人間の知識は動物の知識の特殊例である(カール・ポパー)


 人間の知識についてのわたくしの思索の本当の留め金は、可謬主義〔引用者註1〕であり、批判的アプローチ〔引用者註2〕である。また一九三四年以前においてさえ(拙著『認識論の二大根本問題』を見よ)、わたくしは人間の知識を動物の知識の非常に特殊な事例であると見ていた。(人間の知識も含む)動物の知識の分野におけるわたくしの中心的な考え方とは、知識は〔遺伝的に〕継承した知識に基礎をおいているということである。それには、無意識の期待という性質がある〔引用者註3〕。それはいつでも、先行する知識を変更した結果として発展してくる。その変更は変異である(または、それに似たものである)。それは内部からやってくるのであり、観測気球のような性質をもっており、直観的なものであったり、大胆な想像力によるものであったりする。したがって、その知識は推測的な性格をもっている。期待は失望させられるかもしれないし、気球や泡は破裂してしまうかもしれない。外部から受け取る情報はみな、期待を除去しふるいにかける性格をもっている。
 ()()()知識にかんして特別なことと言えば、それが言語において言い表され、命題において定式化されうるということである。ここからして、知識は意識化され、議論やテストによって客観的に批判できるものとなる。このようにして、われわれは科学に到達する。テストとは、反駁の試みなのである。あらゆる知識は可謬的で推測的なものにとどまる。当然のことながら、反駁の最終的正当化などないことも含めて、正当化など存在しない。にもかかわらず、われわれは反駁によって、つまり、誤りの除去によって、フィードバックによって学ぶ(17)

(カール・R・ポパー『実在論と科学の目的(上)』〔小河原誠・蔭山泰之・篠崎研二訳〕、岩波書店、2002年、pp. xlvi-xlvii)

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実在論と科学の目的 上


〔02.07.18 引用者註〕

(1) 小河原誠『ポパー─批判的合理主義』(講談社、1997年)の 335-347ページの解説がとても参照になります。拙文「対話主義と可謬主義」http://fallibilism.web.fc2.com/z023.html)も合わせて参照して頂ければ幸いです。

(2) 立花希一「ポパーの批判的方法について」(ポパー哲学研究会編『批判的合理主義──第1巻:基本的諸問題』、未來社、2001年、所収)の解説がとても参照になります。

(3) 「期待」と「理論(人間の知識)」の関係については、例えば、カール・R・ポパー「科学──問題、目的、責任」(M・A・ナッターノ編『フレームワークの神話──科学と合理性の擁護』〔ポパー哲学研究会訳〕、未來社、1998年、所収)173ページ以降で説明されています。


〔02.07.18 引用者付記〕
 註(17)は、引用を省略いたしました。


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