上行菩薩即日蓮聖人(牧口常三郎)


問 日蓮正宗は如何なる教義信条を持つ宗教団体なりや。

答 日蓮正宗所依の経釈は法華経八巻二十八品と、無量義経一巻普賢経一巻と、宗祖日蓮聖人の御書きになつたものを纏めた例へば日蓮聖人御遺文等を土台にして居ります。
  其他大石寺には未だ他派に知られて居ない未発表の宗祖の文献や、法主から法主への口伝が残つて居る((ママ)(さ))うでありますが、其文献等も基礎になつて居ります。
  日蓮聖人御遺文月水御書の中には、法華経二十八品の中でも特に勝れて居るのは、方便品第二寿量品で他の余品は皆枝葉であると仰せられて居りますので、此二品は本山でも重要として朝夕一般信者にも之を読まして居ります。
  重要な所以は法華経二十八品中、後の十四品本門の十四品と称し、其中でも寿量品が一番肝要で、他の十三品は枝葉であり、此法華経抑ゝ((そもそも))本門が元であつて、其垂迹を迹門と云ひまして、二十八品前の十四品がそれであります。
  さうして此迹門の中でも方便品は一番肝要で、他の十三品は枝葉であると云はれて居ります。
  要するに之を要約しますと、法華経の真髄は本尊たる南無妙法蓮華経に統一される訳でありまして、それに帰依する以外に他の一切の礼拝信仰宗派を認めませんのが日蓮正宗の建前((たてまへ))であります。

(斎藤正二他編『牧口常三郎全集』第十巻、第三文明社、1987年、pp. 188-189)


問 法華経を最初に説いたのは誰れか。

答 法華経を最初に説かれたのは釈尊であります、釈尊は今から三千年前に印度に生れ、十九歳の時出家となり三十歳にして成道し、それから「華厳経」「阿含経」「方等経」「般若経」と四十二年間に亘つて説かれました。
  此の時代は人々の知識の程度に応じて、次第に教へを進められたので、未だ出世の本懐たる法華経を説かずに、それ迄の準備として右の経を説かれたと覚((ママ)(え))て居ります。
  でありますから此の四十余年間の経を「随他意の経」とも云ひ、又所謂声聞縁覚に対する方便経とも称し、未顕真実の時代と申して居ります。
  其後七十二歳から八十歳迄八年間に亘つて、始めて天地宇宙の大法たる法華経を説かれましたが、此法華経を「随自意の経」と申しまして、真実の仏の御心を説かれ((なほ))後世の為めにも意を用ひられて法華経の真髄を抽出した処の「妙法蓮華経」の五字を御弟子中最も因縁の深い上行菩薩に伝授し、後世の人々を救ふ様に指導せられたのであります。

(同上、pp. 189-190)


問 法華経と日蓮聖人の関係は。

答 法華経は一面釈尊在世結縁の人間の成仏法であると共に二千年以((ママ)(後))の末法の予言書であります。
  濁悪の所謂末法の世に於ける人人を救済する為めに生れたのが日蓮聖人であります。日月の光明の諸の幽明を除くが如く此人世間に行して衆生の闇を滅すと云ふ経文がありますが、日蓮聖人が末法の世に出て衆生を済度する事に就ての予言であります。
  正法像法の時代に於ては((ママ)(教))、行、証の三つがあつ((ママ)(句点脱落))末法の世に至つては((ママ)(教))のみあつて行、証共になくなつて結局法華経の価値は失墜してしまつたのであります。
  故に末法の世に於ける人人を法華経に依つて救済する為めに大導師として建長五年四月二十八日房州清澄山に於て「南無妙法蓮華経」と唱へて立宗開教((ママ)(立教開宗))せられたのが日蓮聖人であります。
  前にも申上げた通り日蓮聖人は上行菩薩の再誕として末法に入りてより百七十一年の貞応元年二月十六日に日本国に出現されたのでありますが、上行菩薩即日蓮聖人と云ふ事になります。

(同上、pp. 195-196)

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