玉城康四郎説批判─根源℃v想は仏教にあらず
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『律蔵』「大品」冒頭に見られる諸法≠フ語義について、玉城博士は「仏教における法の根源態」(『平川彰博士還暦記念論集・仏教における法の研究』一九七五年)なるご論文において、独自な見解を示された。博士は、中村元博士の
またサンスクリット文『四衆経』およびチベット『律蔵』によると、釈尊はすでにさとりを開いたあとで、しばらくたってから十二因縁を観じたのであり、縁起説とさとりとの間に本質的な連関は存在しない。というご意見に従い、
(『ゴータマ・ブッダ』中村元選集第十一巻、一七二頁)〔傍点中村博士〕
十二因縁と、目覚めそのものとは別でありと述べて、釈尊の悟りと縁起との間の本質的関係を否定される。そして、右の一文に続けて、
(五八頁)
ここではむしろ、同じ日の初・中・後の三夜に、つづいて三つの偈を唱えられたその内容が、ブッダの目覚めにかかわっており、ここに問わるべき法経験の実情を示していると考えられる。と論じられる。つまり、博士は釈尊の悟りを十二支縁起と結びつけて理解するのではなく、『律蔵』「大品」に出る「諸法が顕現する」(patubhavanti dhamma)という三つの感興偈(ウダーナ)に関連させて解釈されるのであり、端的にいえば悟り(目覚め)を法経験≠ニ解されるのである。
(五八頁)
このように反省して、右の論述をふりかえってみると、教授の法論は、徹底的に解釈学の立場に立っていることが知られる。その結果は、鋭い洞察力に濾過され、法の多義性がことごとく捨象されて、まったく抽象化された形式、すなわち「かた」としての法理解になってしまった。このように形式的な、「かた」としての法が、果たして大乗諸経典の中心思想を説明し得るであろうか。教授のように、解釈学の立場に立って、思想の流れの本質を抽象化しても、それはせいぜい、仏教思想の展開から見れば局部的な、法有・法空の領域に適応されるだけではないであろうか。ここで玉城博士は解釈学≠フ立場に立つという和辻博士とは異なり、法の根源的な意味の探求を目指すといわれるが、それ以下に博士の根本的確信が示される。それはつまり、仏教の根本は目覚め≠ノある、従って目覚め≠アそ法の根源的な意味である、というものだ。これは、一見すれば何の変哲もないように見える論理だが、実は博士のご思索の跡をたどるためには極度に重要だ。昨日私は、「悟り」があると考えるなら、「理法」の実在を肯定せざるを得ない、と書いたが、博士もまたその様な方向にまっすぐ進まれる。次に博士は、「法の真理性」を説くガイガーの解釈を高く評価される(四八頁)。博士によればガイガーは法の真理性について二つの面から考察しているという。それは私より見れば知と対象の二面といえよう。博士の訳語を用いれば、ガイガーは法を第一の面について「事物の真の本質への洞察」とし、第二の面について「最高の形而上的概念」「最高の存在」「最高の本質」「最大かつもっとも包括的なもの」「絶対者」として理解したという。正直いって、私はガイガーによるこの第二の面の語義説明を読み、これが仏教研究者の言葉かとあきれるが、ガイガーの論証を逐一批判するのでない限り、そんなことを言っても始まらない。しかも彼の “Pali Dhamma” は 法 に関する権威ある学術書の筆頭とされているのであり、それに依存して自説を展開する学者は多いのだ。玉城博士もまたガイガーの考察を高く評価し、次の様に言われる。
ここにおいて、われわれは、法のいっそう根源的な意味に立ちかえって、考察をめぐらしてみなければならないと思う。
仏教の根本義が、人間存在の迷妄から目覚める点にあることはいうまでもない。もし法の意味が、きわめて多義的ななかで、この目覚めるということにかかわっているものがあるとすれば、それこそ法のもっとも根源的な意味であることは論を待たないであろう。
(四六頁)〔傍点著者〕
ガイガーはこのように、一つには真理の洞察にかかわり、二つには、最大かつもっとも包括的なもの、あるいは絶対者として、法を解しているのであり、その点に仏教哲学の中心的な意味をとらえているのであるが、かれはいみじくも筆者にとっての問題点を的確に突いているということができる。その後、博士はさらに独自な法§_を展開され、
(四八頁)〔傍点著者〕
それは、たんに法を客観的・対象的に見るだけではなく、さらに進んで、みずから法への自己参加が実現することにおいて、いいかえれば、法そのものが考察者の主体となることにおいて、おのずからその根源態が開示されるということである。と述べられる。このような法§_を独自なものと呼ぶのはあるいは博士に対して失礼であるのかもしれない。しかし私はここに博士ご自身の独自な思索と瞑想の跡が示されていると感じるのだ。「法への自己参加」とか「法そのものが主体となる」ということも、私にとっては決して理解しにくいことではない。仏教を「悟り」ととらえ、それによってその対象たる「理法」を絶対視するならば、目覚め≠ニは、この様なもの以外ではありえない筈だ。ここに私の見解との根本的対立がある。
(五〇−五一頁)
しかるにブッダは、「法を示そう」「教えられたように実行するならば」といいながら、ここには、法とは何か、教えの内容とは何か、ということはまったく明らかにされていない。では、ついにそれは説かれなかったのであろうか。おそらくそうではあるまい。それどころか、法を五比丘に納得せしめることが、最初の説法の主題であったはずである。法は示されなかったのではなく、ついに言葉にならなかったのであろう。(後には法をうなずかしめるのに、四諦・八聖道・十二因縁などのてだてが考察されたと考えられる。)つまり、法≠ヘうなずき≠フ対象であって、言語表現の対象ではない。従ってそれは直接経験≠ウれるというのが博士のご意見なのだ。例えば、博士は、「法は言葉では示されず、直接に経験されねばならないこと」(五七頁)と言われたり、また、
(五三−五四頁)〔傍点著者〕
法は、言葉を越えて直接に経験されなければならない。われわれは、法そのものに触れることができる。法は時を待たずに自己に顕わになるものである。とも述べられる。つまり、博士にとっては、法が不可説であるということと法が直接経験されることは、ほぼ同じことを意味する。
(五六頁)
実にもろもろの法が、熱心に冥想しつつあるバラモンに顕わになるとき(玉城博士訳、五八頁)という句に、釈尊の法経験≠認められ、その法≠ワたは法経験≠ノついて、次の様に詳しく説明される。
Yada have patubhavanti dhamma atapino jhayato brahman・assa (Vinaya, I, p. 2)
それによると、法が主体者に顕わになることが目覚めの発現であり、法は次第に主体者の身心に滲透して、ついに貫きとおし終ることが、目覚めの完成であるということである。このなかで、われわれは、冥想中のゴータマの人格に、形なき法の滲透していくその足跡を確認することができる。やや長文の引用となったが、玉城博士の思索の跡をたどることは、我々にとって決して無益ではない。無論、結論的に言って、私は決して博士の御説の支持者ではなく、ことごとく反対の意見を有するものだが、博士の思索の論理をたどることは私にとっても必要だ。博士は言葉を越えた法、つまり根源的な法は形なき純粋生命≠セといわれる。この言葉は私にとって幾分、唐突だったが、博士が最後に自己≠フ哲学を論じられたところを読み、やっと納得がいった。御説によれば、自己≠ニは生命≠もつものであるらしい。その自己の生命≠ヘ翻転して無限定的な生命≠ノよみがえると言われる。おそらく博士はこの同じ事態を、「限定的な自己が無限定的な世界へ開放されていくこと」「閉じられた自己が開かれていくこと」と説明されている。私にはこれはウパニシャッドの我論の様に聞えるが、閉じられていた自己が無限定的に開かれたなら、どんなことになるのか、私は考えただけでゾッとする。ここには、自己が開かれることが示されるだけで、自己が否定されることについては、全く説かれていない。自己≠ニか生命≠ニか、どうも美しそうな言葉だ。しかしこれらの美しい言葉と、「無常・苦・無我」という苦い仏語といったいどんな関りがあるのだろうか。また玉城博士が法を時間的に普遍的なものと説かれたことは、博士の法≠ェ「理法」という性格をもつことを、示している。
(六〇−六一頁)〔傍線筆者〕
このような考察によって、法は、言葉を越え、形を離れたものでありながら、現実に経験され得るものであることが知られる。……法は、いわば、まったく形なき純粋生命というごときものであろう。
(六二頁)〔傍線筆者〕
これまで論じてきた根源的な法が、言葉や分別を離れた、形なき純粋生命であり、つねにそれは、直接に経験され得るものであるとすれば、過去においてこの法を経験した人があり、未来にも経験する人があるであろうと想像することは、きわめて自然であるといわねばならない。いいかえれば、過去仏や未来仏の観念が生ずることは必然的であるといえよう。ここにおいて、法のさらに新たな性格が加わってくる。すなわち、法は過去・現在・未来において普遍的であるということができる。
(六三−六四頁)
法は、主体者に顕わになることにおいて、はじめて自己を顕現する。かくのごとき法は、それ自体、無限定的である。それが人格的存在に滲透するということは、限定的な自己が無限定的な世界へ開放されていくことである。閉じられた自己が開かれていくことである。法は純粋そのものである。しかも、存在の源底を貫きとおすことによって、生命的であり、純粋生命であるということができる。法が生命的であるということは、それが顕わになることによって自己の生命が翻転し、はじめて無限定的な生命によみがえっていくことである。……かくして、法は永遠である。それは、論じてきたごとく、過去・現在・未来の覚者が、法に目覚め、法に安住することにおいて、永遠であるばかりではない。顕わになっている法そのものが、主体者において永遠である。同時に法は、遍在的であり、世界包括的である。三界のありとあらゆるものは、ことごとく法に包まれていく。
(七四−七五頁)〔傍線筆者〕
そのとき、仏世尊はウルヴェーラーに住して、ネーランジャラー川の岸辺、菩提樹の根もとにおいて、はじめて現等覚した(abhisambuddho)。そして世尊は、菩提樹の根もとにおいて、七日間、結跏趺座して坐わり解脱の楽(vimuttisukha)を感受していた。そのとき、世尊は初夜に、この縁起(pat・iccasamuppada)なるものを、順逆に(anulomapat・ilomam)作意した。(Vinaya, I, pp. 1-2)
即ち、無明という縁から(paccaya)、諸行が生じる(31)。諸行という縁から、識が生じる。識という縁から、名色が生じる。名色という縁から、六処が生じる。六処という縁から、触が生じる。触という縁から、受が生じる。受という縁から、愛が生じる。愛という縁から、取が生じる。取という縁から、有が生じる。有という縁から、生が生じる。生という縁から、老死と、愁・悲・苦・憂・悩が〔一緒に〕生じる(sambhavanti)。この様にして、この純粋な(32)(kevala)苦蘊(33)(dukkhakkhandha)の、集起(34)(samudaya)が生じる(35)(hoti)。しかし、無明のみ(eva)の、残りなき、離貪の滅(asesaviraganirodha)から、行の滅がある。行の滅から、識の滅がある。……有の滅から、生の滅がある。生の滅から、老死と、愁・悲・苦・憂・悩が滅する(nirujjhanti)。このようにして、この純粋な苦蘊の、滅(nirodha)が生じる、と。
そこで世尊は、この意義(etam・ attham・ viditva)を知って、そのとき、次の様な感興偈(ウダーナ)をとなえた。yada have patubhavanti dhamma atapino jhayato brahman・assa
ath' assa kankha vapayanti sabba yato pajanati sahetudhammam
実に、苦行し禅定しているバラモンに、諸法(dhamma)が顕現するとき、彼のすべての疑惑は消え去る。
何となれば、彼は因をもつ法(sahetudhamma)を了知するから。
実に、苦行し禅定しているバラモンに、諸法が顕現するとき、彼のすべての疑惑は消え去る。何となれば、諸縁の滅尽を(khayam・ paccayanam)知ったから。という第二の感興偈をとなえ、さらに「後夜」にも十二支縁起を順逆に観じ、「この意義を知って」、
(Vinaya, I, p. 2)
実に、苦行し禅定しているバラモンに、諸法が顕現するとき、彼は、太陽が虚空を照らすように、魔の軍隊(marasena)を破壊している。という第三の感興偈をとなえたとされることだ。ということは、常識的に考えて、十二支縁起と「諸法が顕現する」という三つの感興偈の内容を、切り離して理解することはできないことを意味する。さもなければ、「この意義を知って」という表現が意味をなさない。玉城博士は、「しかし、ここでは偈を散文から切り離して考察してみたい」(六一頁、註七)と言われるが、これは私より見て不可能であるし、また釈尊の悟りと縁起説を無関係と見る予断に導かれたものと思われる。
(Vinaya, I, p. 2)
無明─諸行─識─名色─六処─触─受─愛─取─有─生─老死まず第一の感興偈において、「因をもつ法」とはいかなる意味か。識を例にとった場合、その因とは諸行であり、従って識は「因(諸行)をもつ法」である。その他の支も、各自、みな因をもっているので、すべて「因をもつ法」になる。無明でさえも、「因をもつ法」と見なければならない。さもなければそれは、諸法出生の根源、第一原因として実在になってしまう。縁起説の重要な点は、縁生ならざるものはない、「有因の法」ならざるものはないと説く点にある。従って実在は全く存在しない。諸法はすべて、有(実在)ではない。さて、第一の感興偈は、諸法がすべて因をもつ、つまり縁から生じたことを説くが、縁の滅(nirodha, khaya)を説いていない。これを示すのが、第二の感興偈である。そこに「諸縁の滅尽を知ったから」とあるが、この「諸縁」について、二つの解釈が可能だろう。一つは、「諸法」(十二支)をそのまま「諸縁」と呼んだという解釈で、これによれば、「諸縁の滅尽」とは、そのまま十二支という諸法の滅を意味する。確かに、縁起の各支は後続の各支にとっては縁なのだから、「諸縁」がそのまま「諸法」をさすという見方も不可能ではない。しかしこれはどうも不自然な理解だ。おそらく第一の感興偈の「因をもつ法」の「因)(hetu)と、第二の偈の「諸縁」の「縁」(paccaya)とは、同義でなければならない。とすれば、「諸縁」とは、「諸法」にとっての「諸縁」を指している。つまり、有・生・老死等の「諸法」に対する取・有・生等が「諸縁」なのだ。かくして、「諸縁の滅尽」とは、「諸法の滅」それ自体ではなく、「諸縁の滅尽」から「諸法の滅」が生じることになり、いうまでもなく、これは逆順に相当する。すでに玉城博士によっても指摘されているように(六一頁、註七)、右に見た三つの感興偈は、『ウダーナ』(Udanam, pp. 1-2)においては、第一偈が縁起の順観のあと、第二偈が逆観のあと、第三偈が順逆二観のあとに、出されている。つまり、第一偈の「有因の法」と第二偈の「諸縁の滅尽」が、それぞれ縁起の順観と逆観に結びつけられて解釈されるのだが、すでに述べたところで明らかな通り、私はこの解釈を正しいと思う。
ye dhamma hetuppabhava tesam・ hetum・ tathagato ahaこの偈は、シャーリプトラがそれを聞いただけで仏教に帰依したものとして有名だが、確かに、仏教の核心を説いている。仏教の縁起説を、「縁起」(pratityasamutpada)、または「此縁性」(idam・pratyayata)という抽象名詞で示すとき、そこに二つの欠陥がある。第一は、これらの語が抽象名詞なるが故に、すぐに縁起の理法≠ネる理法と見なされてしまうこと、第二は、そこに逆観の側面、つまり「諸法の滅」が示されないことである。すでに見た三つの──厳密には二つの──感興偈がこの二つの欠点から自由であったように、この「縁起法頌」も、それらの欠点をいずれも欠いている。まずこの「縁起法頌」をラフに漠然と理解する通俗説に陥いらないためには、ここで「諸法」といわれているものが、端的に縁起の十二支をさすと限定して理解したほうがよい。さもなければ、いつまでたってもこの偈の真意を理解できないだろう。「諸法が因より生じる」とは、いうまでもなく縁起の順観にも当る。縁起を空間的、または同時的論理的に解釈する人には、この「因より生じる」の語をよく見てもらいたい。「諸法の滅」というのは、無論、逆観にあたるが、先程の第二の感興偈のように、「諸法の滅」の原因となる「諸縁の滅」はここには示されていない。しかし忘れてはならないのは、縁起の順観と逆観というものが、第一義的には、「諸法」(縁起支)の「生」(samudaya)と「滅」(nirodha)を示すものであることだ。従って、「縁起法頌」の方が、この点に関してはすでに見た感興偈よりオーソドックスな理解を示している。諸法(縁起支)は、順観においては生じるものであり、また逆観においては滅するものである──生じてはすぐに滅するという意味では決してない──ということを除いて、「諸法」の性質は考えられない。つまり、それは無常であり、実在ではないのだ。どうしてそれを理法≠セなどといえよう。この諸法の本質的な非実在性、無常性を示すのが、次の「無常偈」である。
tesañ ca yo nirodho evam・vadi mahasaman・o (Vinaya, I, p. 40)
諸法は因より生じるものであり、それらの因(hetu)を如来は説いた。
またそれら〔諸法〕の滅(nirodha)をも。大沙門はこのように説く。
anicca vata sam・khara uppadavayadhamminoここで「諸行」とは何も、すべての存在物≠さすわけではない。これは何よりも、十二支中の第二の「諸行」を指したと見なければならない。これは「諸法」を代表してここに出されているのだ。そして「諸法」は「生」と「滅」の性質をもつが故に、無常にして非実在なのだ。生滅の性質をもつというのも、生じてから滅するというのも、よく誤解されるように、たえず生じては滅していて刹那滅だ、というようなことではない。諸行が生じるには、無明という縁があり、無明という縁が滅しなければ、諸行は滅しないのだ。ところで無明はたえず一瞬ごとに滅するようなものではない。諸法(縁起支)が顕現することによって「法眼(37)」(諸法に対する眼)が開かなければ、滅するものではないのだ。つまり、ここで問題になっているのは我々の日常的な時間なのではなく、ごく主観的で危機的な宗教的時間なのだ。順観の「生起」(堕罪)と逆観の「滅」(復活)は、その宗教的時間のマイナスとプラスのモメントといえる。このように見れば、縁起説とは、『法華経』までをも含む宗教としての仏教のすべてを包含する。縁起なしに、仏教も宗教もない。しかしまた無意味な言葉を連ねてしまったようだ。私が強調しなければならないのは、「諸法」の全く危なげな、時間的な中ぶらりんな性格なのだ。それは“locus”なき“super-locus”であり、基体(個物)なき属性であり、存在ともいえないあやふやな存在なのだ。“locus”なき“super-locus”ということの恐ろしさをよく理解してもらいたい。それは、足下に深淵を望むようだ。この恐ろしさにたえきれず根源とか存在論的根拠とかがなくては生きていけない人は、下の安全な大地に勝手に唯一の実在≠作り上げて、自己とか自我とかを主張していればよい。誠に、私≠ェ存在していると信じている人は、幸せな人だ。ただその根源だとか実在だとかが仏教だと言われるならば、私はそれを認めるわけにはいかない。
uppajjitva nirujjhanti tesam・ vupasamo sukho (Dighanikaya, II, p. 157)
実に、諸行は無常である。生と滅という性質をもっており、
生じてから滅する。それら〔諸行〕の寂滅は楽である(36)。
(六月二十五日)
この小論もいよいよ終りに近づいた。あとはただ「縁起説の根拠の位層としての法 dharma の構造」なる論文における津田氏の所説を検討、批判するだけだ。ただその前に少し、昨日言いのこしたことを述べておこう。
「諸法が顕現する」という感興偈について、この「諸法」を形なき純粋生命≠ニ解される玉城博士のご意見を批判し、私は「諸法」が十二の縁起支を意味するという解釈を示した。玉城博士の解釈の難点としては、「諸法が顕現する」という表現中の「諸法」が単数ではなく、複数であることが挙げられる。津田氏が注意されるごとく(一〇〇頁、註二三)、玉城博士ご自身がすでにこの難点に気づかれ、次の様に言われる。
ここで、法がなぜ複数形になっているかということが問題になるであろう。これについては、文脈からその理由をたずねることはできない。想像するに、一切の疑惑、悪魔の軍隊といわれるように、主体者のさまざまな問題に対して、すがたなき法もまた、それに対応して顕わになってくるからではあるまいか。ここで博士は、すがたなき法=i単数)が、主体者のさまざまの問題=i複数)に対応して、複数として顕現する、と論じられている様に思う。これは、すがたのないときは単一だったものが、複数としてすがたをとるということらしいが、私にはこうした摩訶不思議が例の感興偈に説かれているとは思えない。
(六一頁、註六)
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(11) 如来蔵思想(dhatu-vada)と老子の哲学との間には、著しい類似がある。それは一言で言って、根源≠フ思想である。その類似に本稿でも、少し言及したいが、ここで最も典型的なものとして、次の一文をあげよう。「天下有始、可以為天下母」〔天下に始め有り、以って天下の母と為す可し〕(小川還樹訳、『世界名著4 老子・荘氏』〔以下この書を「老子」として引用〕一二四頁)、「万物恃之以生」〔万物之を恃んで以て生ず〕(「老子」一〇八頁)。さて、私にとっては、釈尊、孔子、そしてソクラテスの哲学はすべてこの根源≠フ思想に対するアンチテーゼであったように思われる。ソクラテスが対決した根源≠フ思想とは、彼以前の自然哲学≠ナあった。私は、プラトンを読んだことはないが、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者伝』によれば、ソクラテスは、次の様な人だったと伝えられる。「彼はまた、自然の研究はわれわれとは何のかかわりもないものと考えて、仕事場でも町の広場(アゴラ)でも、倫理的な問題を研究の対象としたということである。」(北嶋美雪訳『ギリシア思想家集』世界文学大系六三、三四二頁)。「彼はまた、はじめて人生を哲学上の話題にのぼせた人であり」(同、三四一頁)〔なお、傍点は和訳に付されている〕。これはきっと正確な指摘なのだろう。ただし釈尊、孔子、ソクラテスが、人生のみを問題にして、倫理的問題のみを扱ったということが、へたに強調されると、釈尊が形而上学を否定したという通説に至るだろう。この通説を批判したものとして袴谷先生の「釈尊私観」(『日本仏教学会年報』五〇号、一九八五年)がある。私は釈尊を始めとする三人の哲学者が形而上学を否定したとは思わない。根源≠フ思想を否定したと考えるのだ。ギリシアの場合、根源≠フ思想、つまり“dhatu-vada”を代表するのは、何と言っても、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスのミレトス派の人々だ。ヘラクレイトスも一元論者だ。彼等は、単一なる始源(アルケー)からの万物の発生と、その始源への帰滅を説いた。しかも彼等は普通ギリシア哲学の最古の段階に位置づけられている。後に見るように、津田真一氏が、アナクシマンドロスを高く評価されるのも、当然のことだ。その後起ったエムペドクレス等の多元論や、ソフィストの相対主義も、釈尊以前の六師外道のうちの誰かや、ジャイナ教と比較しうるかもしれない。もっともこうしたことは、すでに誰かが述べていそうだ。私が強調したいことは、根源≠フ思想“dhatu-vada”「如来蔵思想」というものが洋の東西をとわず古代社会の最古(?)の段階に共通に認められるということだ。それは、何故か。万物は一から生じ一へ帰る≠ニ考えるほど、古代人にとって単純で分りやすい思想はなかったからだ。この様に考えると、誤解を招くことを承知の上で、次の様に言うべきかと思う。つまり、如来蔵思想(dhatu-vada)とは、土着思想≠フ哲学化であり、民俗宗教≠フ思想化であったと。ミレトス派の一元論哲学は、生命をもつ始源が万物に展開するという点で、アニミズム(物活論)と呼ばれるそうだが、如来蔵思想とアニミズムの関係にも注意しなければならない。「山川草木悉皆成仏」を人は仏教の極致というが、これがアニミズムでない保証がどこにあろう。ところで、現代ほどアニミズムが讃美されている時代はない。たとえば、ある学会で、「日本人の宗教意識の基層はアニミズムであり祖先崇拝≠ナある」といえば、この言葉は殆んど無限定な真理というひびきをもつだろう。これに、「仏教は、日本人の古来からの不変の宗教的心性に何らの影響を及ぼしていない」という主張を付加すれば、私はこれを民俗仏教論≠ニ呼ぶ。この民俗仏教論と如来蔵思想は、決して無縁ではない。両者は土着思想の思想化であって、私はこの両者の典型的結合を、梅原猛氏の日本学≠フ中に認める。氏の日本学ほど、如来蔵思想と民俗仏教論(または民俗宗教論)を見事に結合したものは、他に類がない。氏は仏教を説いているのではなく、如来蔵思想を説いている。そして氏が、如来蔵思想と日本民俗宗教を同時に唱導することに、何らの矛盾もない。むしろ論理的一貫性があるのだ。如来蔵思想とは、土着思想の哲学化であるし、それ自身、全く融和的世界観だからだ。梅原氏が、「山川草木悉皆成仏」と「和を以って貴しと為す」とに如来蔵思想の典型を見出していることに、全然誤りはない。仏教が日本に入ったとき、実際に混乱が生じたが、如来蔵思想ならば、その心配もないという訳だ。なお最後に一言しておきたいが、私が土着思想≠フ語を用いたのを教理学者≠フ差別意識や無知を示すものと考えないで頂きたい。辞書を引いてもらえば分るが、土着=inative)という語自身に、何ら差別的意味はない。
(22) 中観の「空」の思想というのも、本来アビダルマの空間的──私はそれを時間的とよばない──縁起論に対する徹底的な批判、危機意識の表明だった筈だが、この危機意識を充分に理解しないと、縁起という時間性の解体、従って空間化というものに利用される危険を充分にもっている。簡単に言えば、危機的──ということは時間的ということ──でない中観は最悪の現実肯定の理論となる。この点は、吉蔵に関する最近の末光愛正氏の一連の研究論文に明示されていると思われる。特に同氏の「吉蔵の「唯悟為宗」について」(『駒沢大学仏教学部論集』第一五号、一九八四年)〔以下、末光氏第一論文とす〕、「吉蔵の「無碍無方」について」(『駒沢大学仏教学部論集』第一六号、一九八五年)〔以下、末光氏第二論文とす〕は見事な論文という他はない。ただし、氏と私の違いは、私が最悪≠ニ考える正にその点に氏が吉蔵の思想的な卓越性を見いだされることにあろう。
(30) 前註(22)に引用した末光氏の論文から、氏の文言を引用しておこう。「この『般若是一法、仏説種種名』は、『無名相』の般若実相の体より、『名相』として総べての法が用として現出したと考える。」(末光氏第一論文、二六五頁下−二六六頁上)、「即ち破邪顕正とは、実相の用のある一説に固執することを否定し、絶言の実相の体に悟入させるものである。しかし逆に実相の体は諸説を現出するものであるから、心に所着が無ければ得悟の本ともなる。この般若実相を総ての根源であると考え、総ての執着を洗破した所に『唯悟為宗』の考えが発生する。」(同、二七一頁下)〔傍線筆者〕、「しかし一切の言語表現を非とするが故に、逆に一切の説を是とすることが出来る。」(末光氏第二論文、三〇七頁上)、「無方無住の立場では、一切の説は否定されるが、無方無碍の立場では、一切の説は肯定される。」(同、三〇七頁下)。吉蔵の思想に関する誠に明快な末光氏の解説は、吉蔵の次の様な文言に基いている。以下すべて氏の御論文より引用しよう。「二諦は是れ教なりと明す。理は無二なるを以ての故に非有非無なり」(第二論文、三一二頁上)、「但し無名相の中に、衆生の為めの故に強いて名相をもって説く。」(第一論文、二六五頁下)、「此の実相は是れ迷悟の本なり。」(第一論文、二六六頁上)、「一切並びに非なるを以ての故に能く一切並に是なることを得る。」(第二論文、三〇七頁上)、「常無常・真俗・三乗一乗・五部十八部・涅槃経の三十余の浄論、乃至五百部八万四千の法門、皆な是れ実相の用なり。」(第一論文、二六六頁下)。つまり、吉蔵の思想は、私の言う“dhatu-vada”と殆んど構造を等しくする。即ち、彼は基本的に、一は多を生じる根源である≠ニ理解して、一と多を対比する。そしてその一≠不可説無名相の理、実相、体と解し、多≠その体の用としての教と見なす。従って、彼にとって、一≠ネるものは、非有非無の中道、あるいは教を欠いた理であり、多≠ネるものは、有無という二諦の教である。多≠スる一切の教は、一≠ネる本、体に根拠をもつ故に、ひとしく、ある程度の実在性と真理性をもつ。つまり、無差別平等なる一≠ノよって、差別たる現実の多≠フ実在性が根拠づけられる。これは“dhatu-vada”共通の現実肯定の論理であり、「和を以って尊しとなす」「山川草木悉皆成仏」である。なお、「山川草木悉皆成仏」と吉蔵の関係について、すでに、袴谷憲昭「差別事象を生み出した思想的背景に関する私見」(『駒沢大学仏教学部紀要』四四号、一九八六年)の追記(二一六頁、大蔵版一五八頁)に注意されている。三論哲学とは、「中観派にはいかなる主張もない」という通念をダイレクトに思想化したものであり、この点でチベットの離辺中観説と基本的に一致する。私の「チベットの中観思想──特に「離辺中観」説を中心にして──」(『東洋学術研究』二一二、一九八二年)を読まれて、吉蔵と離辺中観説の類似点を即座に指摘されたのは伊藤隆寿先生だった。私は、当初この御指摘の意味を理解できなかったが、末光氏の一連の論文等を読み、充分に納得がいった。御教示に深謝したい。
ところで、唯一の根源≠ヘ、言語表現されない(無名)という考えは、老子の強調したことでもあった。「道可道、非常道、名可名、非常名、無名、天地之始、有名、万物之母」(道の道う可きは、常の道に非ず。名の名づく可きは、常の名に非ず。名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。)〔「老子」六九頁〕、「道常無名」(道は常にして名無し)〔同、一○六頁〕、「道隠無名」(道は隠れて名無し)〔同、一一六頁〕、「知者不言、言者不知」(知る者は言わず、言うものは知らず)〔同、一二八頁〕。
(36) 註をつける段階で、高崎直道博士著『仏教入門』(東大出版会、一九八三年)を入手し、第四句の博士の訳が「その(生滅)の止滅こそが楽である」(八七頁)となっていることを知った。この訳は、「生滅滅已、寂滅為楽」という漢訳に従ったものかもしれないが、すでに本論で述べたように、この偈のテーマは、諸法の生と滅だと思われるので、中村元博士の「これら〔つくられたもの〕のやすらいが安楽である。」(『仏典I』世界古典文学全集6、五六頁)の訳のごとく、“tesam” は “sam・khara” を受けたと解する。なお、「一切行苦」とこの無常偈から、「法=苦」「法の滅=楽」という定式が導かれる。
(37) 「法眼」(dhammacakkhu)における法≠ニは、“pubbe ananussutesu dhammesu cakkhum・ udapadi”(Vinaya, I, p. 11, ll. 1-2) の文例が示すように、複数であって単数ではない。従って、それを理法≠ニ解するのは正しくない。また、「誰であれ縁起を見るもの、彼は法を見る。誰であれ法を見るもの、彼は縁起を見る」(MN, I, pp. 190-191)にしても、普通理解されるように、ここに縁起の理法≠竅A真理≠ニしての法が説かれたと解する必要はない。ここで「法」とは、縁起支を指したとも解されるからである。しかしその場合にも更に二つの解釈がありうるだろう。その第一は、縁起を理法≠ニ解することを戒しめるために縁起≠ニ縁起支の諸法≠フ不離を説いたと見るものだが、ここで法が単数で出されるため、この解釈はやや無理だろう。この点は、「縁起を見るものは法を見る」が現代では、「縁起=理法」説の有力な根拠となっていることからも知られる。第二のより妥当と思われる解釈は、「法を見る」ということの意味を法が生(uppada)と滅(vaya)という本質的性質(dhamma)をもっていることを知る≠アと、または法のもつ生と滅等という本質的性質を知る≠アとと解するものだ。この解釈を補強するものとして、“pat・havidhatuya......aniccata paññayissati, khayadhammata paññayissati, vayadhammata paññayissati, viparin・amadhammata paññayissati”(MN, I, p. 185) を示しておこう。縁起説を知ったものは、だれでも法のこの危機的な性格をすぐに理解するので、それを「縁起を見るものは、法を見る」と言ったと思われる。