法華経の生命を体現しつつある者が、すなわち法華経(姉崎正治)


つぎの問題は、法華経の真理を体験する実行方法いかんということになる。この問題に対しても、天台大師はじめ諸家おのおの種々の見解があり、またその方法修行を試みたのであるが、日蓮上人の主義は、文字の法華経に説いてある功徳、光栄、理想を、ことごとく自分の生命に実現しようというにあった。この「法華経色読」主義からいえば、法華経の実体は、これを他に求むべきでなく、信者行者みずからがその実体なのである。
 法華経を信ずる者は「即持仏身」であって、一切衆生がすなわち妙法蓮華経の当体(実体)である、とくに日蓮はじめ、その弟子ら、法華経の生命を体現しつつある者が、すなわち法華経である。この修行によっていよいよ法華経を信ずる者は、いままで文字や外界のこととして見てきた法華経が自分自身であって、「法華経の功徳」というのは自分みずからの真価であり、光栄であることを悟る。
 ここに至って、諸法実相の理も、宝塔や地涌の神変も、如来久遠の長寿も弘通の得益も、みな自分みずからの生命にある。これが仏法の体験、法華経の実現である。

(姉崎正治『法華経の行者 日蓮』〔講談社学術文庫〕、講談社、1983年、pp. 128-129)


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