次のようにも言われている。
ツォンカパの出現に至るまでのチベットの中観思想は、基本的にはすべて「離辺中観説」であったと思われる。何となれば、ツォンカパ以前に、「離辺中観説」に対する論理的批判が全く認められないからである。しかも、この事情は、単にチベットのみに限られたことではなく、インドにおいても基本的には全く同様であったと思われる。従って、筆者より見れば、ナーガールジュナよりツォンカパに至るまでの中観思想の歴史というのは、彼等二人の思想を除けば、全く「離辺中観説」そのものの歴史だったのであり、この一千年以上に及ぶ伝統をもつ中観思想の一般的解釈の流れを完全に逆転し、根底からくつがえしたものが、ツォンカパの中観思想であったといえるのである。(31)
 なるほど“ツォンカパ以前のチベット及びインド”においては、確かに、「離辺中観説」に対する論理的批判はなかったのであろうが、“ツォンカパ以前の中国”において智(〔豈+頁〕)によって「即の中道」が説かれ、その立場は、“ツォンカパ以前の日本”において、日蓮によって継承されているのである。従って、「ナーガールジュナよりツォンカパに至るまでの中観思想の歴史というのは、彼等二人の思想を除けば、全く「離辺中観説」そのものの歴史だった」などとは決して言えないのである。

5.おわりに
 本稿では、「仏性修現論」、「不二」、「中国仏教」の3つを全否定される松本史朗氏の主張を取り上げて批判的に検討した。
 これらの批判は、「智(〔豈+頁〕)や日蓮の仏教こそ真の“Critical Buddhism”であった」という筆者の確信に基づいてなされたものであることを最後に告白して、結びの言葉に代えさせて頂きたい。


(1) 松本・袴谷の両氏は、それぞれ自らの立場を「如来蔵思想批判」、「本覚思想批判」と規定されている。松本氏の「如来蔵思想批判」を示すものとしては、大蔵出版から刊行されている、氏の三つの著書、『縁起と空――如来蔵思想批判』(1989年)『禅思想の批判的研究』(1994年)『チベット仏教哲学』(1997年)が挙げられる。また、袴谷氏の「本覚思想批判」を示すものとしては、同じく大蔵出版から刊行されている、氏の三つの著書、『本覚思想批判』(1989年)『批判仏教』(1990年)『道元と仏教―― 十二巻本『正法眼蔵』の道元 ―― 』(1992年)が挙げられる。

(2) 松本史朗『禅思想の批判的研究』、大蔵出版、1994年、pp.593−594参照。

(3) 同上、p.594

(4) 三因仏性とは、正因仏性、了因仏性、縁因仏性の3つで、『涅槃経』の師子吼菩薩品に説かれたものを天台智(〔豈+頁〕)が発展させたものである。『金光明経玄義』及び『法華玄義』には以下のように説かれている。

云何なるか三仏性なる、仏とは名づけて覚となす、性とは不改に名づく、不改は是れ常に非ず、無常に非ず、土の内に金の蔵せるが如し、天魔外道も壊すこと能わざるを、正因仏性と名づく、了因仏性とは、覚智は常に非ず、無常に非ず、智、理と相応し、人の能く金の蔵せるを知るが如く、此の智破壊すべからざるを了因仏性と名づく。縁因仏性とは、一切の常に非ず、無常に非ざる功徳善根覚智を資助し、正性を開顕す、草穢を耘り除いて、金の蔵せるを掘出するが如きを、縁因仏性と名づく、当に知るべし、三仏性皆常楽我浄にして、三徳と無二無別なり、すでに金光明の三字を見て三徳に譬うるなり
(『金光明経玄義』巻上、大正39巻、p.4)
真性軌は即ちこれ正因性、観照軌は即ちこれ了因性、資成軌は即ちこれ縁因性なり。故に下の文に云く、汝は実に我が子、我は実に汝が父なり(法華経信解品第四)と、即ち正因性なり。また云く、我、昔、汝に無上道を教ふるが故に、一切智の願なほ在りて失せず(五百弟子受記品第八)と、智は即ち了因性、願は即ち縁因性なり。また云く、我、あへて汝等を軽しめず、汝等、皆まさに作仏すべし(常不軽菩薩品第二十)と、即ち正因性なり。この時に四衆、衆経を読誦するをもって、即ち了因性なり。もろもろの功徳を修するは、即ち縁因性なり
(『法華玄義』巻五下、大正33巻、p.744)

(5) 中村元他編『岩波仏教辞典』、岩波書店、1989年、p.308

(6) 竜樹『中論』観四諦品第二十四の第一四偈、第一八偈、第一九偈(大正30巻、p.33)を参照。

(7) 袴谷憲昭『本覚思想批判』の第五論文の前文pp.135−136、及びその〔追記〕(p.158)を参照されたい。

(8) 例えば、「観心本尊抄」

華厳経・大日経等は一往之を見るに別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之れ無し何を以てか仏の種子を定めん
(堀日亨編『日蓮大聖人御書全集』〔以下、『全集』と略記〕、創価学会、1952年、p.246)

とあり、そのすぐ後に

詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり
(同上、p.246)

とあることから、日蓮においては「三因仏性」と「一念三千の仏種」はほぼ同一視されていると見てもよいであろう。日蓮にとって「南無妙法蓮華経」の題目は「事の一念三千」を表すものであり、唱題は、「一念三千の仏種(=三因仏性)」を修現するための具体的修行法だったのである。私見によれば、『法華経』においては、「妙法」とは「縁起」を表し、「蓮華」とは「菩薩」を表しているので、おそらく日蓮においては、次のような対応付けが想定されていたのではないだろうか。

 ア)「妙法」→「縁起」→「正因仏性」

 イ)「蓮華」→「菩薩」→「了因仏性」

 ウ)「」−→「仏説」→「縁因仏性」

 日蓮の仏性論については、関戸堯海「日蓮聖人における一闡堤成仏と仏性」『大崎学報』第141号(1986年6月)、pp.119−131を参照されたい。

(9) 日蓮は「文証・理証・現証」の「三証」を言う。「文証」とは「信頼すべき経典による文献的証明(伊藤瑞叡『日蓮精神の現代』、大蔵出版、1989年、p.122)であり、「理証」とは「思惟や論理を媒介とする合理的証明(p.123)であり、現証とは「客観的事実における実践的追認による具体的経験(p.123)のことである。

 以下に、日蓮の遺文からいくつか関連する文章を引用しておく。

其の理にまけてありとも其の心ひるがへらずば・天寿をも・めしとれかし
(「妙一女御返事」、『全集』、p.1259)
日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず
(「三三蔵祈雨事」、『全集』、p.1468)
仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず只経文を先きとすべし身の賤をもって其の法を軽んずる事なかれ
(「聖愚問答抄」、『全集』、p.481)
仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり
(「四条金吾殿御返事」、『全集』、p.1169)
一切は現証には如かず
(「教行証御書」、『全集』、p.1279)
本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし
(「破良観等御書」、『全集』、p.1293)

 日蓮の「三証」及びその現代的意義については、伊藤前掲書のpp.120−123を参照されたい。また、日蓮が言葉を重視する思想家であったことについては、袴谷氏も『本覚思想批判』の第七論文の〔付記〕において注目されている(袴谷前掲書、p.208参照)

(10) 日蓮の“唱題”についての私見は前註8に示したので参照されたい。
  松本氏は、『仏教への道』(東京書籍、1993年)の中で

念仏は日蓮にとってのいわば幼児体験でもある。彼の説く唱題が、南無阿弥陀仏の六字を称える念仏と原理的に似てくるのは、いかんともしがたいであろう。
(p.207)

と述べられているが、命をかけて念仏を批判した日蓮の唱題を、“念仏称名思想のエピゴーネン”と見るのはあまりにも軽薄と言わざるを得ない。“唱題”の意味に関しては、伊藤前掲書のpp.140−143を参照されたい。

(11) 袴谷前掲書、pp.322−323参照

(12) 「御義口伝」、『全集』、p.786

(13) 袴谷前掲書、pp.15−16

(14) 田村芳朗「天台本覚思想概説」『天台本覚論』(日本思想大系9)、岩波書店、1973年、pp.480−483

(15) 松本史朗『禅思想の批判的研究』、p.622

(16) 同上、pp.25−27参照。

(17) 田村前掲書、p.482

(18) ここで言われている「内在的相即論」とは、松本氏の言葉で言えば「離辺中観説」ということになるだろう。つまり、本来は「属性論的関係論」であるところの空観(「空的相即論」)に、“空性(正因仏性)のモノ化(存在論的有形化)”という非仏教的・実在論的発想が持ち込まれ、ついに“「空性というモノ」が衆生に「内在」している”という観念(「内在的相即論」)が生じたのである。実に、「内在的相即論」とは「空観の実在論への転落」の“最初の第一歩”に他ならないのである。

(19) 中村元他『解脱』(仏教思想8)、平楽寺書店、1982年、p.43参照

(20) 田村前掲書、p.483

(21) 田村芳朗『法華経』(中公新書196)、中央公論社、1969年、pp.36−37

(22) 同上、p.38

(23) 中村元他編『岩波仏教辞典』、pp.707−708

(24) 前註18参照。

(25) 松本史朗『チベット仏教哲学』、大蔵出版、1997年、pp.412−413

(26) 『摩訶止観』巻一上、大正46巻、p.1

(27) 大正46巻、p.597

(28) 『全集』、p.572

(29) 大正74巻、p.309『授決集』(884年作)は、智証が唐に留学中に天台山禅林寺・良ショから授けられた口決やその他の覚書を、五十四項にまとめて弟子の良勇に授けたものである。

(30) 松本前掲書、p.1

(31) 同上、p.291

2000.04.01
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〔付記 01.03.24〕

1.まず重大な誤りを訂正しておきたい。本稿執筆時点ですでに袴谷憲昭氏は駒沢短期大学仏教学科に籍を移されていたにも関わらず、そのことを全く知らなかった私は、「駒沢大学仏教学部の松本史朗氏や袴谷憲昭氏」などと書いてしまった。自らを戒めるためにも、本文は訂正せずにそのままにしておくことにするが、この場を借りて、袴谷憲昭氏に深くお詫び申し上げたい。

2.本稿を公開してからすでに一年が経過しようとしているが、その間に、本稿の内容と密接に関連すると思われる以下の論文が発表されたので是非参照されたい。
 ア)花野充道「天台本覚思想の進展概観」『印度学仏教学研究』49−1、2000年12月、pp. 36-40
 イ)藤井教公「天台智(〔豈+頁〕)における中道と仏性」『印度学仏教学研究』49−1、2000年12月、pp. 29-35

3.本稿では、分かりやすさを重視して『岩波仏教辞典』の記述にしたがって三因仏性論について考察したが、「辞書の記述ではなく元の文献に即して考察しなければ説得力を持ち得ない」とのご教示を袴谷憲昭氏から頂いた。この欠点を補うためにも、読者の方々には、2.で紹介した藤井氏の論文、及び、同氏の「羅什訳の問題点─「仏種」の語の解釈をめぐって─」『印度哲学仏教学』第13号、1998年、pp. 226-228を是非参照して頂きたい。


〔02.03.01 補註〕
 誤解のないように言っておくと、ここで「智(〔豈+頁〕)が言っている部分」というのは、「竜樹師に帰命したてまつる(帰命龍樹師)」の部分である。もっとも、実際の『観心論』では、「帰命龍樹師」ではなく「稽首龍樹師(大正46巻、p.585)となっているが、意味は全く同じである。


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