創価学会に関する批判的考察

 
創価学会に関する批判的考察
日時: 2002/10/19 01:40
名前: Leo   <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



今回、掲題の件でスレッドをたてさせていただきます。

はじめの題材として「ハワイ・レポート」
http://fallibilism.web.fc2.com/note009.html
はどうでしょうか?

議論したい点は、このレポートの内容は現在国内で生かされている
(十分実現されているか)か、国内の各リーダがカウンセラーでありうる
のかなどなどです。

気になる点としては「布教しか考えていないのか?」というような所も
あります。

ご意見お待ちしております。よろしくお願いします。

 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.1 )
日時: 2002/10/19 16:57
名前: Libra



> 議論したい点は、このレポートの内容は現在国内で生かされている
> (十分実現されているか)か、国内の各リーダがカウンセラーでありうる
> のかなどなどです。

 海外ではどうかわかりませんが、少なくとも、日本国内においては「ファン
ダメンタルな日蓮正宗の教義」にまだこだわっているというのが現状ではない
でしょうか。残念ながら、「創価学会とか日蓮正宗とかという宗派的な考え方
より、普遍的な仏教という考え方が、布教にあたっては大事になってくる」と
いう認識はほとんどないように思います。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.2 )
日時: 2002/10/19 17:19
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



早速のレスありがとうございます。

> 海外ではどうかわかりませんが、少なくとも、日本国内においては「ファン
>ダメンタルな日蓮正宗の教義」にまだこだわっているというのが現状ではない
>でしょうか。残念ながら、「創価学会とか日蓮正宗とかという宗派的な考え方
>より、普遍的な仏教という考え方が、布教にあたっては大事になってくる」と
>いう認識はほとんどないように思います。

普遍的な仏教、通仏教ですね。宗門と分離した現在なぜ伝統教義にこだわるのか
疑問なところです。問題点を見回すと(「ハワイ・レポート」でも)、「伝統教義」の問題の他、
「権威(づけ)」や「正当化」の問題は解決されていないのではないでしょうか。

Libraさんはこのような権威や正当化について資料を示して指摘されておられましたね。
創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
http://fallibilism.web.fc2.com/056.html
正当化主義と非正当化主義―汎批判的合理主義(小河原誠)
http://fallibilism.web.fc2.com/018.html

SGI-USAのメンバーは権威主義に対しても問題提起していたのは興味深いところです。
(問題は海外・国内を問わず共通する部分が多いように思います)
Mission Statement and Letter of Intent
Independent Reassessment Group
http://web.archive.org/web/20010730142957/daimoku.com/mission.html
 

「普遍的な仏教」と「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」 ( No.3 )
日時: 2002/10/19 20:20
名前: Libra



>>2

> 普遍的な仏教、通仏教ですね。

 「通仏教」という言葉がいいかどうかは分かりませんが、「普遍的な仏教」
を求める立場には「釈尊に還れ!」という意識が必ずともなうだろうと思いま
す。しかしながら、「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」においては、「日
蓮仏法」と「釈迦仏法」とを区別して、後者は末法では無益であると主張され
ます。ですから、「普遍的な仏教」と「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」
は全く正反対のものです。
 現在の創価学会の中にも、「釈尊に還れ!」という方向性が皆無というわけ
ではないと思いますが、残念ながら、いまのところはまだほとんど浸透してい
ないというのが実情だと思います。
  
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  大聖人「釈尊に還れ!」
  恩師「大聖人に還れ!」
  ここに創価の万年の道。

  (2000年7月31日の『聖教新聞』の「寸鉄」)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 しかしながら、創価学会の中には《急激にではなく、少しづつ変えていこう》
と努力されている友岡雅弥さんのような方がおられますので、今後は少しづつ
状況が変わっていくことを期待したいです。

  エゴイズムの昇華(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/013.html

  頑迷な心を捨てる(聖教新聞「智慧の泉─仏典散策─」より)〔友岡雅弥〕
  http://fallibilism.web.fc2.com/014.html

  『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/016.html

  呪縛からの解放─法華経の宗教性(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/042.html

  ブッダ、因果を超える(友岡雅弥)
  http://fallibilism.web.fc2.com/080.html

> 宗門と分離した現在なぜ伝統教義にこだわるのか疑問なところです。

 この点については、稿を改めて論じたいと思います。

> SGI-USAのメンバーは権威主義に対しても問題提起していたのは興味深いと
> ころです。

 問題の「ハワイ・レポート」の提出が1978年。IRGの問題提起は1998年です
ね。IRGのメンバーに、「ハワイ・レポート」についてのコメントを求めてみ
るというのも面白そうですね。
 

「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」からの脱却 ( No.4 )
日時: 2002/10/19 21:02
名前: Libra



>>2

> 宗門と分離した現在なぜ伝統教義にこだわるのか疑問なところです。

 Leoさんもご存知のとおり、東洋哲学研究所(創価学会の研究機関の一つ)の
小林正博さんは、伝統教義の「唯授一人血脈相承論」を否定されています。元・
東洋哲学研究所欧州研究部長で、現在はドイツの大学で教鞭をとられている松戸
行雄先生は、伝統教義の「日蓮久遠本仏論」を批判されました。

  初期興門教学には「唯授一人血脈相承論」などなかった(小林正博)
  http://fallibilism.web.fc2.com/098.html

  日蓮久遠本仏論批判(松戸行雄)
  http://fallibilism.web.fc2.com/062.html

 この両者の研究は外部の宗教学者からも評価されています。

  「印籠教学」だけでは、松戸・小林の新説を覆すことは難しそう(西山茂)
  http://fallibilism.web.fc2.com/101.html

 また、日蓮は天台以上に「釈尊と衆生との密接な人格的関係」を重視してお
り、「そこから生まれた思想として、日蓮の釈尊御領観と呼ばれるものがあ」
るということを、創価大学の菅野博史先生(現在は創価大学・国際仏教学高等
研究所の所長)が言われています。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  天台教学において明らかにされた、下種益・熟益・脱益(衆生と結縁する
  こと、成熟させること、解脱させることという三種の宗教的利益)という、
  釈尊と衆生との密接な人格的関係の重視は、日蓮においては、天台教学の
  比ではないほど強調されています。
   そこから生まれた思想として、日蓮の釈尊御領観と呼ばれるものがあり
  ます。つまり、第一章で引用した譬喩品の「今、此の三界は皆な是れ我が
  有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。而して今、此の処は諸も
  ろの患難多し。唯だ我れ一人のみ能く救護を為す」に基づいて、娑婆世界
  は釈尊の領土であり、裟婆世界の衆生と釈尊とは有縁の関係、つまり宗教
  的に深い絆で結ばれているとするものです。この思想に基づいて、日蓮は
  浄土教を批判し、西方極楽浄土の阿弥陀如来と娑婆世界の衆生とは宗教的
  に無関係であるから、阿弥陀如来に対する信仰は的外れであり、本師釈尊
  との関係をないがしろにするものであると批判しています。

  (菅野博史『法華経の出現─蘇る仏教の根本思想─』、大蔵出版、1997年、
    pp. 83-84)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「日蓮の釈尊御領観」については、『日蓮大聖人の思想と生涯』(第三文明
社、1997年)の著者のお一人である佐藤弘夫先生も論じておられます。

  日蓮大聖人の「釈尊御領観」(佐藤弘夫)
  http://fallibilism.web.fc2.com/108.html

 このような考えは、すべて、「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」に反す
るものだと思います。研究者のレベルでは創価学会も「ファンダメンタルな日
蓮正宗の教義」を脱却しえている、と言うことができるかもしれません。しか
し、問題は、そのような研究成果が、一般会員にはほとんど知らされていない
ということです。それらの成果が一般会員にすみやかに理解されるように、創
価学会はもっと組織的に努力すべきだろうと思います。そして、一部の研究者
の間だけではなく、会員全体でもっと自由に議論される必要があると思います。

 創価学会では、現在でも、《日顕氏には相承がなかった》というような主張
がなされていますが、これは明らかに、「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」
である「唯授一人血脈相承論」に立脚するものだろうと思います。このような
主張が機関紙上において現在も繰り返されているのを見ますと、残念ながら、
「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」から脱却しようという意志は、現在の
創価学会の中枢にはないのだと思わざるを得ません。
 

Re: 「普遍的な仏教」と「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義 ( No.5 )
日時: 2002/10/19 22:26
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



> 現在の創価学会の中にも、「釈尊に還れ!」という方向性が皆無というわけ
>ではないと思いますが、残念ながら、いまのところはまだほとんど浸透してい
>ないというのが実情だと思います。

そのようですね。それに、メンバーの中には(驚くことに)「釈尊に還れ!」「大聖人に還れ!」
という方向性を「原理主義」とみなして危惧する方もいるようです。しかしながら普遍的な仏教
の中心的思想(仏教入門書や初期仏教の経典や後述の友岡さんの著書を見ても)は
原理主義的傾向は皆無なのですね。

> しかしながら、創価学会の中には《急激にではなく、少しづつ変えていこう》
>と努力されている友岡雅弥さんのような方がおられますので、今後は少しづつ
>状況が変わっていくことを期待したいです。

友岡さんの著書『ブッダは歩む ブッダは語る』は大変参考になりますね。
《急激にではなく、少しづつ変えていこう》という点は示唆するところが
ありますね。

> 問題の「ハワイ・レポート」の提出が1978年。IRGの問題提起は1998年です
>ね。IRGのメンバーに、「ハワイ・レポート」についてのコメントを求めてみ
>るというのも面白そうですね。

IRGへのコメントを求めることは可能な限りやってみたいと思います。

(参考)
SGI-USAの再評価グループは一般会員が結成したとのことです。
SGI-UKでも再評価グループが組織内部で立ち上がっていたそうです。
しかし、再評価グループ内の内紛が発生し、再評価グループに関与したメンバーが
追放されてしまったそうです。
(「創価学会をみんなで考えよう」掲示板でcocoさんという方にご紹介頂きました)
こういうことは一般会員には全く知らされていないのですね。

Report on the SGI-UK Reassessment Group
http://web.archive.org/web/20010501115646/www.cebunet.com/sgi/ukdissent.htm
 

Re: 「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」からの脱却 ( No.6 )
日時: 2002/10/19 23:00
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



> Leoさんもご存知のとおり、東洋哲学研究所(創価学会の研究機関の一つ)の
>小林正博さんは、伝統教義の「唯授一人血脈相承論」を否定されています。元・
>東洋哲学研究所欧州研究部長で、現在はドイツの大学で教鞭をとられている松戸
>行雄先生は、伝統教義の「日蓮久遠本仏論」を批判されました。

松戸先生が学会内でほとんど評価されていないことを不思議に思います。

> また、日蓮は天台以上に「釈尊と衆生との密接な人格的関係」を重視してお
>り、「そこから生まれた思想として、日蓮の釈尊御領観と呼ばれるものがあ」
>るということを、創価大学の菅野博史先生(現在は創価大学・国際仏教学高等
>研究所の所長)が言われています。

> 「日蓮の釈尊御領観」については、『日蓮大聖人の思想と生涯』(第三文明
>社、1997年)の著者のお一人である佐藤弘夫先生も論じておられます。

「釈尊御領観」と「日蓮久遠本仏論」は矛盾しますし、また「日蓮久遠本仏論」は
後世の教義とのことですね。これはLibraさんの資料が参考となりました。
初期興門教学には「大石寺流宗祖本仏思想」はなかった 
http://fallibilism.web.fc2.com/z008.html

> このような考えは、すべて、「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」に反す
>るものだと思います。研究者のレベルでは創価学会も「ファンダメンタルな日
>蓮正宗の教義」を脱却しえている、と言うことができるかもしれません。しか

「何もしていなかった」のではない訳ですね。創価学会関係研究者は評価されて
よいと思います。

>し、問題は、そのような研究成果が、一般会員にはほとんど知らされていない
>ということです。それらの成果が一般会員にすみやかに理解されるように、創
>価学会はもっと組織的に努力すべきだろうと思います。そして、一部の研究者
>の間だけではなく、会員全体でもっと自由に議論される必要があると思います。

会員を混乱させたくないとか、「従来の権威的な部分」を指導に利用するというような
ことがあるのかもしれませんが、「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」を
脱することの方が「権威主義」的傾向を減少させ、教義を普遍化させるという
意味で有益と思われてなりません。

> 創価学会では、現在でも、《日顕氏には相承がなかった》というような主張
>がなされていますが、これは明らかに、「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」
>である「唯授一人血脈相承論」に立脚するものだろうと思います。このような
>主張が機関紙上において現在も繰り返されているのを見ますと、残念ながら、
>「ファンダメンタルな日蓮正宗の教義」から脱却しようという意志は、現在の
>創価学会の中枢にはないのだと思わざるを得ません。

「日蓮正宗」との組織闘争のために教義を保留しているのか、あるいは、
これは穿った見方ですが、教義を普遍化しすぎると会員数があまりに増えすぎて
困るとか、問題を残していた方が精神修養として有効と考えられているのでしょうか?
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.7 )
日時: 2002/10/22 01:18
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



今回は、創価学会新会則についてとりあげたいと思います。

創価学会新会則
http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/new_page_29.htm

 釈尊に始まる仏教の慈悲と平和の精神は、大乗仏教の真髄である法華経に集約され、一切衆生を救う教えとして明示された。日蓮大聖人は、法華経の根本を三大秘法として顕され、未来永遠にわたる人類救済の道を確立された。
 創価学会は、日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを使命とする仏意仏勅の教団である。
 創価学会は、牧口常三郎初代会長と戸田城聖第二代会長によって、1930年(昭和5年)11月18日に創立された。
 牧口初代会長と戸田第二代会長は広宣流布の実践として折伏を開始し、その結果、第2次大戦中、国家神道を精神的支柱とする国家権力によって投獄され、牧口初代会長は獄中で逝去した。仏法が生活法であり価値創造の哲理であることを説いた牧口初代会長は、死身弘法の精神を自身の殉教によって後世に遺したのである。
 戸田第二代会長は、獄中において「仏とは生命なり」「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得、人間革命の理念を掲げて、日蓮大聖人の仏法を現代に蘇生させた。そして、75万世帯の誓願を達成し、日本における広宣流布の基盤を確立した。
 池田大作第三代会長は、日本のみならず世界に日蓮大聖人の仏法を弘通し、更に仏法の理念を平和・文化・教育などの分野に展開して、仏教史上初めて世界広宣流布の道を開いたのである。
 「三代会長」に貫かれる師弟不二の精神と広宣流布実現への死身弘法の実践こそ「学会精神」であり、永遠の規範である。創価学会は、仏法の慈悲の哲理を根本に、世界の平和と人類の幸福の実現を目指すものである。

宗教法人法としては教義が仏教の学問的研究成果と整合性がなくとも問題はないし、教義のみが
会員に希望を与えたのではないでしょうから、教義に問題があっても無害であるのかもしれません。
しかしながら、仏教以外のものを仏教として流布するのは「仏意仏勅」「広宣流布」と整合性がと
れるものでしょうか。皆さんのご意見をお願いしたいと思います。

(参考資料)
戸田城聖の悟達と『無量義経』の「三十四の否定」(池田大作)
http://fallibilism.web.fc2.com/054.html
タツノコさんとの対話2─戸田先生の宇宙生命論について
http://fallibilism.web.fc2.com/z016.html
 

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.8 )
日時: 2002/11/02 00:53
名前: shamon
参照: http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/



> 大聖人「釈尊に還れ!」
 恩師「大聖人に還れ!」
 ここに創価の万年の道。

「釈迦など役に立たない、法華経も役に立たない」と言っていた池田大作の創価学会が、諸般の批判を避けるために、上記のような顕本法華宗が主張するような「経巻相承・直受日蓮」などの真似のポーズをここにおいて取る、創価学会の仏教は実はそうであるなどとの誤魔化しを使うのは、創価学会の本質が明らかに仏教を利欲に利用する似非宗教である証でありましょう。仏教を利用して強欲に邁進する巨大生物に、偽善的な良心が通用するなどと思うこと、創価学会は正しい方へ変わりつつあるなどと詭弁に騙されることは、実に馬鹿らしいことだと思います。それはただ、自分は創価学会にあっても仏教においては良識的な者達であると抵抗する自己満足の世界ではありましょう。



shamonさんへ ( No.9 )
日時: 2002/11/02 01:16
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>8 shamonさん

> 仏教を利用して強欲に邁進する巨大生物に、偽善的な良心が通用するなどと
> 思うこと、創価学会は正しい方へ変わりつつあるなどと詭弁に騙されること
> は、実に馬鹿らしいことだと思います。

 《何をやろうが創価学会が正しい方へ変わることなどはありえない》と思わ
れるのはご自由です。しかし、そういう方は、この掲示板には参加しないで下
さい。

  スレッド「この掲示板の目的と使用上のルール」
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view&no=6
 


shamonさん ( No.10 )
日時: 2002/11/02 01:45
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>それはただ、自分は創価学会にあっても仏教においては良識的な者達であると抵抗する
>自己満足の世界ではありましょう。

では、外からの非難や敵意だけで何が変わるのというでしょうか?
とても仏法者の言とは思われません。
危機的状況において私どものように(力はなくとも)内からなにかをしようとする
ことに意味があります。(たとえ倒れてもです)
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.11 )
日時: 2002/11/02 01:55
名前: shamon
参照: http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/



単なる批判と思うことが、狭量なことですね。強欲に邁進する創価学会の存在を肯定しながら、正しい方向へ変えようなどということは、ありえないのです。仏教を騙った集金システム、権力の維持の為の創価学会を変えるなどということは、これを実質的に創設し運営している池田大作氏もその幹部である取り巻きも望んではいません。貴方方がすることは、池田大作を中心とする創価学会を崇拝する信者を、正しき日蓮聖人の教えに導くことでありましょう。創価学会の信者すべてが、強欲な巨大生物の洗脳から離れて、正しき教えの基に再結集させることができるのなら、釈尊・日蓮聖人の願いに叶うのではないですか。何ゆえに、自分の生まれながらに所属する教団に執着するのかわかりません。オーム真理教(アレフ)で、今尚活動している人たちと変わらぬ論理であることに愕然とします。創価学会の根底にある「体」は創価学会の存在自体にある絶対的なものであって、それを壊すということは、創価学会自体を解体することです。そういことも理解できない人の掲示板には参加していませんよ。創価学会を変えるのではなく、創価学会の信者である人々を正しい方へ変えるのが、釈尊の弟子の務めでありましょう。「ルールは俺だ」などとは、随分と偉くなったものですね(笑)。
 


shamonさんへ ( No.12 )
日時: 2002/11/02 02:01
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>11 shamonさん

 おっしゃりたいことはもういわれたでしょう。もうお引取り下さい。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.13 )
日時: 2002/11/02 02:05
名前: shamon
参照: http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/



Leoさん

>危機的状況において私どものように(力はなくとも)内からなにかをしようとすることに意味があります。(たとえ倒れてもです)

辛らつなモノの言い方をあえてすれば、こういう使い古されたコピーは、覚悟のない安全なところでモノを言う理想主義者が使うものです。創価学会の中にあって、私達は創価学会の為に頑張っていると創価学会の味方を演じる人が、倒れることはありません。何故ならば、創価学会を運営している人は、そういう者は利用するだけであって、相手にはしないからです。組織論理に無智なことは、純粋性の証ではありません。創価学会を敵に回す覚悟があってこそ、倒されてでもと言うことが出来ます。


shamonさん ( No.14 )
日時: 2002/11/02 02:10
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>何ゆえに、自分の生まれながらに所属する教団に執着するのかわかりません。

それは私にとっては自然や国のようなものです。日蓮聖人が日本国が法謗だからと言って
他国に移らなかったのと同じです。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.15 )
日時: 2002/11/02 02:47
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>覚悟のない安全なところでモノを言う理想主義者が使うものです。

「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」です。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.16 )
日時: 2002/11/02 10:10
名前: 顕正居士


Leoさん。

>それは私にとっては自然や国のようなものです。日蓮聖人が日本国が謗法
>だからと言って他国に移らなかったのと同じです。

適切な表現であるとおもいます。創価学会員の多数は2世、3世、4世であり、
1世とはあり方を異にします。今の創価学会員は創価学会という環境に育ち、
長じた後に、創価学会という環境が特殊な環境であったことを知ります。
モルモン宗徒の青年子女がユタ州を離れれば遭う状況に創価学会員は転地を
せずとも遭うのであります。今日、1世には創価学会よりもトンデモない教団
に改宗する人がいますが、2世、3世、4世にはそうした傾向は少ない。
わたくしは創価学会の2世以降の方々に自覚した人々があらわれ、そのひと達
の活動によって、創価学会が社会に適応し、社会に貢献し、元来の邪宗退治
の精神をよみがえらせ、あらゆるカルトを退治し、すなわち第三類の方々を
近代文明に浴せしめるよう期待し、応援します。創価学会の環境の改善は、
創価学会員の責任であり、非創価学会員に責任はない、単にフェードアウト
するのみではいけない、ましてよりカルトな勢力に2世、3世、4世を改宗
させてはいけない、そういう正しい見識を得られつつあるLibraさん、Leoさん
は素晴らしい方々であるとおもいます。
 

Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.17 )
日時: 2002/11/02 12:11
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>16 顕正居士さん

 激励ありがとうございました(涙)。

> 創価学会の環境の改善は、創価学会員の責任であり、非創価学会員に責任はない、単に
> フェードアウトするのみではいけない

 この責任を深く自覚する創価学会員がひとりずつでも増えていくように、微力ながら全
力を尽くしていきたいと思っています。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.18 )
日時: 2002/11/03 12:47
名前: SGI



はじめまして。SGIと名乗る者です。
別の掲示板にて「ハワイ・レポート」を紹介したことがありまして、皆様方の考察に大変興味を抱きます。
できれば私も参加したく存じますが、お許しいただけますでしょうか。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.19 )
日時: 2002/11/03 16:13
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>18 SGI

 ようこそいらしてくださいました。私もSGIさんのお考えに興味をもって
います。SGIさんのご参加を歓迎します。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.20 )
日時: 2002/11/03 16:32
名前: 顕正居士



"SGI"さんはだめです。その方の発言史がWEBで検索できる固有の名でなければ
なりません。このような名乗り自体があらし行為です。そういう意味では
Libraさん、Leoさんという名も固有の名でありません。最初に、よく筆名を
工夫しなければならりません。その名で自分の発言しか検索されない名乗りを
行なうことが先決です。shamonさんとかDr.Gさんとかはあらし者であっても、
発言をWEBで検索できます。
 


みなさまへ(顕正居士さんのご提案について) ( No.21 )
日時: 2002/11/03 16:51
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>20 

> "SGI"さんはだめです。その方の発言史がWEBで検索できる固有の名でなけれ
> ばなりません。

 顕正居士さんのこのご発言については、以下のご提案を参照されて下さい。

  スレッド「管理人への要望」、No.1、顕正居士さん
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view2&f=7&no=1

 この件については、スレッド「管理人への要望」にて議論したいと思ってい
ます。より多くの方のご意見をお伺いできればと思っていますので、よろしく
お願いいたします


困った… ( No.22 )
日時: 2002/11/03 19:41
名前: SGI



コンピュータのことや通信、ネットのことなど技術的なことはよく判りません。満足にセットアップや接続すらできないくらいですので。
また、こうした掲示板に書き込みを始めたのは、最近のことで、ルールやマナーなどあまり知りません。
そんなことで、皆さんに御不快やご迷惑をおかけするならば、遠慮した方がいいのかなとも思いました。
ネームが固有で特定されるべきであるならば、例えば鈴木一郎や小泉純一郎とかを名乗ればクリアされ、花とか富士山ではダメということなのでしょうか。判断がつきません。困った…。
 


ハンドル名の件 ( No.23 )
日時: 2002/11/03 20:06
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>"SGI"さんはだめです。その方の発言史がWEBで検索できる固有の名でなければ
>なりません。このような名乗り自体があらし行為です。そういう意味では
>Libraさん、Leoさんという名も固有の名でありません。最初に、よく筆名を
>工夫しなければならりません。その名で自分の発言しか検索されない名乗りを
>行なうことが先決です。shamonさんとかDr.Gさんとかはあらし者であっても、
>発言をWEBで検索できます。

顕正居士さんのご意見は了解できるのですが、何人かのハンドル名の変更が実際に必要なこと、
この掲示板上では区別がつくと思いますので、まずは現在のハンドル名を使用するこという
ことでいかがでしょか。

>コンピュータのことや通信、ネットのことなど技術的なことはよく判りません。満足にセットアップや接続すらできないくらいですので。
>また、こうした掲示板に書き込みを始めたのは、最近のことで、ルールやマナーなどあまり知りません。
>そんなことで、皆さんに御不快やご迷惑をおかけするならば、遠慮した方がいいのかなとも思いました。
>ネームが固有で特定されるべきであるならば、例えば鈴木一郎や小泉純一郎とかを名乗ればクリアされ、花とか富士山ではダメという
>ことなのでしょうか。判断がつきません。困った…。

たとえばSGI-Yokohamaというサイトがありますので、 SGI-Japan とか SGI-2002
「固有名」+「付加名」などを作成して検索サイト
http://www.google.com で検索して同じ名前が既に使用さえていないか確認するとよいと思います。

但し、私の意見としてはある掲示板内では区別がつく名前でよく、インターネット全体で通用する
名前は顕正居士さんのご意見のようによく練って付ける必要があると考えています。

 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.24 )
日時: 2002/11/03 20:07
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



使用さえていないか→使用されていないか
 


SGIさんへ ( No.25 )
日時: 2002/11/03 20:13
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>22 SGIさん

 管理人は、少なくとも現時点においては、SGIさんのハンドルネームには
特に問題を感じていません。「SGI」がダメだということになると、「Libra」
もダメだということになります(汗)。

 顕正居士さんのご提案については、これからもみんなで考えることにしたい
と思いますが、今のところは、暫定的に、《この掲示板内において多重ハンド
ルを使わなければ問題はない》ということにしておきたいと思います(「あ」
とか「名無し」とかいったようなものはもちろん困りますが)。ハンドルネー
ムを途中で変更するということはあってもよいと思いますが、その場合には、
必ずそのことをはっきりと宣言していただく必要があります。

 とにかく、私は、SGIさんのお考えにとても関心があります。SGIさん
がこの掲示板に参加されることを強く望みます。


ありがとうございます ( No.26 )
日時: 2002/11/03 23:27
名前: SGI


Libraさん、ありがとうございます。
Leoさん、ご配慮ありがとうございます。
顕正居士さんのご提案については、今後の皆様のご検討を踏まえますが、
とりあえず「SGI」のハンドルネームで参加させていただこうかなと思います。
よろしくお願い申し上げます。

 さて、学会の今春なされた会則・規則の改正は、世界宗教をめざすSGI路線の1つの結実だと捉えております。
 この新会則には、2つの潮流が盛り込まれているのではないだろうか。
 1つは世界宗教化路線、もう1つは池田神格化路線。この2つをひっくるめて「創価思想」と総称し、90年代から本格的に取り組んできており、ついに会則・規則の改定に至り、前文にも謳うことになった、と。
 しかしながら、SGIがめざす世界宗教化路線を推し進めていくと、いずれ池田神格化路線と矛盾が生じ、軋轢を生むのではなかろうか。そうした破綻が生じないように、現在も今後も学会本部は苦心していくことになるのではないだろうか。そんな想いを抱く。

 SGIがめざす世界宗教化路線は、世俗化・多元論の地平にあると、私は捉えている。
 であれば、1人の人間を神格化する論理は、最終的には相容れない。現在の池田創価学会は、あまりにも名誉会長を特別な人として過度に宣揚している。SGIがめざす世界宗教は「池田教」ではないはずだ。はっきりとは、そのイメージが語られたことはないが、ひょっとするとSGIがめざす世界宗教は、各宗教の上に立つ新たな宗教(思想)であるかもしれないのだから。

 創価学会を考察する場合、いろいろな視点やアプローチの仕方があると思うが、SGIがめざそうとしている世界宗教がどのようなものであるのかを問いかけることも、1つのアプローチとしては面白いのではないかと思う。この視点からの考察も、現在の池田創価学会の多くの課題を抱えた様々な在り様を検証することになるし、根本的には学会は正法正義なのかという問いかけになるのだと思う。いかがでしょうか。

個人的に関心を抱くテーマで、皆様の議論・関心とはズレているのかもしれません。
それだけに躊躇も覚えます。独りよがりになってしまう恐れがあります。その場合は、ご遠慮なく指摘下さい。対処いたします。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.27 )
日時: 2002/11/04 02:45
名前: 顕正居士



>鈴木一郎や小泉純一郎とかを名乗ればクリアされ、花とか富士山ではダメと
>いうことなのでしょうか。

鈴木一郎とかは同姓同名が無限です。SGI一郎とかならよいのです。同じ名が
存在しないでしょうから。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.28 )
日時: 2002/11/04 05:36
名前: 顕正居士


(仮に)SGIさん。

1-井上順考さんが絶版の自著『海を渡った日本宗教』の全文を自身のサイト
にアップされています。
http://www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/book/pb-umi.htm
創価学会(日蓮正宗)の米国布教史理解に資するでしょう。
2-『創価学会会則』は日本創価学会の会則ですから、『SGI憲章』のほうが
より将来的でしょう。『日蓮大聖人の仏法』はまだ出てきますが、
「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重し」と、日蓮離れが
進んでいます。
3-「現在の池田創価学会は、あまりにも名誉会長を特別な人として過度に
宣揚している」のは実際かも知れないが、会則の規定は平凡の範囲でしょう。
4-創価学会と並ぶ法華系新興教団は霊友会、立正佼成会ですが、両教団とも
いまは「日蓮離れ」をしています。これを円満に進めるのに開祖の権威が
役立ったでしょう。創価学会も基本的な方向は日蓮離れであると考えます。
5-日本創価学会は泥沼的カルト合戦を続けています。SGIさんがよそで書かれた
ように創価学会には約150万の中核的会員と約450万の外郭的会員がいると想像
されます。「世界宗教化路線」と矛盾するカルト合戦は外郭の防衛でしょう。
しかしカルト合戦により創価学会のイメージは相当に損傷された。井上さんが
『海を渡った日本宗教』を出された頃の創価学会のイメージは今よりはるかに
良かったのです。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.29 )
日時: 2002/11/04 17:29
名前: SGI居士



では、顕正居士さんにあやかり、SGI改め「SGI居士」とします。

>>28 顕正居士さんへ
1)「ハワイ・レポート」は、井上順考氏というか柳川啓一教授グループの調査に関連して報告されたものです。この調査には現創価大の中野毅氏らも関わっており、「柳川報告書」のNAS版という趣があります。
したがって、ご紹介された書籍は、SGIの世界宗教化路線を検証するには十分資するものと思います。ありがとうございます。
2)ご指摘のとおり、新会則よりも「SGI憲章」の方が、SGIがめざす世界宗教の方向性を示しております。
「人間主義」「世界市民の理念」「寛容の精神」「人権の尊重」などを謳う、SGIの宗教とはどのようなものか考えていきたいと思います。
3)会則の前文で、「三代会長を永遠の指導者」として明文化した意図・背景・影響等が気になります。
4)4-でご指摘のとおり、世界宗教化を推進するための過渡期の権威付けとしてだけでは終わらせたくないと考える潮流があるように思えてなりません。
5)昨今あまりにもカルトしている…。組織防衛のためとはいえ、今後の影響は計り知れないダメージがあるのではないかとも推察します。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.30 )
日時: 2002/11/04 17:30
名前: SGI居士



訂正
1)NAS版 → NSA版
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.31 )
日時: 2002/11/04 18:57
名前: 顕正居士



SGI居士さん。

今回の御投稿を拝見すると、SGI居士さんは意味がわからないままコピペを
されていたのではなくお見受けします。でしたら、今後は自分の文章と他人の
文章を区別し、出典を示してください。WEBに存在する文章は『さわり』だけ
を引用し、あとはURLを示すようにしましょう。

ご質問の
1-「三代会長」は創価学会の3人のファウンダーの意味で、池田大作氏のみ
を指しはいないとおもいますが?
2-「世界宗教化を推進するための過渡期の権威付けとしてだけでは終わらせ
たくないと考える潮流」とは何のことでありましょうか?

ところで、
霊友会が今日、二分裂して訴訟合戦を行なっている背景をSGI居士さんはどの
ように批評されますか?

*霊友会二分裂
日蓮離れの教義改革を行なった第2代久保継成会長は平成5年退任、集団指導制
に移行したが、反久保派が第3代会長を選出、久保氏は会長任期は終身である
ことを理由に会長復帰を宣言、反久保派は久保派会員を除名、会長地位存在
確認訴訟に一審、二審とも東京、大阪で反対の結審が出ている事件。


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.32 )
日時: 2002/11/05 00:40
名前: SGI居士



顕正居士さんへ。

 他人の文章を引用・借用し書き込む時は出典先を示すように心がけているつもりですが、収集した情報や資料に基づき、自分なりの理解と思考でまとめ、自己の表現として書き込む時までは、特に出典先を示しておりません。こうしたネットの掲示板においても厳格に出典先・引用先・参考図書・情報提供先などを示さなければならないのでしょうか。
 また、WEBに存在する文章であることを確認すれば、今後はそのURLを示すよう心がけます。ただ、まだ「さわり」だけにとどめURLにて意を伝えようとするスタイルに慣れておりませんので、ご了承下さい。

 学会の新会則・前文にて、仏意仏勅の創価学会との意義付けと共に、牧口・戸田・池田の「三代会長」における師弟不ニの精神等が明文化されたのであって、確かに名誉会長のみを取り上げているわけではありません。
 ですが、うがった見方かもしれませんが、現実の昨今の池田創価学会の在り様は名誉会長を過度に宣揚しており、前文の本音は、3人の会長ではなく、第三代会長を特に強調したいのではないかとも考える次第です。
 その本音とは、池田神格化路線―名誉会長を「特別な人」に祭り上げる言動・考え方であり、それが「過渡期の権威付けだけでは終わらせたくなく潮流」のことと捉えております。

 学会内部には、様々な思惑・論理・理想等が渦巻いております。けっして一枚岩ではありません。その中には、名誉会長を「仏」のように崇めている幹部もおりますし、名誉会長も望んでいるような雰囲気があるように思えてなりません。こうした潮流が、内部分裂の発生を抑制しているともいえるし、発生予防に利用しているともいえるし、発生の要因にもなりかねないのではないかと考えております。

 霊友会のことは、あまり存じておりません。
 正統な後継者たる久保継成・2代会長と古参幹部の、法華経中心か先祖供養中心かをめぐり対立し二分していると捉えております。誤認識であれば、ご教示願います。
 翻って学会の場合。私は、池田三代会長の誕生は青年部のクーデターであり、大きな内部分裂もなかったと捉えておりますが、「ポスト池田」について内部分裂の危惧を覚えます。そうはならじと、名誉会長が「錦の御旗」になるべく、現執行部は池田神格化路線を進めているのだろうと、最近考えるようになりました。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.33 )
日時: 2002/11/05 00:59
名前: さかなこ@みっふぃー本仏論者



>SGIさん

こんばんわ。さかなこです。

はっと気づくと私、池田名誉会長が会長に就任した経緯を
知らないのです。
人間革命はもちろんのこと読んでますがあれが本当だと
は思ってないし。。
その辺のところを知ってたら教えてください。池田名誉会長が
師弟不二と言っているほど戸田会長と池田会長の仲は良かったのでしょうか?
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.34 )
日時: 2002/11/05 05:34
名前: 顕正居士



>こうしたネットの掲示板においても厳格に出典先・引用先・参考図書・情報
>提供先などを示さなければならないのでしょうか。

ならない、とか、なるとか、いうことではなく、それらが何も示されていない
ような文章は、2ちゃんねるなどからコピーした文章であろうと、想像される
でしょう。出典は忘れたが、たくさんの数字データは記憶にあるとか、書名は
忘れたが長い文章は記憶しているなどということはあり得ないのですから。

>その本音とは、池田神格化路線―名誉会長を「特別な人」に祭り上げる
>言動・考え方であり、それが「過渡期の権威付けだけでは終わらせたくない
>潮流」のことと捉えております。

池田家が創価学会のオーナー家として資産を掌握し続ける、ような意味であり
ましょうか。しかしその場合は後継予定者の個人崇拝も同時に進める必要が
あるのでないでしょうか?

>霊友会

「三代(の)会長」といっても、実際上は戸田城聖氏と池田大作氏の2人であり、
それぞれの政策、個性は日蓮正宗ファンダメンタル路線と世界宗教脱皮路線と
反対を向いています。したがってSGI路線の推進には戸田門下や戸田シンパの
弾圧が必要であり、この過程で個人崇拝が発生した。これらは日蓮正宗からは
すべて「謗法」であり、第一次の宗創戦争に発展し、池田大作氏は会長を退任
したが、日蓮正宗ファンダメンタル路線への回帰には至らず、第二次宗創戦争
へ発展する。久保継成氏の会長退任、復帰宣言、霊友会分裂には類似した構造
が見られる、意味であります。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.35 )
日時: 2002/11/05 07:49
名前: 顕正居士


北米の日蓮信仰-発展形態

北米の日蓮サイトの中でグレイトでクールなのは"Lotus Sutra Net"である。
http://campross.crosswinds.net/

このサイトには日蓮、法華を中心にあらゆる宗派の記事があり、あらゆる
サイトにリンクしている。北米の日蓮信仰は南無妙法蓮華経と日蓮を仏教統一
のシンボルとして表象することであって、宗派を越えたものである、という
感じである。信仰の理解が超宗派的であれば、一個の教団に宗教サービス料
を支払い、あるいは労務を提供する、あり方は無理になる。より正確な聖典
の翻訳や注解を出版する、より美しい礼拝用具を提供する、等々、個別に
競争力のあるサービスを研究者、アーチスト等と協力し、宗派横断的に行なう
ようになるであろう。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.36 )
日時: 2002/11/05 22:00
名前: SGI居士



さかなこさんへ

 私が知る限りですが、戸口浩著「池田創価学会の真実」(日新報道刊)に三代会長誕生をめぐる青年部クーデターの記述があり、比較的最もまとまっていたと記憶しております。ご覧下さい。
 私は、石田次男氏に直接お会いし、話をお聞きしたことがありませんが、生前氏は「戸田先生は池田大作を信用していなかった」との旨の発言をしていたと、人づてに聞いたことがあります。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.37 )
日時: 2002/11/05 22:02
名前: SGI居士



顕正居士さんへ
 1)池田家が学会オーナー家となり、博正氏にしろ尊広氏にしろ、または城久氏の子息が世襲しても、その後継者は財産継承者にすぎず、新たな指導者にはならないのではないでしょうか。
 世襲が実現しても、池田家は学会SGIの象徴であって、集団指導体制が採用されるのだと思います。そのために新会則で「永遠の指導者」と位置づけ、さらに会長職に師範会議や最高指導会議の意見に基づく御本尊の裁定や教義解釈権を付与したのでしょう。したがって、後継者の個人崇拝はないと判じますが、いかがでしょうか。

 2)池田創価学会では、天皇家のように池田家が象徴となり、その国体を守りながら、会長以下執行部(総務会)が、「先生は、こうおっしゃっていた」と詔旨しながら会を運営していく。池田家の財産と学会の財産は不可分で、その継承者は名誉会長の血統でなければ、会が収まらないのではないでしょうか。
 池田家(名誉会長の栄誉・財産・血統・思想)を守るということで、執行部は「錦の御旗」を有し、会員の支持を得、会を統理することができる。それ故に、名誉会長にはもっともっと"箔"をつけて貰わなければならない。―これが、今の執行部の方針ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 3)内部造反や路線対立が生じた時、「錦の御旗」を所持しているほうが主導権を握ります。キリストと聖書があればいいというプロテスタントは分派分裂・諸派発生の歴史のようですが、大聖人と御書があれば血脈はいらないと正宗を切り捨てた学会ですので、「錦の御旗」がなければ、会を二分するような分裂騒動を招きかねません。それだけに、ポスト池田時代は「(第)三代会長の精神」を旗じるしに掲げざるをえないのではないでしょうか。

 4)池田第三代会長の誕生が青年部のクーデターであったとしても、戸田会長は生前「三代会長は青年部に譲る」と明言しており、その意味では"お墨付き"がありました。
  会の統理を握った池田会長以下青年部は、クーデター反対派と目される古参幹部らを議員や参議・顧問といった形で組織の第一線から外し、磐石な体制を築き、そして次々と「戸田先生の構想を実現するのだ」との名目で新構想を打ち出していきました。
  第一次宗創戦争は、宗門サイドからの反撃で、結局は内部分裂までには至りませんでした。本部内部でも改革派らしきグループは存在しましたが、幹部職員は「組織崩壊は避けなければならない」との自制が働くのです。この思考回路は、今もしっかりと根付いております。したがって、分裂を引き起こすような騒動は、そう簡単には起きないのではないかと捉えております。

 5)他教団のこと故、ご認識があればご容赦ください。
  立正佼成会の場合、日敬氏が生前においてきちんと会の理念と具体的な方向性を示し、世襲し、逝去しているので、古参幹部は後継者・日鑛氏を守り立てる番頭役に徹することができたのではないでしょうか。
  霊友会の場合、継成氏が教団を先代より引き継ぎ、「いんなーとりっぷ」のキャンペーンを始めると共に、自身の法華経研究に基づき釈迦との連関を図る教義の再構築など、教団の現代化を推進している最中、先祖供養等の教団の伝統に固執する古参幹部により辞任に追い込まれたのではないでしょうか。
  つまり、佼成会は「真実顕現」とか「普門示現」と称しながら、上手に衣を替えていったが、霊友会・継成氏は"衣替え"に失敗した、と。

 6)学会の場合、名誉会長の"勅旨"―「錦の御旗」が有効である限り、佼成会・日鑛氏のように世襲後継者を宣揚する必要もなく、また執行部による路線変更があるとしても、"勅旨"の新解釈・発現ということで乗り切ることができる、と執行部は踏んでいるのではないでしょうか。池田会長時代のように。
  SGIがめざす世界宗教は、おそらくギリギリのところでは日蓮大聖人との連関を保つであろうが、脱・正宗を超えて「日蓮離れ」をするであろうと予測されます。しかし、「五十二年路線」挫折の反省に立って、極めて慎重に着実に、会員にさほどの違和感を与えることなく、コトを進めているだけに、正宗の信徒団体時代を胸に刻む50〜70代の会員らの引退を待つ覚悟さえ秘めているのではないかと思います。

 追伸:北米の日蓮信仰の件
 なぜかトップページから次のページに行こうとすると、私のCPはフリーズを起こす。何度か試みたがダメ。
 それに英語はかなわんに〜。鬼畜英米・毛唐排撃・外道撲滅を口にする私を妻は「ウヨク。国粋主義者」と蔑む。学生時代、ゼミが原書使用だったせいで、すっかりトラウマになってしもうた。顕正居士さん、申し訳ないです。 
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.38 )
日時: 2002/11/05 23:54
名前: さかなこ@みっふぃー本仏論者



SGI居士さん>

こんばんわ。レスありがとうございましたm(__)mm(__)m
SGI居士さんのお話によると3第会長就任というのは
戸田会長からの直々の勅命ではなかったのですね。。

そういえば戸田一族や牧口一族ってどうなっているのですか?
両会長とも子息を残してないのでしょうか??学会ではあまり
話を聞かないのですが。。
 


SGI居士さんへ ( No.39 )
日時: 2002/11/06 00:09
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



私は下記宗教学者の資料と『小説人間革命』などに描かれる歴代会長像がかなり
異なるので驚きました。戸田会長の時代から事業的傾向が強かったようです。
あらためて『小説人間革命』は神話の構築だと思いました。

W 創価学会 戸田城聖
X 創価学会 E(男)
(小口偉一編 『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』 河出書房)
http://fallibilism.web.fc2.com/note007.html

私の持っている資料はこの位しかありませんでした。

SGI居士さんの引用されている資料は学会批判本からのものもあるようですが、
(他の掲示板で引用されているものも含めて)
それらも内容的に信頼できそうだという感触を持ちました。

そのような組織発展の状況ですと、それは組織闘争の歴史であって仏教は
どこへ行ってしまったのかという感じですね
(仏教は単に利用されているだけのようです)。

 


顕正居士さんへ ( No.40 )
日時: 2002/11/06 00:22
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>北米の日蓮信仰-発展形態
>北米の日蓮サイトの中でグレイトでクールなのは"Lotus Sutra Net"である。
>http://campross.crosswinds.net/

このサイトはオリエント趣味がそこはかとなく漂っているようですね。

>南無妙法蓮華経と日蓮を仏教統一のシンボルとして表象

これは日蓮の意図に相反しないですね。

>より正確な聖典の翻訳や注解を出版する、より美しい礼拝用具を提供する、
>等々、個別に競争力のあるサービスを研究者、アーチスト等と協力し、
>宗派横断的に行なうようになるであろう。

これは健全な競争ですね。罵倒合戦(足の引っ張り合い)の那由他阿僧祇倍
よいですね。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.41 )
日時: 2002/11/06 03:46
名前: 顕正居士



>したがって、後継者の個人崇拝はないと判じますが、いかがでしょうか。

フジサンケイグループにおける鹿内家のことを考えても、オーナー家の後継者
が「親政」を行なうには規模が大きい。第3代池田会長の路線を継承する象徴
の役目に就かれると、わたしも予想します。

>正宗の信徒団体時代を胸に刻む50〜70代の会員らの引退を待つ覚悟さえ
>秘めているのではないかと思います。

ファンダメンタル路線との訣別を確認し、具体政策を将来的に行なうためには
「永遠の指導者」は「文底」では「三代(の)会長」ではなく「(第)三代会長」
であると解釈される必要がありますね。

 1-Lotus Sutra Net-入れない方はとりあえず下のURLから入ってみて下さい。
http://campross.crosswinds.net/home.html
英語を忘れてしまった方には素晴らしいサイトがあります。
http://www.rikai.com/perl/HomePage.pl?Language=Ja
*2-井上さんのサイトには次の文章もアップされています。
Keiichi Yanagawa,NSA and Non-Japanese Members in California
http://www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/pae-nsa.htm
「ハワイ・レポート」は中野毅さんの談話を要約筆記したものでしょう。
これらの文章はたしかに創価学会の脱ファンダメンタル路線の形成過程を理解
するのに重要です。
*3-次のロングセラーも対宗門戦争以前の創価学会イメージの理解に役立つ。
James W. White,The Sokagakkai and Mass Society,1970
http://www.sup.org/cgi-bin/search/book_desc.cgi?book_id=0728



Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.42 )
日時: 2002/11/06 05:33
名前: 顕正居士



Leoさんがスレッドをお立てになった趣旨へ戻ります。

「気になる点としては『布教しか考えていないのか?』というような所も
あります。」

今日の北米仏教はチベット仏教、テーラヴァ−ダ、日本仏教、中国仏教の
どれかの系列に属します。日本仏教、中国仏教も今は日系人の宗教、華僑の
宗教の枠に止まっていない。これら仏教諸派にとってアメリカは純然たる
フロンティアですから、まず「布教」が中心問題になります。北米仏教は
"Lay-Buddhism"(在家仏教)である、といわれます。僧侶は少ないので、
初学者は僧侶から学んだ在家を先生にして経典や実習を学ぶしかないから
です。教団が信者にノルマを課すような意味の在家布教ではないのです。

「議論したい点は、このレポートの内容は現在国内で生かされている
(十分実現されているか)か、国内の各リーダがカウンセラーでありうる
のかなどなどです。」

北米仏教の特色は布教のフロンティアであることと不分離です。日蓮信仰も
北米では宗派横断的の形態への発達が観られますが、これはあらゆる宗派が
活発に布教しているから可能といえます。北米の人々には仏教は珍しい文化
であり、日本仏教と畳や回転寿司は一体のものです。対して日本人にとって
日本の宗教にエキゾチックな魅力は何もありません。
 


さかなこ@…さんへ ( No.43 )
日時: 2002/11/06 20:39
名前: SGI居士



戸田会長は三代会長を指名しておりません。
戸田会長はS27年に「三代会長は青年部に渡す」と明言しておりますが、具体的な個人名を公で示したことが一切ありません。
名誉会長は、ご存知の通り「本山大講堂のエレベーターで相承があった」と言い、
石田次男氏は、戸田会長から打診があったが「任にあらず。断った」と後に明かし、
竜年光氏は、戸田会長の死の床で「次の会長は?」との問いかけに「お前達で決めろ」と語った、と述べております。

牧口会長一族の事は、全く存じ上げておりません。どなたかご教示願います。
戸田会長の未亡人・幾さんは、平成12年、正宗・常在寺の細井珪道御住職の導師で葬儀を修しております。正宗信徒としての生涯を貫かれております。
名誉会長は葬儀に参列してません。秋谷会長、和泉議長ら幹部30名程が参列しております。
ご子息は、最初から学会の要職に就いておりません。一銀行員です。
正宗は喪主が信徒でなければ原則として葬儀を引き受けないようですので、常在寺信徒と思われます。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.44 )
日時: 2002/11/06 20:53
名前: SGI居士



Leoさんへ
 1つ、お断りがあります。
 学会の内部で権力闘争があったという見方は、微視的な見方だと思います。
 三代会長の選出がクーデターであったとしても、(池田派から見て)反対派と目された方たちが、その動きに対抗・反対したことはないと、私は捉えております。名誉会長は、三代会長の座を望んで、勝ち取ったのかもしれませんが、他の方は「時期尚早」としつつも、結局は推挙しております。
 戸田会長は、派閥や党中党について「獅子身中の虫」ということで大変厳しく指導しており、これは今なお組織のテーゼとして厳然と生きております(というか、そもそも池田体制下は派閥ができないような仕組みになっております)。したがって私は、学会組織には基本的には幹部による派閥・権力闘争はないと認識しております。
 ただ、ご指摘のように『人間革命』は神話です。史実では断じてありません。多くの歴史書がそうであるように、勝者による体制賛美・擁護・正当性の強調のために書かれていることは、ご想像の通りです。

 
 顕正居士さん、横レス大変失礼いたしました。申し訳なく存じます。ご容赦下され。
 



Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.45 )
日時: 2002/11/06 22:58
名前: さかなこ@みっふぃー本仏論者



SGI居士さん>

色々と深読みできそうな話がいっぱいですね。。汗。戸田会長にはご子息がいらっしゃったのですか。。知らなかったです。

歴代会長の親戚の方って。。本当にどうなってるのでしょうね。。興味あります。
一度だけ牧口会長の奥様だかご親戚がシナノ企画のビデオに出てた気がします。。ずいぶん前のものだと思いますが。。とりあえず歴代会長の関係者だったような。。
母親が「先生はこうやってみんなを大事にするのよお」って目をうるうるさせてたから記憶にあります。

 



顕正居士さんへ ( No.46 )
日時: 2002/11/06 23:49
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>「気になる点としては『布教しか考えていないのか?』というような所も
>あります。」

この件は少し説明不足でした。確かに布教は宗教の基本かもしれません。しかし、
「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、
邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし」
(「開目抄 下」、全集、p.235)
学会指導ではこの御書(遺文)をもとに、外国は無智・悪人の国土なので
摂受、日本は邪智・謗法の者の多きなので折伏(攻撃的布教)とされています。
・現在の日本は鎌倉時代のように、一般的には仏教にそれほど熱心でなく、仏教の知識も
昔ほど普及しているとは言えないので無智・悪人の国土なのではないかということ。
・学会活動のほとんどは御書の学習も含めてほとんど折伏(積極的布教)に
結び付けて考えられており、学習を深く掘り下げようとしても十分な指導者
がいないばかりかそのようなことは排斥される。
・折伏の達成数は部や地区(組織単位)で自主的に目標を決めるにせよ実質的ノルマと
なっている。

>僧侶は少ないので、
>初学者は僧侶から学んだ在家を先生にして経典や実習を学ぶしかないから
>です。教団が信者にノルマを課すような意味の在家布教ではないのです。

外国での布教は文化的な面が大きいのではないでしょうか。
日本でもこのようにあるべきではないかと思いました。
(日本では組織維持の面が大きいのではないかという疑問があります)

>「議論したい点は、このレポートの内容は現在国内で生かされている
>(十分実現されているか)か、国内の各リーダがカウンセラーでありうる
>のかなどなどです。」

>北米の人々には仏教は珍しい文化
>であり、日本仏教と畳や回転寿司は一体のものです。対して日本人にとって
>日本の宗教にエキゾチックな魅力は何もありません。

外国と日本では確かに事情が違うのかもしれません。
しかし、学会ではなにか疑問を問うと、それは観念論だから折伏して来い
(結果を出せ)という答えが返ってきます。

 


SGI居士さんへ ( No.47 )
日時: 2002/11/07 00:10
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>学会の内部で権力闘争があったという見方は、微視的な見方だと思います。

> 戸田会長は、派閥や党中党について「獅子身中の虫」ということで大変厳しく指導しており、

結構初心者にも「獅子身中の虫」は指導しますよね。御書にも出て来ますし。
しかし、実は御書で説かれているのは仏教破壊への誡めであって、組織維持に関する
ことではないですね。(「法」を護るところが「組織」を護るにすりかわってしまったので
はないかという疑問があります)

>これは今なお組織のテーゼとして厳然と生きております(というか、そもそも池田体制下は
>派閥ができないような仕組みになっております)。
>したがって私は、学会組織には基本的には幹部による派閥・権力闘争はないと認識しております。

了解しました。

> ただ、ご指摘のように『人間革命』は神話です。史実では断じてありません。
>多くの歴史書がそうであるように、勝者による体制賛美・擁護・正当性の強調のために
>書かれていることは、ご想像の通りです。

創価史観、創価闘争(発展)史のようなものですね。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.48 )
日時: 2002/11/07 06:28
名前: 顕正居士



>学会活動のほとんどは御書の学習も含めてほとんど折伏(積極的布教)に
>結び付けて考えられており、学習を深く掘り下げようとしても十分な指導者
>がいないばかりかそのようなことは排斥される。
「折伏」と「布教」は一緒でないし、布教は会員増加と一緒でありません。
第一、たとえばプロヴァイダのような業種で、新規会員をいくら営業しても、
次々と退会もするのでは、利益になりません。サービスを向上し、定着率が
良ければ、入会者は少なくても利益となります。

>日本でもこのようにあるべきではないかと思いました。
>(日本では組織維持の面が大きいのではないかという疑問があります)
北米では世界中の宗教が活発に競争しているので、サービスが悪ければ、
直ぐに他の教団に移ってしまいます。だからアメリカ創価学会の競争力には
国内より高いものがあったのだと考えます。

>しかし、学会ではなにか疑問を問うと、それは観念論だから折伏して来い
>(結果を出せ)という答えが返ってきます。
そういう感じは、さまざまな掲示板などを見てわかりますが、そうなって
しまった理由が謎です。

ところで『ハワイ・レポート』にある
「NSAには、僧侶の存在の必然性がまったくないといえるのではないか」
「そこには、日蓮正宗の存在や介在は考えられない」
は誤りであり、僧侶が執行する儀礼や、大石寺巡礼へのニーズは高く、
国内よりはるかに高い率でメンバーは日蓮正宗の新組織へ移りました。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.49 )
日時: 2002/11/07 15:28
名前: さかなこ@みっふぃーを本仏にする会会長



痴ってしまってすみませんm(__)m

>しかし、学会ではなにか疑問を問うと、それは観念論だから折伏して来い
>(結果を出せ)という答えが返ってきます。

それを言われてしまうと何もいいかえせないですね。。。ふう。。

>「そこには、日蓮正宗の存在や介在は考えられない」
>は誤りであり、僧侶が執行する儀礼や、大石寺巡礼へのニーズは高く、
>国内よりはるかに高い率でメンバーは日蓮正宗の新組織へ移りました。

私の叔母はアメリカ在住で向こうで活動をしてます。幹部さんの文句ばっかり言っ
てるのでどこもいっしょなのか。。と思っちゃいましたが。(笑)
アメリカの正宗のことは聞かないのですが正宗と分かれた頃「アメリカ人はあー
いう袈裟とか衣装を着てるのに弱いからあんまり日顕が悪いとか分からないみた
いなのよ」とか言っていたのでアメリカでは日本のような感じではないのかなあ。。
と思いました。「アメリカ人は軽いからネバー退転とか言ってすぐに退転する」
とかも言ってたのでその辺も比較的おおらかなのかなあ。。と思います。

アメリカの会合には何回か参加しましたが日本よりはディスカッション中心で面
白かったような気がします。
東洋文化に憧れて入ったような会員さんも沢山いましたがそうでない方も
沢山いたように思います。

向こうの体験発表は、麻薬をやめられたとか上手く離婚できて慰謝料をもらった
とか。。そういうのが多くて日本と違うなあ。。なんて感じた思い出があります。
私としては折角、異人さんの国に来たからには色んな人と会って話したいと
思ってましたので会合に参加するのは楽しかったですね(笑)

日本人の割合は一割くらいだったような気がしますが大きな会合とかで
日本人、その他で分かれてるようなものもあって日本人VS地元民の確執が
起こったりしないのかな。。。と思った記憶があります。どうなのかな。。

 


顕正居士さん&SGI居士さんへ ( No.50 )
日時: 2002/11/07 20:36
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



 2つ質問させていただきます。

1.ファンダメンタル路線と訣別することには私も賛成なのですが、梵我一如
  (「宇宙即我」)というように仏教の外側に飛翔するのには反対です。こ
  の点についてはどのようにお考えでしょうか。

2.「日蓮離れ」というのはどのような意味でしょうか。


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.51 )
日時: 2002/11/08 00:14
名前: さかなこ@みっふぃー本仏論者



>痴ってしまってすみませんm(__)m

あ、文章が途中できれちゃってる。。(-_-;)
まあいいや。。っと(笑)

宇宙即我>

そういえば、ばりばり学会員のお父様とお話ししていて、宇宙全体も縁起で成立しているわけで、私達も縁起の法則で成り立っていてなら宇宙の法則=宇宙のリズム=縁起で分かりやすく言うために縁起とやらを宇宙の法則とかリズムといっただけで実質的には同じことだと言われました。
そして題目あげろと言われた時点でぶちぎれですよ。ぶちぎれ。親子の確執はまだまだ続くようです。
ふう。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.52 )
日時: 2002/11/08 00:28
名前: SGI居士



つれづれなるままに…。

 大学1年の時、一般教養科目で哲学を履修し、インド哲学に触れた。ウパニシャッドだった。梵

我一如を知った時は驚いた。感動すら覚えたものだ。これは、学会の教学・池田先生の思想と同じ

だ、と。釈迦はインドの人。バラモン(外道義の意味ではなく)の土壌から仏教が生まれ、その中

で発展し、中国を経て、日本に到来し、大聖人へと引き継がれ、今学会がある。古代からの人類の

哲理が凝縮され、1つの宗として体系化され、それが人類の福祉・幸福・平和へと広がっている。

なんと雄大で高邁な営みであろうか、と単純に受け止めたのである。

 学生時代、学会本部や学内などで度々御書講義を受けた。そこでは通常の組織で行われる御書講

義・学習会とは異なり、「ここだけの話にして、胸に秘めておくように」といわれながら、正宗教

学を否定するような新しい解釈が語られ、議論が交わされていた。なんと大聖人の仏法は深いんだ

、すごい、と単純に興奮しながら、毎回この講義に胸を躍らせ参加したものだ。「ハワイ・レポー

ト」で指摘されているようなことは、報告以前より学会の方向性として取り組まれていたのである

。松戸氏や菅野氏、中野氏らも、そのような機会を通して薫陶も受け、そして学術の道に進み、自

己のテーマとして追究していったのであろう。

 日蓮正宗の教義は、極めて特異な教義である。特異であるが故に、正法正義なのか、それとも普

遍性を有しない田舎宗教なのか。実は、私自身においては結論が出ていない。だが、学会SGIは

違う。在家主義を志向するから脱・正宗を図ったのではない。教義においても決別しているから、

正宗を切り捨てたのである。正宗の伝統教義では、世界宗教になりえないと判じている。しかし、

その目指そうとしている宗教観・教義・化儀等が、明確に語られることがない。今のところ、名誉

会長の言動や対談、学会の施策などから読み取っていくしかない。

 学会SGIの教義は、西洋近代思想(合理主義・啓蒙主義・形而上学等―強引な括り方ですが)

の論理で語られ、世俗化・多元論の地平にあると思われる。その上で、原理主義も含めて世俗化・

多元論を発展・超克させた新しい宗教観を築こうとしているのかもしれない。本当のところは、判

りません。おそらく現下は、携わっている人々の、それぞれの捉え方・考え方がぶつかり合いなが

ら、教団としては対機法で判断しながら推進しているのではないだろうか。

 顕正居士さんがおっしゃっている「日蓮離れ」は、顕正居士さんにお聞きするとして、学会SG

I自体の歴史的な経緯を踏まえれば、日蓮大聖人の存在を無視することはできないと思う。しかし

、正宗や日蓮宗の宗学で語られるような「日蓮」ではないだろう。世俗化・多元論を発展・超克さ

せた新しい宗教観を構築していく時、「日蓮」の見直しがなされると想像する。その場合、これは

確かなる論拠があるわけではないが、世界中の宗教を止揚させようとする時、ウパニシャッド・梵

我一如を利用し、「日蓮」を生かそうとするのではなかろうか。
 でも、そのような宗教が正法正義とは、私には思えないのですよ…。

と、整理がつかないまま、思いつきで書いております。
気に留めず、忘れてください。単なる迷い言です。


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.53 )
日時: 2002/11/08 00:31
名前: SGI居士




あれ、なんでこんな風に表示されるの?
すみません。みっともなくて、体裁が悪いね。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.54 )
日時: 2002/11/08 06:16
名前: 顕正居士



宇宙生命論は創価学会でだけ云われるのではありません。

「釈尊の本体である久遠の本仏、それは宇宙そのものであります。宗祖は今此
三界合文(定遺二二九二頁)という御書の中に伝教大師の著書を引用されて
「釈迦如来は是れ三千世間の総体」と仰せでございます。さらにこの久遠御本
仏を大聖人にお聞きいたしますと、「釈尊一人のみの本体でなくして、私ども
の全人類の内観である」とされています。即ち観心本尊鈔に「我等が己心の
釈尊は、五百塵点、乃至所顕の三身にして、無始の古仏なり云々」とお説きに
なっているわけでございます。
 これは何を物語っているかというと、大宇宙を本体とする仏の姿、宇宙生命
論というものを大聖人が御提示あそばした、それがとりもなおさず、私どもの
己心の中に具足しているということであります」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/02/02_070.htm
日蓮宗で云われるわけでもなく、日本宗教全部でしょう。

日蓮宗は「常楽我浄」の宗教です。密教と同じです。
http://www.ginpa.com/column/20001217.html
妙法蓮華経が経の題に過ぎないなら、唱題修行など成り立たない。

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉て、我が己心中の仏性南無妙法蓮華
経とよびよばれて顕れ給ふ処を仏とは云ふなり。 譬へば寵の中の鳥なけば空
とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば寵の中の鳥も出でんとする
が如し」
http://nakanihon.net/nb/gosyo//hokkesyosinnjoubutusyou.htm
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持て、南無妙
法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは
申すなり 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之に依て曼陀羅とは
申すなり」
http://nakanihon.net/nb/gosyo/nitinyogozegohennji.htm
胸中の肉団とは心性蓮華すなわち如来蔵です。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.55 )
日時: 2002/11/08 07:05
名前: 顕正居士



日蓮離れ

とは日蓮を離れて直接に法華経、仏教、哲学に向かうような意味であり、
要するに、「池田先生の著作」などの傾向のことです。

http://www.pegasus-pro.com/~jonathan/data/literature.htm
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.56 )
日時: 2002/11/08 08:01
名前: 顕正居士



"Index of Books & Essays by Jacqueline Ilyse Stone, Ph.D."
http://campross.crosswinds.net/bodhisattva/JStone.html

中古天台と日蓮の専門家であるJ.I.Stoneさんの幾つかの論文が読める。
pdf fileはとても読みにくいが。この方はSGI版GOSHOの翻訳者の一人。


顕正居士さん&SGI居士さんへ ( No.57 )
日時: 2002/11/08 09:16
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



 コメントありがとうございました。議論を中断させてしまい、申し訳ありま
せんでした。


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.58 )
日時: 2002/11/08 12:34
名前: 顕正居士



WEBで読める批判仏教批判論文でまとまっているものに

釋恆清師(台湾大学教授)『「批判佛教」駁議』(哲學論評第二十四期)
http://ccbs.ntu.edu.tw/FULLTEXT/JR-MISC/misc99885.htm#[18]

がある。

第三節「如來藏は佛教であり、如來藏 (佛性)は『基體論』でない」頁13

縁起法「此有彼有,此滅彼滅」前後法的相依性,就是縁起法的「界」性。換言
之,「縁起」即亦指「界」(sa-dhaatu)。[25]因此,「界」與「縁起」的觀念
相容而不悖。

法が縁起するとは「此れ有れば彼有り、此れ滅すれば彼滅す」、前後の法が
相依ってあるとは、すなわち縁起する法に「界」(区別)があることである。
言換えれば「縁起」とはその「界(=区別)」(sa-dhaatu)を指す。ゆえに
「界」と「縁起」の概念は相容れて悖らない。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.59 )
日時: 2002/11/08 14:13
名前: 顕正居士



>日蓮正宗の教義は、極めて特異な教義である。特異であるが故に、正法正義
>なのか、それとも普遍性を有しない田舎宗教なのか。
ローカルな宗教に違いありませんが、室町時代以後の日本文化の基調に流れる
「中古天台本覚法門」を冷凍保存したような教義(今日、正しく解釈されては
いないが)に意義があり、希少種のマイナー宗教といえます。

>だが、学会SGIは違う。在家主義を志向するから脱・正宗を図ったのでは
>ない。教義においても決別しているから、正宗を切り捨てたのである。
教義とも訣別を目指しはじめたとはいえます。

>しかし、その目指そうとしている宗教観・教義・化儀等が、明確に語られる
>ことがない。今のところ、名誉会長の言動や対談、学会の施策などから読み
>取っていくしかない。
今後は「脱日蓮正宗」という方向を池田大作氏は早くからいだいていたので
なかろうか。戸田城聖氏もそれが必然の方向と考えたかも知れない。いわば
牧口常三郎氏への回帰である。「脱ローカル宗教」には教義(学問)、儀礼
(芸術)、教化(教育)、組織(経営)、様々の分野での発明が必要である。
創価学会を批判する旧専従者幹部は幾人もいるが、「脱日蓮正宗」具体化の
発明をし、それが池田大作氏などの最高経営陣に採用されず、批判に至った
のでなく、日蓮正宗ファンダメンタルに回帰した人ばかりである。

>そのような宗教が正法正義とは、私には思えないのですよ…。
創価学会専従あるいは類似の職場から、娑婆へ転職するのに絶対に必要なの
は、先ず、創価学会を蔽う日蓮正宗ファンダメンタル信仰の忘却であると
わたしはかんがえます。
 


基体説でない仏性思想 ( No.60 )
日時: 2002/11/08 15:06
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



 ちょっと脱線ぎみですが、ひとことだけ(汗)。

> 「如來藏は佛教であり、如來藏 (佛性)は『基體論』でない」(釋恆清師、>>58)

 私も、《基体説でない仏性思想》は仏教だと思っています。智ギの場合には、
《正因仏性=中道》ですね。また、『摩訶止観』では「一色一香無非中道」と
もいわれています。

  大乗『涅槃経』の後半で説かれる仏性思想(藤井教公)
  http://fallibilism.web.fc2.com/047.html

  無自性=正因仏性(藤井教公)
  http://fallibilism.web.fc2.com/075.html

  「如来蔵思想批判」の批判的検討(Libra)の2.
  http://fallibilism.web.fc2.com/ronbun01.html#chapter2
  
 しかし、私は、《宇宙生命論》は《基体説》であって仏教ではないと思って
います。釈尊は「宇宙そのもの」ではないと思います。「久遠の本仏」にも初
発心がありますので、決して「宇宙そのもの」などではないと思います。

 《中道》は《永遠の真理》といってもよいかもしれませんが、それを智慧と
してさとって人々に語る存在(仏)が誕生した瞬間に仏教は始まったのだと私
は思っています。

  真理に口はない(Libra)
  http://fallibilism.web.fc2.com/link_log_10.html#0104051130
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.61 )
日時: 2002/11/08 16:22
名前: 顕正居士



>私も、《基体説でない仏性思想》は仏教だと思っています。

「基体説」が仏教の中にあれば、それも仏教です。同義反復だから。そもそも
「仏教の中の○○は仏教でない」という言明が意味を成さない。「基体説」は
西田や田辺の哲学についていう言葉であるから、「基体説」が何であるかを
定義し、西田や田辺の哲学に類似した思想が仏教の中にあり、それは仏教中の
異端思想であると云うなら、仏教以外のいかなるインド思想から発達し、混入
したのか、経緯について文献学の証拠を呈出しなければならない。かつそれが
なぜ20世紀日本の思想に類似するか、比較哲学の上で論じなければならない。
釋恆清は批判仏教は批判精神が欠如した日本社会を批判する言論ではあるが、
仏教や仏教学との相関性は少ないと述べるわけです。

参考-西田哲学入門講座
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/nisida.html

>私は、《宇宙生命論》は《基体説》であって仏教ではないと思っています。
今日、宇宙生命論はあらゆる日本宗教の教義であるから、西田や田辺の哲学
と関係があるのだろうと思う。中国語で「宇宙生命論」というと、「地球外
生命論」の意味であり、独特の日本語ではある。しかしそれは西田や田辺で
突然できたわけではなく、「アニミズム」を否定しないままに発達した日本
思想の表現であろうから、宇宙生命論が仏教でないなら、日本仏教は仏教で
ないことになる。および、日本の「アニミズム」が「基体説」であるのかは
疑問である。国民総動員から今日にいたる「1940年体制」の思想に過ぎない
可能性がある。批判仏教はここ数十年の日本社会を批判する言論であったに
過ぎないかも知れない。
 



顕正居士さんへ ( No.62 )
日時: 2002/11/08 16:47
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/


>>61 顕正居士さん

> 「基体説」が仏教の中にあれば、それも仏教です。

 顕正居士さんが、「創価学会は仏教の外側に飛翔している」といわれる時の
「仏教」というのはどのような意味でしょうか。その点だけ確認させていただ
ければ幸いです。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  創価学会は梵我一如(「宇宙即我」)と云うように仏教の外側に飛翔して
  ますが、理論的用意は国柱会です。

  (旧掲示板「Beat Me !」、No. 51、00/04/08 Sat 17:44:43、
    http://fallibilism.web.fc2.com/Beat_Me_001_100.html#51)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  

 私は、これまで、いろんなところで創価学会の宇宙生命論を批判してきまし
た。新しいネタがあるわけでもありませんし、ここでまた同じことを繰り返す
つもりはありません。もちろん、これまでの私の主張にも十分でないところは
おそらくあるでしょう。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.63 )
日時: 2002/11/08 17:35
名前: 顕正居士



>顕正居士さんが、「創価学会は仏教の外側に飛翔している」といわれる時の
>「仏教」というのはどのような意味でしょうか。

「宇宙即我」は近代大衆思想であり、「梵我一如」はインド思想である。
日本仏教の思想には表現の類似性はあるけれど、これらと同一ではない。
要するに
1-日本仏教のは「万象即実在」で、「宇宙即我」とは違う。
2-「梵我一如」はぜんぜん違う。

ゆえに「仏教の外側に飛翔している」と書いたとおもいます。
 


顕正居士さんへ ( No.64 )
日時: 2002/11/08 18:27
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>63 顕正居士さん

 さっそくのコメントありがとうございました。しかし、私には、顕正居士さんのお考え
がよく理解できませんでした。すべて私の理解力不足・勉強不足のせいだろうと思います。

 まず、以下の3つの思想の中身の根本的な差異を説明して頂ければ幸いです。
 
  1.近代大衆思想の「宇宙即我」

  2.インド思想の「梵我一如」

  3.日本仏教の「万象即実在」

 国柱会によって用意され、創価学会でいわれている「梵我一如(「宇宙即我」)」は1.
であり、日本仏教(3.)の外側に飛翔しているということでしょうか。
 


基体説 ( No.65 )
日時: 2002/11/08 18:28
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>62

 前回のような書き方では、読者の方々に対してあまりにも不親切だったと思いますので、
一応、現時点での私の考えを以下にまとめておきます。

1.私がいうところの「基体説(dha ̄tu-va ̄da)」とは以下のような説のことです。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  “dha ̄tu-va ̄da”とは、現象的なあれこれの存在は、「無常」であり、「無我」で
  あるが、それらを生み出す原因となる基体(dha ̄tu 場)それ自体は、「常」であり、
  「我」であり、実在であると説くものである。

  (松本史朗『チベット仏教哲学』、大蔵出版、1997年、p. 408)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2.《宇宙生命論》は《基体説》だと私は思っています。

  宇宙生命論は仏教ではない
  http://fallibilism.web.fc2.com/z001.html

3.私は《仏教とは縁起説(無我説)である》と理解しています。そして、《縁起説》は
  《基体説》を否定するものであると理解しています。

  ウパニシャッドのアートマン説(佐倉哲)
  http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_1.html

  原始仏教における生命観(高橋審也)
  http://fallibilism.web.fc2.com/059.html

  如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/001.html

  「不生不滅の法性」─「空」についての大きな誤解(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/052.html

  中国仏教の底流─万物一体の思想(伊藤隆寿)
  http://fallibilism.web.fc2.com/081.html

4.ゆえに、私は、《宇宙生命論は仏教ではない》と考えています。
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.66 )
日時: 2002/11/08 20:00
名前: 顕正居士



1-近代大衆思想の「宇宙即我」
「宇宙即我」は密教から直接なのかも知れないが、セットで「生命哲学」が
ある場合は、近代の大衆思想に淵源すると思う。「太陽崇拝」の系列である。
参考-『宗教と科学について』
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm

2-インド思想の「梵我一如」
仏教における中観帰謬論証派のように、インド哲学において究極の思想である
とされるシャンカラの不二一元論は梵(=我)のみが実在し、現象は幻である
とします。汎神論も流出論も否定されます。

3-日本仏教の「万象即実在」
「一色一香無非中道」をキーワードに日本で発達した思想である。猿のなく音
も、谷川の流れる音も、みな妙法を説く、現象の奥や中心の実在を考えない。

4-国柱会
本仏、本化、戒壇、天皇など、日本思想になかった「中心」を作った。日蓮の
思想は日本仏教の中では異端で、「中心」を求める傾向をもともと有する。

創価学会を含めた日本宗教の教説は3から1へシフトしているが、いくぶん4も
残存する。2は全然、関係がない。


顕正居士さんへ ( No.67 )
日時: 2002/11/09 10:41
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>66 顕正居士さん

 解説ありがとうございました。

> 1-近代大衆思想の「宇宙即我」

 以下の資料も参考になるかもしれませんね。

  新宗教における生命主義的救済観(対馬路人 他)
  http://fallibilism.web.fc2.com/041.html

> 3-日本仏教の「万象即実在」
> 「一色一香無非中道」をキーワードに日本で発達した思想である。猿のなく
> 音も、谷川の流れる音も、みな妙法を説く、現象の奥や中心の実在を考えな
> い。

 《真実には中道というありかたで現象している》ということと、《妙法を説
く》ということは全く異なると私は思います。私は《真理に口はない》と考え
ます(>>60)。核爆弾も「妙法を説く」ということになると、それこそ、「な
んでもかまわない」ということになってしまうと思います。
 


密教・梵我一如・宇宙生命論 ( No.68 )
日時: 2002/11/09 10:49
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



 《密教》と《梵我一如》は関係があると私は思っていますが、創価学会の
《宇宙生命論》も《密教》の考えとほとんど同じだと理解しています。

  宇宙生命それじたいを本体とする法身大日如来(宮坂宥勝)
  http://fallibilism.web.fc2.com/035.html

  密教の即身成仏は作り話(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/061.html

  大宇宙即御本尊(戸田城聖・池田大作)
  http://fallibilism.web.fc2.com/064.html

  勤行─大宇宙と自身の生命交流の儀式(「やさしい教学」『聖教新聞』)
  http://fallibilism.web.fc2.com/063.html

 私は《密教は仏教ではない》と思っています。ゆえに、《宇宙生命論は仏教
ではない》と考えています。

  仏教の消滅(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/060.html

  タントラ仏教はブラフマニズム的宗教(吉水千鶴子)
  http://fallibilism.web.fc2.com/022.html
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.69 )
日時: 2002/11/11 23:50
名前: SGI居士



 横レス失礼いたします。
 3日間CPを離れていると、議論が進行しており、すっかり浦島太郎状態。しかも深度ある内容に、おいそれと参加することもできないような感じで、とまどいを覚えてしまいます。
 ご紹介があった「宗教と科学について」は、私にとって示唆の富むものでした。ありがとうございます。松戸氏の論述に違和感を抱いてたことの一端がまとめられおり、共感するところが多々ありました。
 梵我一如、汎神論も流出論も否定されるとのこと。ふむ、そうだったかな、そうだったような気もするし、そこまで言及していなかったような気もするし…と若き日の記憶をたどってみましたが、よくわかりません。きちんと学習し知識を整理しなくてはならないと思う次第です。
 さて、
 1)密教は仏教でないとの見解。それも一理あると捉えますが、原仏教がインドでヒンドゥー教に取り込まれる(取り込んでいく)過程で密教を成立させ、中国・日本へと伝播してきたとの認識に立てば、密教も仏教のカテゴリーではないかとの疑問が残ります。いかがでしょうか。
 2)「宇宙即我」が近代大衆思想として、今日それなりの拡大と支持を得ているのが現実でもあると思います。だとすれば、それが太陽信仰やアニミズムに基づくものであり、本来仏教その他の宗教と一線を画くものであっても、この大衆思想が仏教その他の宗教―いわゆる高等宗教を飲み込む可能性は、いかがでしょうか。
 3)学会の教義を乱暴にまとめてしまうと、「諸法は一法より生ず」に基づき、一即全となり、その「一」とは、南無妙法蓮華経=宇宙のリズム=ブラフマン(大我)、ゴッド、大極、気といった汎神論的流出論を根幹する、一種の神秘主義的な色彩の持つ、万教同根思想が底流にあるような気がしてなりません。
 具体的にどこがと問われると、お答えのしようがないのですが、印象として抱いており、この辺りについて学問的にはどうような論及がなされているのかをご教示願えれば誠にありがたく存じます。
 (あくまでも横レスですので、気になされないで下され。皆様の議論がその方向へ向かっていけば幸いだなという期待ですので)。
 



SGI居士さんへ ( No.70 )
日時: 2002/11/12 10:43
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>69 SGI居士さん

>  1)密教は仏教でないとの見解。それも一理あると捉えますが、原仏教が
> インドでヒンドゥー教に取り込まれる(取り込んでいく)過程で密教を成立
> させ、中国・日本へと伝播してきたとの認識に立てば、密教も仏教のカテゴ
> リーではないかとの疑問が残ります。いかがでしょうか。

 私の場合には、《仏教とは縁起説(無我説)である》という立場にたって、
《密教は仏教ではない》といっています。つまり、密教の思想的な立場の中身
(内実)を問題にして、はたしてそれは《仏教》といえるのかという観点から
いっているわけです。そのような観点からみれば、密教化というのは、仏教が
仏教でなくなっていく過程ということになると思います。

  仏教の消滅(小川一乗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/060.html

  如来蔵思想は仏教ではない(松本史朗)
  http://fallibilism.web.fc2.com/001.html

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  密教はインド仏教の最終期に登場したが、その内実は土着信仰に同化し、
  仏教の特質をほとんど喪失していた。

  (『仏教哲学大辞典 第三版』、創価学会、2000年、p. 1613b)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

>  2)「宇宙即我」が近代大衆思想として、今日それなりの拡大と支持を得
> ているのが現実でもあると思います。だとすれば、それが太陽信仰やアニミ
> ズムに基づくものであり、本来仏教その他の宗教と一線を画くものであって
> も、この大衆思想が仏教その他の宗教―いわゆる高等宗教を飲み込む可能性
> は、いかがでしょうか。

 SGI居士さんが「飲み込む」ということをどういう意味でおっしゃられて
いるのかがよく分かりませんが、少なくとも、創価学会の場合には、《すでに
内実は仏教ではなくなっている》のではないでしょうか。そのような「仏教離
れ」をどう評価するかはまた別の議論になるのかもしれませんが、私は「仏教
離れ」には反対です。

>  3)学会の教義を乱暴にまとめてしまうと、「諸法は一法より生ず」に基
> づき、一即全となり、その「一」とは、南無妙法蓮華経=宇宙のリズム=ブ
> ラフマン(大我)、ゴッド、大極、気といった汎神論的流出論を根幹する、
> 一種の神秘主義的な色彩の持つ、万教同根思想が底流にあるような気がして
> なりません。

 「万教同根思想」という部分の意味がよく分かりませんが、《宇宙生命論》
が《一元流出論を根幹とする神秘主義的思想》であることは間違いないのでは
ないでしょうか。思想的には密教と変らないと思います(>>68)。
 


仏教離れには反対 ( No.71 )
日時: 2002/11/12 13:37
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



 私は、顕正居士さんが別のスレッドで書いて下さった『理想版・創価学会会
則前文』の精神に大賛成です。

  スレッド「仏教とはなにか」、No.56(顕正居士さん)
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view2&f=9&no=56

 よって、創価学会が、《仏教(縁起・無我・空・中道)》と矛盾するような
「一元流出論」の立場(宇宙生命論)を根幹とすることには反対です。

  スレッド「仏教とはなにか」、No.60(顕正居士さん)
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view2&f=9&no=60

  同上、No.64(Libra)
  http://fallibilism.web.fc2.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view2&f=9&no=64
 



Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.72 )
日時: 2002/11/12 16:19
名前: 顕正居士



顕教と密教

除災招福の呪文(パリッタ)ははやくから釈尊教に採用された。大乗教の場合
も、法華経のように呪文を重視する。雑密の起源は古く、純密は仏教中の呪文
信仰を純化したのであるから、仏教と密教とを分離できない。しかし。仏教中
の顕教と密教とを分離することはできよう。要するに、顕教とは哲学であり、
密教とは宗教である。後期インド仏教は哲学としては瑜伽中観で、宗教として
は密教である。哲学と宗教との分離が行なわれていた。日蓮の密教批判の内容
は、入我我入による即身成仏が成り立つためには、一念三千の哲学が必要なの
で、それは密教の中にはないというに尽きる。日蓮が建立した宗教は密教だが
教理は顕教だというのである。日蓮の着想は、後期インド仏教、チベット仏教
のあり方に合致する。日蓮が、折伏を行なう賢王に擬した元の世祖のその帝師
とは第5世サキャ派座主、パクパ大師であったのである。
 


仏教と密教 ( No.73 )
日時: 2002/11/12 16:59
名前: Libra(管理人)  <librus2002@mail.goo.ne.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>>72 顕正居士さん

 私が《密教は仏教ではない》ということの意味についてはすでに書きました
ので(>>70)、この件につきましては、あとは読者の方々に判断をお任せした
いと思います。顕正居士さんも「密教は有我」といわれていますが、これはお
そらく、思想的な立場の中身(内実)を問題にしていわれているのだろうと思
います。

  顕正居士さん発言集
  http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/8451/taiwa/kensyou.html

> 除災招福の呪文(パリッタ)ははやくから釈尊教に採用された。

 蛇足になるかもしれませんが、補足資料として以下をあげておきます。

  釈尊は祈祷や呪術に応じて魔力をふるう神秘を退けた(三枝充悳)
  http://fallibilism.web.fc2.com/028.html

  比丘たちは呪術禁止のいましめを守りとおせなかった(松長有慶)
  http://fallibilism.web.fc2.com/038.html
 



Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.74 )
日時: 2002/11/12 18:38
名前: 顕正居士



邪教

何を祈ろうとも、如何に真剣であろうとも、わたしたちの意識の活動が物質に
影響を及ぼすことはない。このことが十分に理解できなければ、以信得入する
べきである。わたしたちの意識とはハードウェアである脳のその上に成り立つ
ソフトウェアである。しかしわたしたちが身体で物質に働きかけ、あるいは
言葉で他者に働きかければ、それは物質にも他者にも影響を及ぼすのである。

この世界は、苦であり、空であり、無常であり、無我である。しかし常楽我浄
はわれわれの理想である。それを浄土といい、文明といい、それが建設の活動
を菩薩道という。根源の一法があり、体現する師あり、疑わず従えば、自然に
幸福にいたる、というのは邪教である。邪教の生ずるゆえんは、意識と物質の
混乱による。意識と物質とは明晰に区別されなければならない。トンデモ宗教
は人類の敵、文明の敵である。



Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.75 )
日時: 2002/11/12 23:54
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>邪教
>何を祈ろうとも、如何に真剣であろうとも、わたしたちの意識の活動が物質に
>影響を及ぼすことはない。このことが十分に理解できなければ、以信得入する
>べきである。わたしたちの意識とはハードウェアである脳のその上に成り立つ
>ソフトウェアである。しかしわたしたちが身体で物質に働きかけ、あるいは
>言葉で他者に働きかければ、それは物質にも他者にも影響を及ぼすのである。

残念ながら学会にも「邪教」「トンデモ宗教」の面があります。
「宇宙生命論の悪弊」
http://fallibilism.web.fc2.com/note008.html
・例えて言うなら今主人の給料が30万円からどうか70万円にして下さい。自分の月々の
 小使いが10万円ぐらいは軽く使えるような境涯になれますようにと…叶えてくださいで
 わなく「必ずそうなるのだ」と心に強くおもってください。
・ところが日顕打倒を祈りだした次の検査の時に医師が
 「大変な事になりました。娘さんの腎臓は治っています。
 全くの正常です」と言われたとの事です。
・「ヤマトモ・日顕許さんぞ!!!!」「ヤマトモ・日顕に正義の鉄槌を・・・」っとそしたら、
 ある日を境に癌細胞が小さくなって三ヶ月したら完全に消滅したんだって
 


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.76 )
日時: 2002/11/12 23:58
名前: Leo  <leo020503@yahoo.co.jp>
参照: http://fallibilism.web.fc2.com/



>邪教の生ずるゆえんは、意識と物質の混乱による。意識と物質とは明晰に区別されなければならない。
>トンデモ宗教は人類の敵、文明の敵である。

真剣に受け止めたいと思います。
まず「魁よりはじめよ」ということだと思います。


Re: 創価学会に関する批判的考察 ( No.77 )
日時: 2002/11/13 14:52
名前: 顕正居士


>残念ながら学会にも「邪教」「トンデモ宗教」の面があります。

呪詛によって功徳が生じる、というほどの邪教はなかなかにありませんね。

創価学会に対するイメージが四半世紀にたいそう悪化したのは、半分は公明党
でしょうが、半分は日蓮正宗とのカルト合戦が理由です。共倒れてくれるなら
好都合であると、多数の方は思うでしょう。しかし、創価学会の会員は今日、
2世、3世が中心であって、1世のように単純に「フェードアウト」することが
できません。理由は。
1-創価学会という環境において、人生に処する態度を学んだ。心の整理には
時間がかかる。
2-パラサイト化。中高年にサラリーを支払うのを優先する社会であるから、
青年少女は家庭から独立が困難であり、創価学会問題は家庭問題でもある。
3-創価学園などの出身者の場合、家庭問題を解決しても、「フェードアウト」
が完全にできない。
4-創価学会専従者の場合、もともとつぶしが利かない上に、イメージの悪化で
娑婆への転職が困難である。

どうしたらよいのか?

"Reform the Nichiren Buddhist Debate"
http://www.millerthought.com/stoptheslander/

のように、わたしたちは違うのだ、というアピールを社会におこなうしか方法
はないとおもう。
 




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