■ 池田大作作小説人間革命批判


532 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:22

>>525 名無しさん

> 日顕というとんでもない男は、なんでとんでもないかというと、相承を受けてない。

 「唯授一人血脈相承論」というのは後世の作り話です(日蓮や日興の考えとは無関係)。

  初期興門教学には「唯授一人血脈相承論」などなかった(小林正博)
  http://fallibilism.web.fc2.com/098.html



533 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:22

>>526 渡辺ユウジさん

> yurikoが減らず口たたいているあいだ、こっち側も応戦する。野郎が地べたにひれ伏し
> て謝罪してやめればやめる。

 そのような行為は「浅ましき事」だとおもいます。

  「創価学会をみんなで考えよう」での発言[ 3 ](No. 809〜)
  http://fallibilism.web.fc2.com/kangaeyou_03.html#809


  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強言・自賛気なる体・人目に見すべから
  ず浅ましき事なるべき、弥身口意を整え謹んで主人に向うべし主人に向うべし

  (「教行証御書」、学会版全集、p. 1283)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  三 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。
    かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むこ
    とがない。

  四 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。
    かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息
    む。

  五 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息
    むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

  (中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)、岩波書店、
    1978年、p. 10)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  折伏は慈悲が根本(Libra)
  http://fallibilism.web.fc2.com/z004.html



534 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:24

>>528 yurikoさん

> しかし、日顕上人の得道されてからの、経歴は素晴らしく、誰も異義を挟めるものでは
> ない。

 わたしが知るかぎり、阿部信雄さんは学者としてはまったく評価されていないようです。
たとえば、宮崎英修先生などは、阿部信雄さんの論調を「責任のない無根拠の小児的主張
にのみ始終している」といわれていますが[注]、これと反対の評価をわたしは知りません。

  [注] 「五人所破抄見聞」は妙蓮寺日眼の著作ではない(宮崎英修)
      http://fallibilism.web.fc2.com/102.html


535 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:24

>>530 yurikoさん

> ところが、池田先生の最悪の欠点は、この報恩ができなかった点にあると思うのです。

 「大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者となら」なければなりません。わた
しは、池田名誉会長が「仏法をならひきはめ」ているとはおもいませんので、その意味で
は、池田名誉会長は「報恩ができなかった」というのは正しいとおもいます。
 いっぽう、「仏説に証拠分明に道理現前ならんを用」いて「仏法をならひきはめ」よう
とすれば、「伝統的な大石寺教学の齟齬」に気がつくのは必然なので、「より開かれた、
より説得力のある、普遍的な教義体系を確立していく」ことが真の報恩だとおもいます。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  いかにいわうや仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜん
  には必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか、(中略)仏法を習い極めんと
  をもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをもはば父母師匠国主等に随い
  ては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母師匠等の心に随
  うべからず

  (「報恩抄」、学会版全集、p. 293)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、比干が王に随
  わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。

  (同上)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ、悉達太子は
  閻浮第一の孝子なり父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか、比干が親父紂
  王を諌暁して胸をほられてこそ賢人の名をば流せしか

  (「下山御消息」、学会版全集、p. 364)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事佞臣の至
  り不忠の極りなり

  (「聖愚問答抄」、学会版全集、p. 493)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからずいづれも仏説に証拠分明に
  道理現前ならんを用ゆべし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又
  法門によりては設い王のせめなりともはばかるべからず何に況や其の已下の人をや、
  父母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずありのままに申すべし
  と誓状を立てしゆへに…

  (「破良観等御書」、学会版全集、p. 1293)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


536 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:25

>>531 yurikoさん
> その大御本尊を700年に亘って護り伝えてきた日蓮正宗、とりわけ代々の御法主猊下
> への、報恩感謝は決して忘れてはならないと思うのです。

 日蓮が残した「大本尊(曼荼羅)」に優劣などはありません。優劣があると考える人が
もしおられるとすれば、その人は「大本尊(曼荼羅)」の内容を理解していないのだろう
とおもいます。

  本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  http://fallibilism.web.fc2.com/107.html

  同一理に支えられた同一相貌の御本尊は同質同体(浅井円道)
  http://fallibilism.web.fc2.com/099.html

  「創価学会をみんなで考えよう」での発言[ 3 ](No. 780〜)
  http://fallibilism.web.fc2.com/kangaeyou_03.html#780



539 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 19:29

>>537 yurikoさん

> >わたしが知るかぎり、阿部信雄さんは学者としてはまったく評価されていないようです
> 君の「知っている限り」など、どうでもいいのだよ。

 もっともなご意見だとおもいます。わたしはまったく無知ですから。もし、yurikoさん
がご存知なのでしたらぜひご教示いただければさいわいです。

> 池田先生みたいに、「誉められさえすれば」何でもやるという手合いは少数派だよ。

 この部分は、わたしの主張とはまったく関係ありませんね。

> >宮崎英修先生などは、阿部信雄さんの論調を「責任のない無根拠の小児的主張
> ......宮崎って誰?

 日蓮宗の有名な学者さんです。

> >どうせ、創価学会お抱え、「提灯持ち」「女郎」学者の類いだろう?

 ちがいます。

> 『責任のない無根拠の小児的主張』などと平気で言える底意地の悪さに唖然とするよ。
> なんの根拠もなしに、そう決めつける態度こそ小児的というんじゃないかい?

 間接的にではありますが、根拠は示されているのではないかとおもいます。もっとも、
その根拠が妥当であるかどうかは、阿部信雄さんが書かれた「立正大学図書館長宮崎英修
氏の妄説誹謗を破す」という文献を読んで判断するしかないとおもいます。この文献につ
いてはわたしも未見ですから、その根拠の妥当性には興味があります。可能であれば、ぜ
ひ、yurikoさんに読んで頂いて、宮崎英修先生の「妄説誹謗を破」していただければとお
もいます。

> 同じように、上人の評価を一方的に下した例おして、聖教新聞にはかつて、現役の精神
> 科医を登場させた。そして、勝手に日顕上人の精神分析をしていた(後略)

 この部分も、わたしの主張とはまったく関係ありませんね。

> 木陰から石を投げつけるくらいしかできない奴等ばかりなのが、創価学会の実体なのだよ

 創価学会にはたしかにそういう人が少なからずおられます。しかし、そういう人ばかり
ではないとおもいます。


540 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 19:41

>>538 yurikoさん

> 君が池田教に洗脳されている限り、どーしょうもない。

 根拠を示して反論していただきたかったのですが、「スピーチレス」なんですか。ざん
ねんですね。しかし、わたしのことを「池田教に洗脳」されているとおっしゃる方はかな
り珍しいとおもいます。


542 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 20:25

>>541 名も無き行者さん

> >わたしのことを「池田教に洗脳」されているとおっしゃる方はかな
> >り珍しいとおもいます。
> うん・・・・びっくりした(汗

 自己正当化のためにどんどん物語(作り話)を創作してしまえるというのは、「唯授一
人血脈相承論」とか「宗祖本仏論」とかとまったく同じ精神構造のなせるわざなのかもし
れないですね。もっとも、yurikoさんの場合には、「なんの根拠もなしに、そう決めつけ
る態度」でおっしゃっておられるのではないようでしたが(>>537)。しかし、どういう
根拠だったのでしょうかね。

> Libraさん、独り言スレでのレス、本当にありがとうございましたm(__)m
> まさか訳者の方に直接連絡を取って頂けるとは思ってもいませんでした。

 小河原先生はHPをもっておられますし、メールアドレスも公開されています。ただ、
お忙しそうなご様子だったので、少し申し訳ない気もしました。

  小河原 誠のHOME PAGE
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~kogawara/


> 昨日「批判的合理主義」買ってきました。少しずつ読み進めていきます。

 そのうち、「批判的合理主義」のスレッドでも立てましょう。いまはまだ無理ですが。


555 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 07:49

>>548 yurikoさん

> 君が、Aと主張したことが、完全に池田創価学会的なのだよ。

 ざんねんですが、わたしにはあなたがいっていることがさっぱりわかりません(涙)。

> だって、池田創価学会だけが、それを言い出したのだよ。

 「それ」とは???

> でも、一方的にある人間の説を支持するのは、あまりに主体性がないんじゃないかい?

 まずは理論とその提唱者の人格とを切り離してお考え下さい。

> Libra@三世さんの体験に則して語ってくれないかい?

 わたしはおなじことをくりかえし議論するつもりはありません。以下を参照されて下さ
い。
 
  「創価学会をみんなで考えよう」での発言[ 3 ](No. 780〜)
  http://fallibilism.web.fc2.com/kangaeyou_03.html#780


 その上で、ぜひ、特定された批判をおねがいします。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   《批判というものは常に特定されたものでなければならない》というのは、
  つまり、「なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の
  論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければなら
  ない」(カール・ポパー)ということです。以下に、かなり単純化して、説明
  してみます。

    ある人の主張の結論が、既成の考えの結論(命題Aとしておきます)と一致
  するとします。で、そのAはすでに批判され、その批判に耐えられなかったと
  します。しかし、この場合でも、この「ある人の主張の結論」は、そのある人
  の提出している具体的な論証のいかんを問うことなしに常に怪しいと断定して
  よいというものでは必ずしもないわけです。これは、Aがどういう形で批判さ
  れたのかにもよるわけですが[注]、たとえば、《Aを導出するために用いられ
  た前提の中には必ずしも真とは言えない命題が用いられている。よって、Aは
  必ずしも成立しない。》という形のものである場合には、そのような批判を
  「ある人の主張の結論」に対してそっくりそのまま適用することはできないわ
  けです。この場合には、「ある人の主張の結論」に対する批判というものは、
  その「ある人の提出している論証」がなぜ妥当ではないのかについての特定さ
  れた理由を述べるものでなければなりません。もしも、それをすることなしに、
  《すでに批判された既成の考えと結論が同じである》ということだけを理由に、
  直ちにその考えを怪しいものであると断定してしまうとすれば、やはりそれは
  偏見だろうと思います。

    [注]たとえば、既成の考えの結論(A)に対する批判が、《Aから導出さ
      れるある命題は偽である。よって、Aが真であることはありえない。》
      という形での批判であったとすれば、それは「ある人の主張」に対し
      てもそっくり適用することができるでしょう。

  (スレッド「仏教の源流から」、No. 912、No. 914、
    、http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1029381997&START=912&END=912&NOFIRST=TRUE
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



556 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:18

>>550 ドプチェクさん

> お二人の議論、個人的には大いに興味がありますから、これからも色々とお話してい
> ただきたく思っております。

 まだ議論になっていませんが、もし、yurikoさんから「特定された批判」があれば、自
分の考えを見直すチャンスにしていきたいとおもっています。

 もっとも、わたし程度の頭では、yurikoさんのおっしゃられることはなかなか理解でき
ないようです。たとえば、yurikoさんからすれば、わたしがどんなこと(A)を主張しよ
うとも、わたしが「Aと主張したことが、完全に池田創価学会的なのだ」ということにな
るらしいのです[注1]。で、その理由が、「だって、池田創価学会だけが、それを言い出
した」から、ということらしいのです。
 ドプチェクさんなら、yurikoさんのおっしゃられていることがおわかりになりますでし
ょうか。もし可能であれば、翻訳していただければさいわいです。

  [注1] これとは逆に、研鑚板の方では、わたしの主張はすべて「組織内アンチ」的
      ということになるらしいです。


> 「そもそも、信仰の功徳とは何なのか?」

 「一生成仏」ではないでしょうか。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり

  (「四条金吾殿御返事」、御書全集、p. 1169)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 仏教というのは「呪術的な儀式を行い奇跡を期待する信仰のシステム」[注2]などでは
ないとわたしはおもいます。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  「宗教」が、自らの欲望を全面的に肯定し、その達成を目指す「祭祀」「祭り」「イ
  ベント」「行事」「スペクタクル」に堕落し、自らを磨き上げて行く「精神の労作業」
  になってゆかないこの国の未来を、世界はけっして羨まないでしょう。

  (友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社、2001年、p.86、
    http://fallibilism.web.fc2.com/016.html
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  [注2] 友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社、2001年、p.110。



557 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:33

 yurikoさん&ドプチェクさん

 「特定された批判」については、ついこのあいだ、名も無き行者さんといっしょに考え
てみたところです。以下の中で引用されている議論を参照していただければさいわいです。

  小河原先生からのご回答(ポパーの真理論などについて)
  http://fallibilism.web.fc2.com/kogawara01.html


 批判は「非個人的」なものでなければならないというのも重要だとおもいます。
  
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  日本的組織では、ある行動や思想を、それを生み出した者の人格と容易にむすびつけ
  てしまう強い傾向がある。(中略)こうした傾向が強いところでは、批判即人格攻撃
  と受け取られてしまうだろう。しかしそうであるからこそ、行動や、思想と人格を切
  り離し、たとえ理論が誤っていたとしても、「われわれの代わりに理論を死なせる」
  と考えられる観点が、きわめて切実に要請されてくる。

  (蔭山泰之「面目と反駁−批判的合理主義の観点から見た日本的組織の諸問題−」、
    日本ポパー哲学研究会機関誌、Vol. 10、No. 1 、1998年6月、
    http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v10n1kagefr.html
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



558 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:38

>>557 

 蔭山泰之さんの文献へのリンクは現在しんでいるようです。以下はおまけです。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   組織が全体として誤った方向に突き進んでいるときに、内外からのあらゆる批判、
  反駁を避けることができれば、当面は、たしかに組織の体面は保たれるだろう。しか
  しそれは、沈みつつある船の中で安全な個室を確保しようとするようなものである。
  というよりもむしろ、船底の板をはがして個室を補強しようとするような、組織の危
  険性をさらに増す可能性さえある。
  
  (蔭山泰之「面目と反駁−批判的合理主義の観点から見た日本的組織の諸問題−」、
    日本ポパー哲学研究会機関誌、Vol. 10、No. 1 、1998年6月)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   批判は、ふつう非難と混同され、敵意の現れとさえ見られることがある。そして、
  批判を受け入れることは、屈服を意味するとも考えられ、一種の屈辱ともみなされて
  いる。たしかにそういう侮辱的な批判もあるかもしれないが、しかしそれはたいてい
  相手を理解しないたんなる非難と同程度のものであろう。本来、批判とは、論理的矛
  盾や事実との齟齬を指摘することにより、批判される対象と現実を直面させる試みで
  ある。そしてその目的は、その批判対象をよりよきものにすることにある。この意味
  では、批判はその対象に対する真剣な関心の現れである。それは批判の対象を改善す
  るきっかけ、チャンスなのである。だから、批判や反駁を受け入れることは改良への
  一ステップである。

  (同上)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



559 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:52

>>543 みれいさん

 わたしなんかの HP を紹介して下さってありがとうございます。みれいさんにはいつも
お世話になってばっかりですね(汗)。

 みれいさんにもお願いしたいです(ご迷惑かもしれませんが)。もしも可能であれば、
yurikoさんの理論をわたしに翻訳してください。yurikoさんの理論というのは、以下のよ
うなもののようです。

  1.Libra がどんなこと(A)を主張しようとも、それ(A)は完全に池田創価学会
    的である。

  2.なぜならば、池田創価学会だけがそれ(A?)を言い出したからである。



561 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 12:19

>>560 yurikoさん

> > だって、池田創価学会だけが、それを言い出したのだよ。

 読み飛ばされてしまわれたようなので、もういちどいってみます。「まずは理論とその
提唱者の人格とを切り離してお考え下さい」(>>555)。

 たとえば、いまここに理論Aがあるとしましょう。この理論Aが妥当であるか否かとい
う問題は、だれがその理論Aを「言い出した」のかというようなこととは関係がありませ
ん。現在、アインシュタインの相対性理論が妥当であるとおもわれているのは、天才アイ
ンシュタインが「言い出した」からではなくて、アインシュタインの理論が今のところ厳
しい反証の試みに耐えて生き残っているからです。

> >「それ」とは???↓
> 日蓮が残した。「大本尊(曼荼羅)」に優劣などはありません。

 >>536 では、浅井円道先生とか勝呂信静先生とかのご主張を引用しておきましたが、例
の「yurikoさんの理論」からすれば、浅井円道先生も勝呂信静先生も「池田創価学会」と
いうことになってしまうのでしょうか。「それを言い出した」のは「池田創価学会だけ」
というからには、おそらくはそうなってしまうのでしょう。ちなみに、浅井円道先生も勝
呂信静先生も日蓮宗の学者さんですが。

  同一理に支えられた同一相貌の御本尊は同質同体(浅井円道)
  http://fallibilism.web.fc2.com/099.html

  本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  http://fallibilism.web.fc2.com/107.html


562 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 12:33

>>561 自己レス

 まさか、浅井円道先生や勝呂信静先生までもが「池田創価学会」ということになってし
まうとは…。

 以下、現時点において、わたしが理解した限りでの「yurikoさんの理論」をまとめてみ
ます。

  1.わたし(yurikoさん)の主張に対立する主張はすべて「池田創価学会」が「言い
    出した」ものである。

  2.「池田創価学会」が「言い出した」主張は、内容を検討するまでもなく、すべて
    誤りであると断定できる。

  3.よって、わたしの主張は常に正しい。


 上の理論は、「わたし」を「池田創価学会」と読み替え、「池田創価学会」を「アンチ」
と読みかえれば、「研鑚板の理論」とまったく同型なのかもしれません。「yurikoさん&
研鑚板の理論」というべきなのだろうか。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   わたしは、自分の理論を「自己満足の観念論」とはおもいません。なぜなら、わた
  しは反証主義者として《つねに自分の理論に対する反証を積極的にさがしもとめてい
  ます》ので。

   これに対しまして、《自分の理論に対して示された反証をなにひとつ真正面から受
  けとめようとはせずに、理論の是非とはまったく関係のないレッテルを反証提示者に
  はることによって反証をことごとく無視し、そのことによって自分の理論が無敵であ
  ると錯覚している》のが「自己満足の観念論」なのでしょう。

  (スレッド「「「開会」「死活の法門」研鑽!【絶待妙】【相待妙】って何?」」、
    No. 83、
    http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1061134587&START=83&END=83&NOFIRST=TRUE
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



565 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 20:21

>>564 yurikoさん

> 大変重要で興味深いテーマではありますが、(後略)

 どうやら、yurikoさんからは「特定された批判」はないということのようですね。では、
わたしからはとくに付け加えることはありません。

 お付き合いくださいましてありがとうございました。なかなか楽しかったです。


576 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/19(金) 07:17

>>572 Leo さん

> 日蓮聖人と「大聖人」は別の方(架空の方)で、日蓮聖人から見ると正宗は異流儀になる
> のではないでしょうか。

 ようするに、こういうことですね[注]。

  1.「日蓮聖人」には「上行菩薩」の自覚があった。

  2.「日蓮聖人」にとっては、「上行菩薩」は「教主釈尊」の「初発心の弟子」であ
    って、「教主釈尊」とは別の方であった。

  3.「日蓮聖人」にとっては、「三世十方の権迹の仏を出生する根本の仏」という意
    味での「本仏」は、「教主釈尊」であった。

  4.「日蓮聖人」自身の思想の中には、【「三世十方の権迹の仏を出生する根本の仏」
    =「教主釈尊」=「日蓮聖人」】という思想(以下、「日蓮本仏論」と表記する)
    はありえない。

  5.「日蓮本仏論」を主張したとされる伝説の人物(「大聖人」)は、おそらく、
    「日蓮聖人」とは別の方(架空の方)である。

    [注] 《日蓮本仏論》再考
       http://fallibilism.web.fc2.com/bbslog005.html


> それは日蓮聖人は「大聖人」を信仰されていたということを主張するものでしょうか。

 「日蓮聖人」は立像の釈迦仏を随身仏としてご所持されましたね。


2003.09.20

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