新宗教における生命主義的救済観(対馬路人 他)


本稿は、近代日本の宗教意識の一側面として、新宗教が提示する救済観の構造を明らかにしようとするものである。一見したところ、新宗教の諸教団の教えや組織の示す外観はきわめて多様であるように見える。たとえば、新宗教に対して仏教系、神道系といった分類がなされるとき、その教えはまったく異なった宗教的伝統に根ざしているように見えるであろう。また、明治以前に生まれた教団と第二次大戦後に生まれた教団の間にははなはだしい差があると考えられるかもしれない。しかし、こうした分類法では、新宗教の教えの共通の面が見逃されてしまうことになる。こうした考え方に対してわれわれは、むしろ新宗教の教えはその基本的構造において同一であると考える。というのは、新宗教は基本的に民俗宗教という同一の宗教的基盤に根ざしており、しかも各教団の教えの形成に際しては、既成宗教の教義ではなく、民俗宗教や他の新宗教教団の教えがもっとも大きな影響をおよぼしたと考えられるからである。とくに救済観の構造に注目するとき、新宗教相互の類似性は驚くべきものなのである。

(対馬路人・西山茂・島薗進・白水寛子「新宗教における生命主義的救済観」『思想』第665号、1979年11月、p. 92)


さきに、新宗教の教えが、多様な表現形態をとりながら、基本的に同一の構造を有することを示唆したが、われわれはそれを生命主義的救済観という言葉でとらえることにしたい。というのは、新宗教の教えの中核にあって、しかもその全体を集約するような役割を演じているのが根源的生命という概念だからである。本節では、新宗教における生命主義的救済観を八つの側面から分析・検討することにしたい。なお、われわれが直接、分析の対象にしたのは、黒住教、金光教、天理教、大本教、霊友会、生長の家、立正佼成会、PL教団、創価学会、世界救世教、天照皇大神宮教の十一教団である。

(同上、p.93)


 まず、宇宙、世界、自然あるいはそこにある森羅万象の本性がどのようなものとイメージされているかを見てみよう。その表現は多様だが、宇宙・世界そのものをけっして衰減することのない豊饒な産出力に満ちあふれた一個の生命体、「生きもの」とみる認識が多くの教団に共有されている。

天道は生々にして、天地に死と申すことは更にえんなきものに御座候(黒住教『黒住教教書』)
天も地も昔から死んだことなし(金光教『金光大神理解』)
大いなる生命が一切者に貫流し、とどまらず、退くことなく、豊かに流れて、供給おのづから無限である(生長の家『生命の実相』)
宇宙は常に無数の衰減と創造がくり返され、それらが調和している生きた世界(立正佼成会『仏教のいのち・法華経』)
生命とは宇宙とともに存在し、宇宙より先でもなければ、あとから偶発的に、あるいはなにびとかによってつくられて生じたものでもない。宇宙自体が生命そのものであり(創価学会『戸田城聖・論文集』)
 こうした表現のほかに、
この世は一列は皆月日(=神)なり(天理教『おふでさき』)
世界中はおや(=神)のからだや(同前)
自然本物が神、神そのものが自然(天照皇大神宮教『生書』)
神に会おうと思えば庭に出てみよ、空が神、下が神(金光教、前掲書)
 といった具合に、宇宙や世界そのものを「神」ととらえている表現にもしばしば出会うが、後述するように、「神」が生命湧出、化育の本源もしくは大生命そのものと把握されているのであるから、この場合にもけっして「宇宙即生命」という認識と異なる見解が示されているわけではない。したがって、ここでは宇宙と生命と神は、いわば、三位一体的なものと考えられているといってもさしつかえはない。
 このように宇宙全体が一個の生命体とされることから、その一部として存在している万物は本質的に生命のつながりによって調和的に結びついているという考え方が導かれるであろう。
万物は調和ある関係(愛)によってつながっている一体のもの(生長の家、前掲書)
すべての物、すべての人は一つの大生命に貫ぬかれ、目に見えない所で一つの糸でつながっている(立正佼成会、前掲書)
 また、宇宙生命がつきることのない生命力をもつとされることから、万物は常に衰弱からの回復力、復元力を秘めているという考え方や、たえず「進歩発展」(PL教団)、「無限生長」(生長の家)を続けてゆくという考え方がでてくる。こうした生命の自然回復力への信頼感や生命的活力の自然増殖感が未来に対する特有の楽観論を生むのである。

(同上、pp. 93-94)


 そして、そこに見られる個物、とりわけ人間の側に立ってみると、宇宙・世界は個々の生命を生み、生かし続けている命の根源とみなされ、無償で無窮の恩恵を施与する限りなくありがたい実在とイメージされることになる。それゆえ、「天地の恩」、「自然の恵み」、「大生命の愛」といったことがしばしば強調される。
 もちろん、各教団ごとに、こうした宇宙論(宇宙即生命)の強調のしかたは異なる。黒住教、生長の家、立正佼成会、PL教団、世界救世教、創価学会などにはこうした考えは著しい。

(同上、p. 94)


 新宗教教団は、それぞれ、普遍的な救済者の性格をもったかなり明確な宗教的根源者の概念をもち、それを教えの中核においている(ただし、霊友会の場合、既述したように、根源者の統合の度合は低い)。教団によって根源者の名称はおのおの異なるが、その性格と機能には驚くほどの共通性がみられる。

万物の親神にて其の御陽気天地に遍満し、一切万物、光明温暖の中に生々養育せられてやむときなし(黒住教、前掲書)
大元霊(みおやおおかみ)は、現世(うつしよ)万象(あらゆるもの)創造(うま)せ給い芸術(つく)り給い、天地陰陽(あめつちかげひ)約束(きめごと)により、日に日に育て太らせ給う(PL教団『PL遂断詞(しきりのことば)』)
現界と霊界もことごとくがその宇宙に発しているから宇宙生命はそのまま神であり、同時にまた万物の創造者である(世界救世教『基仏と観音教』)
人間、霊界からの尊い生命の綱…によって自分たちはこの裟婆に…出てきている…そして、その生命の綱が、あの世からつながっておるうちは、この娑婆で生きておる(霊友会『天の音楽』)
神といい仏というも天地の誠の中に住める活物(黒住教、前掲書)
 このように、宗教的根源者は、いずれの場合も、万物の生命を生み出した根源であり、現にそれらの内に働いて、それらを日々絶やすことなく生々化育している源泉であり、さらに言うなら、万物が究極的に帰一・合一するところの宇宙の大生命そのものととらえられているといえよう。こうした理解に対応して根源者による万物の創出についても、製作者により物的素材から作品が製造される過程としてではなく、むしろ根源者からの自然発生的発現、ないし生殖行為による産戒の過程とみなされている。産戒と豊饒のイメージに強く彩られている天理教の創造神話『泥海古記』はその格好の例である。しかも、根源者は、こうして生み出した万物を計画的に統御・支配する統治者というより、むしろ、あたかも母が子の生命をいつくしみ、育むがごとく、あたたかく養育し、生長させる愛育者とイメージされている。根源者が万物を生み、育てるのは、ただ万物を愛そうとする一心からでたことなのである。
月日には世界中は皆わが子、たすけたいとの心ばかりで(天理教、前掲書)
生命界の現象は大生命の愛の花模様(まんだら)(生長の家、前掲書)
この宇宙は、みな仏の実体であって、宇宙の万象ことごとく慈悲の行業である(創価学会、前掲書)
 また、宗教的救済者としてみれば、とくに生命力の回復、守護、拡充をもたらす働きが強調されている。生命と生成のさまざまな機能の守護に十柱の神の働きを割りあてた天理教の「身の内守護の理」の説はその体系的表現といえよう。
 さて、こうしてとらえられた根源者の神性に関して、しばしば、それがいったい「超越神」であるのか、「内在神」であるのか、あるいは「一神論」であるのか、「汎神論」であるのか判断に苦しむといった指摘がなされてきた。たしかに、それは万物を産み出すという点では万物に先立つ超越者のごとく見えるが、けっして単なる系譜的根源にとどまるものではなく、現に生きている万物の生命活動をたえず内側から支えているという点ではむしろ内在者といえよう。また、宇宙のあらゆる生命活動を一身に集約しているという意味では一神教的であるが、その本体が宇宙全体と同一視されているという点ではむしろ汎神論的である。しかし、このことは必ずしも神把握の混乱を意味するものではない。むしろ、こうしたとらえ方のうちに新宗教における神性の把握の特質が見出せるのである。つまり、それらは、新宗教において、一方で、生命の普遍的・集約的根源が問われつつ、他方で、それが現実の生命体や生命活動における生き生きとした生命の働きとまったく切り離しえないものとして理解されていることを物語っているのである。彼らにとって神とはそうした生きた働きをはなれてはありえないものであったといえよう。それは、いわば、宇宙の生命の活動の全体、すなわち万物を産み。生かし、育てる力の一切を集約したものにほかならなかったからである。こうした神性の性格をくんで、以下ではこの根源者を「根源的生命」〔引用者註1〕と呼ぶことにしたい。

(同上、pp. 95-96)


〔01.10.06 引用者註〕

(1) 仏教はもともとこのようなものを認めない(高橋審也「原始仏教における生命観」『日本仏教学会年報』第55号(1990年5月)を参照)。
拙文「宇宙生命論は仏教ではない」も参照されたい。


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