「創価学会をみんなで考えよう」での発言[ 1 ]

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スレッド「外部・内部の人たちの苦情処理機関てあるんですか?」より
  http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1025499189


166 名前: Libra 投稿日: 2002/08/13(火) 18:59
 ペガサスさんへ

 はじめまして。私は、学会員3世で、 Libra と申します。

 ペガサスさんの深い仏教理解に敬意を表します。私も、ここ2、3年、仏教
について集中的に研究してきましたが、深いところまでは理解できていないと
思います。いろいろご教示頂ければ幸いです。

 反創価学会連盟(A・S・C)さんとの今回の対話を拝読させて頂いて、愚考した
ことを以下に少しだけ述べさせて頂きます。

> 「無記」とは形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ること。

というような解釈をよく見かけるのですが、私はこれは少し違うのではないか
と考えています。私は、小川一乗先生の解釈に賛成です。釈尊は、形而上学を
否定したわけではなくて、恒常不変な形而上学的な実体の存在を否定したのだ
ろうと私は思っています(無我説・縁起説)。
 
  ─────────────────────────────────
  釈尊が「アートマン(世間)は常であるか、無常であるか」等の十四の問
  いに答えなかった十四無記ということは、実在論に基づく問いに対して応
  答しなかったということである。アートマン(我)の実在を前提として、
  それが死後(来世)に存続するか存続しないかという意味で、死後におけ
  るアートマンの常と無常を問うているのであるから、常と答えても無常と
  答えても、アートマンの実在を前提とする実在論を是認したことになって
  しまう。そのために、アートマンの存在そのものを「無我」として根本か
  ら否定した釈尊は、それらに応答しなかったと了解しているのが龍樹であ
  る。そのことこそを意味して、『根本中論偈』の中で、次のように、

    自性として空であるとき、そのお方について「仏陀は入滅の後に存在
    する」とか「存在しない」と考えることは合理的でない。〔XXII-14〕

  と主張されている。

  (小川一乗「業報輪廻について──龍樹の基本主張を中心にして──」、
    『印度哲学仏教学』第13号、1998年、pp. 153-154)
  ─────────────────────────────────

 あと、「毒矢の喩え」ですが、そもそも、理論というのは、形而上学的なも
のであれ、そうでないものであれ、なんらかの問題を解決するために必要とさ
れ、生み出されるものだろうと思います。そのような理論であればこそ、その
真偽について論じることに意味があるのだと思います。逆に言えば、いかなる
問題も解決しない理論などはどうでもよい理論です。そのような理論の真偽に
ついて論争することは不毛でしょう。「毒矢の喩え」というのは、そういうこ
とを言っているのだろうと私は解釈しています。

追伸 輪廻転生説については以下でも論じました。ご批判頂ければ幸いです。

  曽我逸郎さんとの対話
  http://fallibilism.web.fc2.com/z010.html

  Libraさんより 梶山先生のお考えについて(岩井均臣様のご意見に)
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~i-soga/excha097.html


172 名前: Libra 投稿日: 2002/08/14(水) 16:55
>>169-171 ペガサスさん

 とてもご丁寧なレスをありがとうございました。

> 私は学会のキャリアが長いのでひととおりは学会教学はやってきたつもりで
> すが、仏教の源流に関しては全くの素人です。

 日蓮教学についても、いろいろとご教示頂ければ幸いです。私の愚考は、以
下に発表してあります。

  雑記
  http://fallibilism.web.fc2.com/zakki.html

> 釈尊滅御約2500年、仏教の歴史は「いったい釈尊の悟りとはなんだっただ
> ろう?」そして釈尊の悟りを追体験したいが為の歴史でもあったといわれるぐ
> らいです。
> 様々な解釈が成り立つと思います。

 おっしゃる通りだと思います。だからこそ、いろんな解釈をみんなで持ち寄
って、批判的に検討し、吟味してみることに意味があるのだと思います。

  仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/082.html

> ちなみに外道という言葉はバラモンに対しての言葉で自由に思索する修行者と
> い言葉で蔑視の意味では無かったそうです。

 岩波の『仏教辞典』によれば、「本来の意味は、渡し場、沐浴場、霊場を作
る人(ti ̄rtha-kara)のことをいい、一派の教祖、派祖を意味する」ようで
す。ペガサスさんのおっしゃるとおり、蔑視の意味では無かったようですね。

> この文章「何々はアートマンではないという記述形式からは、ブッダも一方で
> はその背後に「個」の根源としてのアートマンを是認しているのではないかと
> 推測される。

 私は、個人的には、中村元先生の解釈には反対です。

  「無我」と「非我」は違うか?(Libra)
  http://fallibilism.web.fc2.com/z011.html


174 名前: Libra 投稿日: 2002/08/14(水) 18:45
>>173 ペガサスさん

> 私の立場は学会変革派です。
> どうしたらより良き学会に出来るか
> そういう立場で発言しております。

 私も全く同じ立場です。私にできることなどは、たかがしれているとは思い
ますが、少しでも学会に恩返しをしたいと考えています。

> しかしながらこの掲示板は「みんなで創価学会を考えよう」ですからそれに
> リンクししかも参加しやすいないように持っていった方がいいと思います

 そうですね。私の発言は少々場違いなものだったかもしれません(汗)。

 ペガサスさんやその他のみなさんによる、建設的な議論に期待したいと思い
ます。


176 名前: Libra 投稿日: 2002/08/15(木) 01:57
>>175 しおんさん

 はじめまして、しおんさん。貴重なレスをありがとうございまし
た。

> お二人は活動家なのでしょうか?

 私は活動家ではありません。

> このスレは「外部・内部の人たちの苦情処理機関てあるんですか? 」
> というタイトルですが、今までのところ拝見して「そのようなもの
> はないのだな」という感想を持っています。

 私は、他の宗教団体についてはよく知らないのですが、ふつうは
「苦情処理機関」といえるような、そういう特別な機関があるもの
なのでしょうか。しかし、かりに他の宗教団体になくても、あった
方がいいのならば、作るべきでしょうね。
 個人的には、例えば、聖教新聞の記事に対して言いたいことがあ
る場合には聖教新聞社に、創価学会という組織について言いたいこ
とがある場合には(責任者である)会長に、直接いえばよいのでは
ないかと考えていました。後者の場合には、もちろん会長が直々に
処理してくれるわけではありませんが、本部の適当な部署が処理し
てくれると思います(しかし、当然、その処理の責任は会長にある
ということになるでしょう)。

  折伏は慈悲が根本
  http://fallibilism.web.fc2.com/z004.html

  秋谷会長への手紙
  http://fallibilism.web.fc2.com/z007.html

 もしも会長あてに苦情が殺到するというような状況が生まれた時
には、本部としても、「苦情処理機関」のようなものを作らざるを
得なくなるのかもしれません。

> 上意下達が絶対の組織、反対意見や批判を受け止める度量のない組
> 織というものは、おそらく自浄能力がない。そういう組織を私は信
> 用する事ができません。

 たしかに、現在の創価学会には、「折伏のための軍隊」みたいな
ところがあると思います。「反対意見や批判を受け止める度量」も
小さいといわざるをえないと思います。

  「自立」を抑制する要素(島薗進)
  http://fallibilism.web.fc2.com/043.html

  創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
  http://fallibilism.web.fc2.com/056.html

 ただ、すべての学会員がそれでいいと思っているわけでもないと
思います。
 創価学会には、「東洋哲学研究所」という研究機関があるのです
が、そこに所属されている研究員の方々は、かなり柔軟な発想をお
持ちです。例えば、友岡雅弥さんもそのお一人で、会員からの支持
も厚い方ですが、こういう方の発想が実際の組織運営に生かされる
ようになってくれば、組織もずいぶんと柔軟になってくるのではな
いかと私は期待しています。

  『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/016.html

  呪縛からの解放─法華経の宗教性(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/042.html

> また、どのような変革が可能かーーーできれば具体的な手段などー
> ーー御意見を伺いたいです。

 地道に、草の根的に、変革の輪を少しずつ広げていくしかないと
私は思っています。インターネットというのは、そのための手段と
してかなり有効なのではないかとも思っています(もちろん、一挙
に変革をなしとげることができる「魔法の小槌」のようなものでは
ないと思いますが)。インターネットを通じて知り合うことができ
た、私の友人のサイトの一つを以下にご紹介させて頂きます。

  Leo's home page − 仏教の現代的理解のために
  http://fallibilism.web.fc2.com/


179 名前: Libra 投稿日: 2002/08/15(木) 11:42
>>177 Pohさん

 はじめまして。

 Pohさんの文献学的なご見識の深さに敬意を表します。ただ、個別の詩句の
「無我」の解釈の問題(これについては、前提とされる背景知識によって、い
ろんな解釈がありえるだろうと思います)を離れて、ごく大雑把に言うならば、
私は、どちらかといえば『スッタニパータ』よりも『ダンマパダ』の方をより
信頼しています。

  『スッタニパータ』vs.『ダンマパダ』(袴谷憲昭)
  http://fallibilism.web.fc2.com/008.html

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  『ダンマパダ』は、成立の年代からすれば、おそらく『スッタニパータ』
  にやや遅れると推定されるものの、それとははるかに比較を絶して、最も
  頻繁に、広範囲に、しかも古くから長い年月にわたって読誦され、愛好さ
  れて、今日まで至り、その点では、他の初期経典はもとより、大乗経典を
  も含むすべての仏典の中で、とりわけ傑出している。

  (中村元・三枝充悳『バウッダ・佛教』〔小学館ライブラリー80〕、
    小学館、1996年、pp. 142-143)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ご承知のとおり『ダンマパダ』というのは、釈尊の教えが説かれたいろんな
経典から、重要な詩句を選んで集めたものです(もしかしたら、全体としては
不整合な部分があるのかもしれません)。そして、そのうちの少なくとも半数
以上の詩については、その出典となった諸経典が現存していません。したがっ
て、「『ダンマパダ』は、現存しない最古の聖典に含まれていた詩をも、今日
に残している」(『バウッダ・佛教』、p. 144)と言われます。といっても、
語形等がそのままの形で残っているかどうかは分かりません。「現存しない最
古の聖典」の中にも新古があったでしょうが、これについても分かりません。
『スッタニパータ』も、各章がそれぞれ別の経典だったものが一つにまとめら
れたものだと思いますが、結局、『スッタニパータ』の最古層の詩句の方が
『ダンマパダ』に収録されているどの詩句よりも先に成立したとは必ずしも言
えないのだろうと私は思っています。また、仮に、そのようなことが言えたと
しても、「先に成立した詩句の方が、釈尊の考えをより忠実に表現している」
とは言えないだろうと思います。

> 永遠に「これぞ人間釈迦の教え」と断定することは不可能でしょうが

 松本史朗先生が言われているように、そもそも「釈尊が韻文で説法すること
などありえないから、韻文経典とは釈尊の説法がその没後にまとめられたもの
であ」り、「釈尊と韻文経典との間に歴史的距離が存在することは確実」なの
で、「いかに古層の原始仏典といえども、そこから「仏陀の言葉」そのもの
(いわゆる「金口の直説」)を抽出することは、不可能」だと思います。結局、
われわれは、「「仏陀の言葉」そのものを最古層の仏典より直接抽出しようと
する文献学的方法≠捨てて、「仏陀の思想」を推理し再構成しようとする
思想史的方法≠ノよらざるをえない」のだろうと個人的には思っています。

  仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/082.html


181 名前: Libra 投稿日: 2002/08/15(木) 14:12
>>180 ペガサスさん

> 学会には絶対主義、指導主義がありますので困難です。
> 聞くという発想がないのですから。

 「対話主義」と理想としながら、「聞くという発想」がないのですよね(涙)。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  批判的な議論に耳をかたむけ、自分自身の誤りを捜し出し、そしてそれか
  ら学ぶ用意をもつということは、ひとつの考え方であるだけでなく、ひと
  つの生き方でもある。

  (カール・R・ポパー著、M・A・ナッターノ編『フレームワークの神話
    ──科学と合理性の擁護』〔ポパー哲学研究会訳〕、未來社、1998年、
    p. 14)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  対話主義と可謬主義
  http://fallibilism.web.fc2.com/z023.html

  創価学会応援隊・会議室2での発言[ 1 ]
  http://fallibilism.web.fc2.com/kaigishitu2.html


182 名前: Libra 投稿日: 2002/08/15(木) 14:15
>>181 訂正です

【誤】「対話主義」と理想としながら、「聞くという発想」がないのですよね(涙)。
         ↓
【正】「対話主義」を理想としながら、「聞くという発想」がないのですよね(涙)。


186 名前: Libra 投稿日: 2002/08/16(金) 00:01
>>184 しおんさん

 前回のレスでは、かなり的外れなことを長々と書いてしまったよ
うで、申し訳なく思っています(汗)。

 私などは本当に力不足で、たいしたことはできませんが、それで
も、あきらめずに、自分にできることを少しずつでもしていきたい
と思っています。ただ、あまり肩ひじを張らずに、のんびり、精一
杯やっていこうと思っています。先は相当に長いと思いますので。


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