仏塔供養に対する経の受持行の優位(勝呂信静)


  分別功徳品は寿量品の流通分にあたるものであるが、その第一段(第一 ─ 一六偈を含む)において、寿量品を聞くことによる得益を詳細に述べ、第二段(第一七 ─ 三六偈を含む)および第三段(第三七 ─ 六二偈を含む)において、『法華経』受持についていわゆる「現在の四信と滅後の五品」と称される、実践を秩序立てて述べている。

(勝呂信静『法華経の成立と思想』、大東出版社、1993年、pp. 301-302)


  現在四信(一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成)と滅後五品(随喜・読誦・説法・兼行六度・正行六度)の所説は、それぞれ一念信解・初随喜という第一歩的な実践からはじまり、自行の受持行から化他の受持行へというように、実践が進展する過程を示している。さらにすでに述べたように、四信と五品が連続して説かれていることにおいて、在世(現在)から滅後へという実践の深まりをも示している。そしてこのような実践の進展、深まりを説き示しながら、その間に、『法華経』受持行と、六波羅蜜・仏塔崇拝などの大乗仏教一般の実践がどのように関わりを持つか、ということを主要なテーマとして叙述しているのである。
  まず仏塔崇拝についてみると、すでに宝塔品の所説において、仏塔崇拝と法(経典)崇拝との統一が説かれたが、法(経典)崇拝は当然『法華経』受持行を意味するから、仏塔崇拝は『法華経』受持行に摂取・統一されたことになる。しかしその前提として『法華経』受持行と仏塔崇拝を対比させて説くことはなされていない。これに対し分別功徳品においては、両者を一応対比させつつ、後者は前者により摂取・統一される旨が説かれているのである。すなわち仏滅後に、『法華経』を聞いて随喜する人、あるいはこの経を受持・読誦・書写し、また他人に書写させる人は仏塔を建てたり精舎に供養する必要はない。なぜならかれらは仏塔を供養するのと同じことになるからである、と述べられる。仏塔供養に対する経の受持行の優位を述べながら、前者の思想を後者に摂取・統一しているのである。

(同上、pp. 309-310)


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