宇宙生命論の悪弊(Leo)

 以前のノートで、「宇宙生命論が仏教でない」ことについて確認して来たが、今回、「宇宙生命論的な学会指導」の具体例と問題点を示したいと思う。

 「宇宙生命論的な学会指導」の具体例として、下記の例(学会指導A)を示す。

学会指導A

     指 導           S      

朝晩の勤行の時にまず真剣に願いをかけるのです自分が願いたいことを順番に紙に書いて
勤行の後の題目のときに一つづつ自分の生命に叩き込むように真剣に願うのです。
例えて言うなら今主人の給料が30万円からどうか70万円にして下さい。自分の月々の
小使いが10万円ぐらいは軽く使えるような境涯になれますようにと…叶えてくださいで
わなく「必ずそうなるのだ」と心に強くおもってください。そうすると思ったことが頭か
ら入って自分の命に働き掛けてまたその生命が宇宙に働き掛けて願ったことがどんどんと
叶う方向に進んでいくのです例えば雑誌などですばらしい家の写真などみて、いいなァ 
一度こんな家に住んでみたいなァ、でも私は宿業がふかいからあかんやろないつまで
たってもこんな境涯になれへんわと思ったら途端にあかん。ならへん、という気持ちの方
が強いためその思いが自分の生命から宇宙に働き掛けて凄い勢いで駄目な方向にいくんで
す。宇宙と生命は一体だから良いことにせよ悪いことにせよ自分の心に強く思ったことは
全部宇宙全体に広がって、いろんな縁をどんどん作っていくのですだから素晴らしい家だ
な〜でわなく、よし自分もかならずこんな素晴らしい家にすめる境涯になろう、なってみ
せると強く思うのですその素晴らしい境涯をしっかりと生命に叩き込んで題目お唱えるの
です。すると宇宙生命と自分の生命が融合して素晴らしい境涯をどんどん作っていくので
す。だから願い事を順番に書いたら、その家の写真もきりとって、そのうえに自分や家族
の写真を貼ってぜったいにこういう境涯になろうと強く思って題目を上げるのです。必ず
叶うのです。それほどすごい御本尊なのです。自分の願い方でどんなことでも絶対に叶わ
ないことなどないのです。願いが叶わないのは願っていることが希望になってしまってい
るからだ。家のなかでも家族の人達と決して喧嘩をしてはいけません。色々つまらない不
満が宇宙全体に働き掛けて、いつまでたっても一家和楽の幸せな家族など望めないからで
す明日の朝からは勤行一字一字胸に刻み込むようにして下さい。自分が宿命転換できるの
に一番大切なことは勤行なのですから、絶対にほかのことなど考えながらしないように、
一日でも早く宿命転換して最高の幸福境涯を作って下さい。

(友人提供の資料、2001年11月に座談会で配布されたもの〔実名部分をイニシャルに変更した以外はそのまま 〕)
(同一内容の資料を筆者も所持、但し題名が「関西メンバーへの指導 (一九九三年)」となっている)



 上記指導では民間信仰的な現世利益を説いている。また、宇宙と自己の一体化(梵我一如)、および自己から宇宙への働きかけを説いており、完全に密教化してしまっている。これらは「仏教」としては問題である。

「密教の即身成仏は作り話(小川一乗)」 参照)

 下記に、現世利益を願うのみならず「呪詛」にまで転落しまっている例(学会指導B、C)を示す。



学会指導B

とにかく今、日顕打倒を祈りきる事が大事です。
そして日顕打倒を祈る事で、たいへん大きな功徳も現れています。
その1例として宗門から脱会した若僧たちのグループが
日本各地で聞いた話ですが・・・
ある人は娘が生まれながらの腎臓の奇形で、治る見込みはないと
医者からも宣言されていました。
ところが日顕打倒を祈りだした次の検査の時に医師が
「大変な事になりました。娘さんの腎臓は治っています。
全くの正常です」と言われたとの事です。

(『創価学会をみんなで考えよう』 掲示板より、 2001年5月)


学会指導C

この前、座談会に出たのです。その時にね、ある壮年部の人から
二枚のレントゲン写真を見せて頂いたんやわ。
二枚のうち、一枚はハッキリと何か写ってんねんな。
もう一枚はそれが全く無いんですわ。
それで、俺は聞いたんです。「この写っているのは何って?」
そしたら、その人は癌細胞って言われたんです。
しかも、末期癌だったんです。医者にも後三ヵ月と宣言されたんですって。
でも、信じられへんけどもう一枚はないなんな。

それで聞いたんです。どうやって治したのですか?
その人は「勤行の祈り方と変えた」っと言われたんです。
今までは自分とその家族や友人の為に祈っていたんやけど、
どういう祈りかと言うと、悪に対する怒りの祈りやな。
打倒ヤマトモ(山崎正友)・日顕を必死に祈ったんですわ。
「ヤマトモ・日顕許さんぞ!!!!」「ヤマトモ・日顕に正義の鉄槌を・・・」っとそしたら、
ある日を境に癌細胞が小さくなって三ヶ月したら完全に消滅したんだって、

だから、悪に対する怒りの祈りで叶わないのは無いんだ。
戸田先生も「悪に対する追撃の手をゆるめるな!」と仰せの通り、
悪を撲滅する正義の戦いをしてゆきましょう。


(友人提供の資料、2002年3月会合にて)


 このような「呪詛」(相手の不幸を願って現世利益する指導)は「仏教」として問題のみならず、倫理的にも問題であろう。

 下記の資料(学会指導D)は「悪を責める」ということを述べている。「悪を責める」ことと「呪詛」はどこが違うのであろうか。

 仏教では、「悪を責める」には「怒らずに慈悲の心をもって真実を語る」ことが肝要とされている。「怒りをあらわにして”仏敵をやっつけろ=vという精神は「初期仏教」でも「法華経」でも否定されているのである。

「折伏は慈悲が根本」 参照)


学会指導D

仏敵とは

Q 会合で「仏敵」という言葉を聞いたのですが、その意味を教えてください。

A 文字通り「仏の敵」ということであり、仏法を破壊する邪説を述べ、仏あるいは仏道修行に励む者に敵対し、迫害するなどして仏道を阻もうとする者のことを指します。
 日蓮大聖人の時代にあっては、大聖人をざん言して御命を奪おうとした極楽寺良観らがそれにあたるといってよいでしょう。
 現在、日蓮大聖人の御遺命に違背し、広布を阻む日顕宗は「仏敵」以外の何ものでもありません。
 御書に「法華経の敵を見ながら放置して、その悪を責めなければ、師弟ともに無間地獄に堕ちることは疑いないことである」(1056n、通解)と仰せです。
 広布破壊の日顕宗を責め、倒していくことは、大聖人の仏法の正義を守っていくことになるのです。

(『シリーズ『新会員の友のために』14回』 聖教新聞、2002年5月16日、p.5)



 下記指導(学会指導E)のように、「大聖人直結」「御書根本」の「広宣流布に戦う、唯一の仏意仏勅の団体」 であれば、「怒らずに慈悲の心をもって真実を語る」ことにより「悪を責め」るのでなければならないであろう。宗祖は次のように仰っている。

彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なりとは是なり。

(「阿仏房尼御前御返事」 全集、p.1307)


学会指導E

大野 こんな腐りきった宗門と別れて、学会は本当によかった。
 おかげで毎日、清々しく戦える。一緒だったら、今ごろ学会は、どうなっていたか。考えるだけでゾッとするよ。
原田 改めて言うまでもないが、学会は、大謗法の宗門とは、もう金輪際、関係ない。
 学会は永遠に「大聖人直結」「御書根本」に進んでいく。
 これが我々の誇りであり、規範だ。
秋谷 そうだ。その通りだ。
 創価学会は、「広宣流布に戦う、唯一の仏意仏勅の団体」である。皆が日々、懸命に広宣流布のために祈り、行動している。
 だから大聖人は、常に厳然と、学会を守ってくださったんだ。すべては御本仏が、ご存知であられる。福徳は無量だ。

(『創価の勝利と前進を語る〈10〉』 聖教新聞、2002年5月16日、p.6)


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