初期仏教の心論は「染浄和合説」(藤田正浩)


 原始経典に自性清浄心が説かれているか否かについて、筆者が結論を出すわけにはいかない。というのは、学者は概ね、自性清浄心思想の源流は原始仏教にまで遡り得ると考えているのに対し(2)、この立場に積極的に反対を表明しているのは筆者一人だけだからである。議論の対象となっている『増支部』の文章は次の通りである。

比丘たちよ、この心は光浄である(pabhassara)。そして実にそれは客なる諸随煩悩によって染汚されている。無聞の異生はそれを如実には知らない。したがって、無聞の異生には心の修習がない、と私は言う。
比丘たちよ、この心は光浄である。そして実にそれは客なる諸随煩悩から解脱している。有聞の聖弟子はそれを如実に知っている。したがって、有聞の聖弟子には心の修習がある、と私は言う。
(AN. I, p.10, ll. 11-18. cf. ibid. p.10, ll. 5-8)
 ここには心性の「性」(pakati/prakrti)は説かれていないが、「客」(a(_)gantuka)という語の存在によって「本性として」の意が加わっていることが示される、というのが学者の考えである。しかしながら、この文章の直前には心の浄と染とをとを表わす二つの状態が対比的に長々と述べられており、心がいかに変化しやすく不安定であるかということに注意が促されている。すなわち、「心光浄」の一文は前後の脈絡と関係なく現われ、この部分だけが全く浮きあがっているのである。さらに漢訳に相当部分が欠けていることも重要であり、この一文は後世の付加であろうという疑問が生じる。

(藤田正浩「自性清浄心をめぐって」、平川彰編『如来蔵と大乗起信論』、春秋社、1990年、pp. 260-261)


 心性本浄説を認める学者の第二の根拠は「黄金の譬喩」である(SN. V, p. 92, AN. I, pp. 210-211, pp. 253-258, V, pp. 16-17 etc.)。これらをどう解釈すべきか、結論を出すのは無理であろう。筆者としては、一切衆生に具わる自性清浄心の描写というより、悟後の光浄なる心についての譬えにすぎないと考える。パーリ文では数箇所に見えるが、漢訳には一例しかない(大正ニ・三四一下)。なお中村瑞隆氏は、『大法鼓経』巻下にある「黄金の譬喩」では「金性」(チベット訳では gser gyi khams, *suvarn.a-dha(_)tu)となっていること、『楞伽経』でも「金性」(suvarn.a-bha(_)va)の不変が述べられているこ(4)が、『増支部』の「心」が後に「心性」となっていることに照応する、と言われる(5)。本来のアーガマに含まれていたという保証のない以上の二例によって心性本浄説を認めることには同意しがたい。それよりも、もっと広く原始経典を調査して、原始経典の心論がどのようなものであるかを確認するほうが重要であると思われる。
 心性本浄説に対立する考え方は染浄和合説と呼ばれている。この説は人間の心の本質を規定せず、文字通り心を染と浄との複合体であるとするものであるが、原始経典の心論として遥かに適確であると思われる(6)。この立場の代表は次の例である。先程の『増支部』の例が心性本浄論者の教証とされるのに対し、『相応部』のこの例は心性本浄説を否定する側の教証として引用されている(7)。なお、これに漢訳相当経『雑阿含』巻一〇がある。

比丘たちよ、心が雑染となるから衆生は雑染となり、心が清浄(voda(_)na)となるから衆生は清浄となる(visujjhanti)。
比丘、心悩故衆生悩、心浄故衆生浄。(SN. V, p. 151, ll. 11-12. 大正ニ・六九下)
この他の、染浄和合説と見做してよいいくつかの例を含めて判断すると、原始経典では、衆生や衆生の心について浄か染のどちらかを根本的立場として説くことは稀であり、二つの立場を同等に考えている。すなわち、本質については言及せず、良い行為によって浄まり、悪い行為によって汚れるという現象面のみを問題とし、この限界を超えることはない。

(同上、pp. 261-263)


(2) 西義雄、勝又俊教氏などがその代表である。詳しくは拙稿「パーリ『増支部』の心性本浄説について」、『早稲田大学大学院文学研究科紀要・別冊第八集』、昭五七、註(8)を参照。また、詳細についてもこの拙稿と「拙稿A」〔引用者註:「原始仏教の心性本浄説について」、『仏教学』第一四号、昭五七とを見ていただきたい。本稿では結論だけを述べることにする。なお、筆者が「拙稿A」を発表した後にこのテーマを扱った論文は、管見による限り、概説書以外では水谷幸正「自性清浄心・発菩提心・度衆生心・発願心─如来蔵と心性論をめぐって─」、『仏教思想9・心』、昭五九、くらいであろうかと思われ、そこで水谷氏は筆者の見解に反対されている(ニ七三頁、註(15))。筆者は、大衆部等の心性本浄論者が後述の『増支部』の経文を根拠としたのは当然であろうが、現代の学者までがそれに同調するのは不当であろうと考える。この見解は現在でも変わっていない。

(同上、p. 280)


(4) なおチベット訳は gser gyi dbyin()s であり、今の場合の bha(_)va は本性に近い意味である。

(5) 中村瑞隆「心光浄説から心性光浄説へ」(佐々木現順編著『煩悩の研究』所収、昭五〇)、一五四頁

(6) 原始経典の心論については、「拙稿A」に詳論した。

(7) 『成実論』(大正二九・七三三上)。その他、心性本浄論争と直接関係のない所でも引用され、広く知られている。

(同上、p. 280)


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