学問と礼節、無我と慈悲、宗教的時間と日常的時間(松本史朗) |
問題は、学問が第一義的には“真理に関する正邪の戦い”なのか、それとも“尊敬と礼節にもとづく対話”なのかという点であって、この重要な二者択一を曖昧にしたうえで、問題を設定すること自身、欺瞞的なのである。何故なら、“尊敬と礼節”あるいは“礼儀”という口実によって、“真理に関する正邪の戦い”が覆い隠され、曖昧にされてしまうという例は、言うまでもなく、学問の歴史においても、少なからず見られたからである。
さて、津田氏によって、“学問とは何か”ということが問題とされたが、“真理に関する正邪の戦い”という氏の定義を、“礼儀”云々という但し書き抜きになら喜んで受け入れたいと思う。しかし、仏教学における“真理”とは何なのであろうか。我々は植物学の研究をしているわけではない。相模湾の海洋植物の分類について論争しているのではない。仏教学の対象とは、“仏教”であり宗教である。しかも、我々はともに“仏教徒”を自称して生きている。従って、“仏教とは何か”という問題に関する“正邪の戦い”真理の探求は、我々の生それ自体に深く関わり、我々の存在そのものを否応なく規定しているのである。それ故、仏教学における真理の探求が我々の存在を不可避的に決定するとき、「学問の世界」を口にしたり、そこにおける“礼節”を云々したりすること自体、欺瞞的というべきであろう。
学問は批判ということなしには前進しない。これは学問の常識であろうが、津田氏においては“学問”という語は、批判を封じるための口実として使用されている。つまり、私の批判は、学問的なものではなく、人格に亘る攻撃だ、というのである。氏は確かに、様々の品位ある言葉を重ねて、私の人格を攻撃されたであろう。しかし私は津田氏の人格を攻撃した積りはない。私が批判したのは、氏の人格ではなく、氏の仏教理解であり、さらにいえば、氏の全生活を導いている“思想”なのである。私は、氏との論争(もしそのようなものがかりに有るとしての話であるが)を、必ずしも純粋に学問的な論争だとは考えていない。そのような学問的、あるいは学術的論争は、すでに見たような植物の分類に関しても、ありうるであろう。私はむしろこの論争を、思想的なもの、思想的な対立と見なしている。そして、この場合の“思想”とは、氏や私の生き方に直接関わり、その存在そのものを本質的に決定しているものなのである。
津田氏の論文に明記されているように、氏は当初手紙によって、私の批判に対する回答を拒絶された。それに対し、私も手紙で氏からの反論を重ねて要請したのであるが、そのとき私の考えたことは、氏にも手紙で申し上げたように、次のようなことであった。すなわち、私には、仏教に対する氏と私の理解は全く逆転しているように思われたのであるが、それ故にこそ、そのお互いの解釈の相違、思想的対立を決して曖昧にすることなく、他の人々に対しても、また自分自身に対してさえも、明確にしていく義務があるのではないか、と感じられたのである。つまり、たとえ私の仏教理解が誤りであり、氏の解釈の方が全面的に正しいと仮定しても、それにもかかわらず、仏教に関する二つの全く相反する解釈を明確に対峙させて、そのいずれが正しいかを論争を通じて究明していくことは、最終的には仏教とは何かを明らかにするうえで役立つであろうし、それは仏教学に携わる者の義務ですらある、と思われたのである。おそらく津田氏も、この義務を自覚されて反論に踏みきられたものであろう。後はただ、お互いに論理を尽して“正邪を決する戦い”に加わるだけではなかろうか。
勿論、聰明なる津田氏は、氏の主張が、いかに“空”という意味深げな哲学原理を持ち出してみても、論理的に成り立ちえないということに気づかれた。それ故、今度は、“空”ではなく“慈悲”、つまり、例の“横の慈悲”という超論理を導入して、それによって、論理的困難を一気に突破しようとされた。すなわち、氏は言われる。
それは慈悲というグルントロースな原理を採るか否か、その慈悲にもとづく働きかけ、利他の直接行(これを私はちょっと気どってプラクシス的行というのですが……)の対象としての衆生・他者という視点を有つか否か、つまり、自己と絶対者という、いわば竪の瑜伽的二者関係ではない、横の対他関係を勘定に入れるか否かで、両項がそういうクリティカルな関係に置かれることになるのです。ここに氏の“慈悲”という原理が、氏にとって“グルントロース”、つまり“無根拠”であることが明言されている。そして、氏にとって“無根拠”であるということは、“存在の真理”ではないこと、いかなる論理性ももちえないものであることを意味する。では、ここで再び氏に問いたい。すでに真の“完全”、つまり、知的、情的などの全ての限定を問わずあらゆる意味での“完全”を手に入れたものが、何故、氏にとっては、全く“無根拠”で非論理的な“慈悲”という原理に促されて、“無量劫”の利他行に踏み出さなければならないのであろうか。右の文中、“その慈悲にもとづく”以下は、読者の人道主義的心情に訴えることによって、氏自身の論理性をおおい隠すものに他ならない。津田氏は、「横の対他関係を勘定に入れる」と言われるが、この“横の対他関係を勘定に入れ”た、氏の所謂る“横の慈悲”とは、あるいはさらに美しき言葉“利他行”とは、実際には、すなわち、氏にとって存在論的には、他者の“存在の愉悦”に共感することでしかなかったという事実こそが、“慈悲”という博愛原理が氏にとって正に“グルントロース”でしかありえないことを、明示しているのである。そしてもし、氏が“華厳”を正しく理解されているとすれば、“華厳”においてもまた、“慈悲”や“利他行”とは、論理的にいえば根拠をもたない“つけたり”にしかすぎないことになるであろう。
(B論文下、五八頁)
私はこの論文を書くにあたり、ずい分長い間、津田真一氏の世界に浸り、氏を理解し、その主張に共感しようと努めた。勿論、津田氏は立派な方であろう。しかし私は、氏との一切の妥協を拒否し、氏が正しい仏教に帰されるよういま一度祈って、この長い論説を終わりたいと思う。
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〔01.05.12 引用者註〕
(1) 私は“自他不二”は“我論”ではないと考えている。これについては拙稿「「如来蔵思想批判」の批判的検討」の三章、及び、雑記「曽我逸郎さんとの対話」を参照されたい。
(2) 松本氏は中観思想の立場から(『中論』第一章第一偈を持ち出して)、“私は存在しない(実在しない)”と言われているが、この場合の「存在しない(実在しない)」の意味は、厳密に言えば、“自性として存在しない”ということであろう。同書において氏は、“『中論』第一章第一偈”及び“実在”を次のように理解されている。
すると、右の文章は、「縁起するものは、自性として生じない、または自性として存在しない」を意味することになるが、このことは、第一章第一偈における否定の意味についての重要な指摘を含んでいる。すなわち、これによってその偈に示される否定は、“諸法の無”であれ、“諸法の不生”であれ、厳密には常に“自性として”という限定語を付して理解されなければならないこと、つまりそれらは正確には、“諸法が自性として無いこと”“諸法が自性として生じないこと”を意味することが、示されているのである。
『中論』におけるナーガールジュナの否定的論証は、すべてこの“自性として”という限定語とその要素となる“自性”という概念の存在なしには、原理的に成り立たない。
(p. 346)
ナーガールジュナは、『中論』の第十五章にいたって、“自性”の意味を、次のように説明している。
(11)自性が、縁(pratyaya)と因(hetu)から生じることは、可能ではない。〔何となれば〕自性が、因と縁から生じるなら、それは作られたもの(kr.taka)となるであろう。(一五−一)
(12)しかし、どのようにして、自性が実に作られたものになるであろうか。何となれば、自性は、作られないもの(akr.trima)であり、また、他のものに依存しないもの(nirapeks.ah. paratra)であるから。(一五−二)