初期興門教学には「唯授一人血脈相承論」などなかった(小林正博)


四、日蓮正宗宗規第十四条に「法主は宗規以来の唯授一人の血脈を相承し本尊を書写し云々」という項目があり、唯授一人故に本尊書写の大権があることが記されているが、この法主一人が所有するという本尊書写の大権は、草創期の日興門流にあって守られていない事実が多くみられる。日興上人の直弟子たる本六の日仙、新六の日郷(保田妙本寺開基)日妙(北山本門寺)日代(西山本門寺)しかり、また前述の佐渡・日満も本尊書写をしているのである(9)
 京都への教線を開いた日尊(要法寺系の祖)は書写をせず、日目上人の御本尊を御形木にしているが、その付法の弟子・日大は書写している。彼等は明らかに本尊書写という唯授一人の法主の大権を犯していることになるが、彼等は大石寺法主の唯授一人血脈相承を否定したと考えてよいのか、
 等々 〔引用者註:一〜三は引用を省略した〕の疑問である。
 これらは、現在の宗門の立場からは、明らかに正統大石寺法主の血脈とは違うものであり、あるいは謗法行為そのものと断ずるであろう。しかし、事実として残されたこれらの所行の背景を考えれば、唯授一人血脈相承論などなかったことが浮き上がってくるのである。

(小林正博「法主絶対論の形成とその批判」『東洋学術研究』第32巻第2号、1993年、pp. 117-118)


(9) 日興門流の本尊書写は、日目が一三二六年、日仙が一三三二年、日道が一三三四年、日郷が一三四四年、日妙が一三三四年、日満が一三五七年、日大が一三六四年、日代が一三八八年、他門流では日朗が一二八七年、富木常忍が一二九五年、日向が一二九六年、日高が一三○一年、日法が一三三一年である。

(同上、註9、p. 127)


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