仏教の消滅(小川一乗)


ともかくも仏教というものはそれが伝播した国や民族に受容されて発展してきたというのが一般的な理解なのですが、私はそれを受容ではなく変貌であると、仏教が習俗化していくことであり、仏教が非仏教化していく道をたどっているのであるというように考えているのです。こういう立場の人はあまりいないかもしれませんが、仏教の伝播は、単なる受容ではなくして、そこには仏教が仏教でなくなっていく経過が含まれているというように見るべきではなかろうかというのが私の基本的な立場です。

(小川一乗『大乗仏教の根本思想』、法蔵館、1995年、pp. 5-6)


 それではなぜそういうことが言えるのかということを、まず最初に簡単に説明したいと思います。すでに御存じのように、仏教は、いまからニ千五百年ほど前にインドで釈尊によって始まり、そして紀元後十二世紀の終わりにはインドから消滅してしまいます。
 私が学生時代にインド仏教史を習いましたときには、インドから仏教が消滅したのは、イスラム教徒の侵入によって、仏教寺院が徹底的に破壊され、仏教の出家僧が虐殺された、そういう歴史的状況の中で仏教が滅亡したというように教えられました。けれども私は、学生時代にそういう説明を聞いて納得できないものがあったのです。それならばなぜ、そのときのインドの民俗宗教であるヒンズー教が滅びなかったのか。なぜ仏教だけが滅んでしまったのかという疑問が残ったのです。そんな疑問を持ちながらインドから仏教が姿を消していった経過をたどってみますと、仏教がインド民俗の俗信、民俗宗教の中に埋没していったのであって、滅亡したのではないということがわかります。つまり仏教が姿を変えてしまったということなのです。

(同上、p. 6)


 大乗仏教がもっとも盛んになったのは四、五世紀ごろです。そのころにはインドのナーランダー地方に大学ができています。インドの仏教遺跡を旅行されるかたはかならず立ち寄ると思いますけれども、現在もナーランダー大学の遺跡が残っています。ナーランダー大学というのは、世界最初の大学であり、世界最初の、そして最大の仏教大学です。五世紀ごろには約一万人の学生がいたといわれています。そこには千五百人ほどの先生がいて、全員が二十四時間の共同生活をするわけです。そこで寝泊まりをして勉強をするのですから、日本の大学とは違います。大谷大学も、昔は学寮というものが完備しておりまして、よほどの事情がないかぎりは、ほとんどの学生は寮に入れられたそうです。それに近い形がナーランダー大学だったのです。一か所に一万人の人が寝泊まりするというのですから、すごく壮大な大学です。そして今その一部分が発掘されて、整備されております。仏教研究の場であるナーランダー大学がもっとも栄えたのが五世紀ごろです。
 しかし仏教の教えの中に、インド民族のタントリズムの教えが入る度合いが深まるにつれて、次第に仏教は密教化していき、仏教それ自体は衰微の一途をたどっていくのです。そして百年たった六世紀ぐらいになりますと、ナーランダー大学の学生数は減少して、六、七千人に減ってしまっています。ともかくも、最終的には十二世紀に仏教はインドから消えるのです。仏教教団の中に在家信者が入ってきたとき、その人は同時にインドの民族信仰を背負って入り込んできたのです。それによって仏教と民族信仰が混合されていくことになるのです。“ひさしを貸して母屋を取られる”ということわざがありますが、最初のうちは民族信仰は仏教のひさしにいて、仏教はまだ母屋にいたわけです。ところが次第に、ひさしにいたものが母屋の中へ入り込んでいき、仏教とインドの民族宗教が完全に逆転するのが、だいたい七、八世紀です。ヒンズー教(インドのタントリズム)を取り込んでいった仏教が、ついにヒンズー教にのみ込まれてしまうわけです。七、八世紀になりますと、インドの民族宗教の総体であるヒンズー教、それらの基本となっているインドのヴェーダー時代以来の、釈尊以前からのインドの正統派宗教を代表するバラモン教、そこにおける「梵我一如」というウパニシャッド哲学による宗教観が仏教の教義の中に取り入れられて仏教は密教となっていくわけです。「梵我一如」については後に説明いたしますが、ともかくも、仏教の用語は使っているけれども、中身は変わってくるわけです。すなわち、「梵我一如」という宗教観に仏教は符合していくわけです。そういうように、最初はひさしにいた民族宗教が母屋に入ってしまい、母屋にいた仏教が外へ追い出されてしまったのが、だいたい七、八世紀、『大日経』とか『金剛頂経』という密教経典ができるころなのです。
 このころになりますと、経典は同じく「世尊」がお説きになっておられますが、大乗仏教の場合は釈尊が世尊ですけれども、『大日経』『金剛頂経』になりますと、世尊は大日如来になるのです。同じく「世尊」といいながら、説法者が大日如来に変わっていって釈尊ではなくなっていくのです。このように世尊という言葉は同じようにちゃんと使われていますが、だれが世尊かということになりますと、釈尊ではなく、大日如来が世尊になっていく、そういうような変わり方で変わっていくのです。
 そして八世紀以降は、仏教が密教そのものに変わっていきます。密教というのは、インドの場合は、バラモン教やヒンズー教の教えを仏教の中に取り入れ、仏教の言葉で書き換えたのが密教であるといえましょう。これがインドにおける仏教の基本的な変化の歴史です。
 さきに申しましたように、インドにおける仏教の消滅ということにつきましては、社会状況としてはイスラム教徒の侵入によって仏教が壊滅状態になったということがありますけれども、密教化という仏教自体の変化の中で、仏教はヒンズー教の中に埋没していくのです。ということは、イスラム教徒によって仏教寺院がどれほど破壊されても、また、仏教の僧侶がどれほど殺されても、民族の中には仏教信者たちはたくさんいたわけですから、それなのに仏教がインド社会から姿を消したということは、民衆の間で仏教とヒンズー教との明確な区別がつかなくなっていったからであると思います。

(同上、pp. 11-14)


 そういうような形で仏教がヒンズー教の中へ取り込まれてしまったということが、インドにおける仏教の滅亡といわれていることの実態です。ですから私は、滅亡とは言わないで消滅と言っているのです。あるいはヒンズー教の中に埋没したというべきです。それが滅亡したといわれるインド の実態なのです。

(同上、p. 15)

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