寿量品は末法のために説かれた(池田大作)


 大聖人は、寿量品が説かれたのは釈尊滅後(めつご)衆生(しゅじょう)のため≠ナあり、なかんずく末法(まっぽう)のため≠ナあると言われている(御書三三四n、趣意)〔引用者註1〕
 また、寿量品(じゅりょうほん)久遠成道(くおんじょうどう)について、過去(かこ)のことを()いているようであるが、滅後(めつご)をもって本意(ほんい)とする。過去のことは先例(せんれい)として説かれているのである≠ニも()べられています(御書三三五n、趣意)〔引用者註2〕
 天台(てんだい)も、この部分について、未来(みらい)にわたり(ほとけ)偉大(いだい)功徳力(くどくりき)常住(じょうじゅう)衆生(しゅじょう)利益(りやく)していくことが明かされている≠ニ説明している。
 このように、未来の衆生を(すく)うことに寿量品の本意(ほんい)があるのです。

(池田大作『池田名誉会長の 法華経 方便品・寿量品講義 完 B 寿量品(2)』、聖教新聞社、1996年、pp. 11-12)


〔01.10.07 引用者註〕

(1) 原文は以下。


 問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり
(「法華取要抄」、全集、p. 334)

(2) 原文は以下。


寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云、文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども此の文を以て之れを案ずるに滅後を以て本と為す先ず先例を引くなり
(「法華取要抄」、全集、p. 335)


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