弟子の批判を許容する精神(小河原誠)


イオニア学派は変化が実在的なものであることを承認し、変化をいろいろな原理で説明しようとした。ヘラクレイトスは変化の概念における論理的な問題に気づき、そして変化を説明しようとして対立物が同一であるという説にいたった。パルメニデスはついに変化が実在的であることを否認し、真の世界は不変の一者であると考えるにいたった。原子論者たちはさらにそれを批判して原子を導入した。ポパーは、学説のこのような変遷を引き起こしたのは、初期ギリシア哲学における自由な批判的討論の伝統であったと考える。たしかに、教説の保持に汲々としているところではこのようなダイナミックな思想展開が急速におこりえたとは信じがたい。ここでは、この変遷についてのポパーの要約的叙述を引用してもよいだろう。

 ここには独特の現象があり、それはギリシア哲学の驚くほどの自由と創造性に密接にむすびついている。…説明しなければならないことは、ひとつの伝統の出現である。それは、さまざまな学派のあいだの批判的討論を許し、もっと驚くことには、同一の学派内においての批判的討論を許し促進しているひとつの伝統である。というのは、ピタゴラス学派のほかには、どこにも、教説の保持に専念した学派がみられないからである。…  この新しい批判的態度、思想のこの新しい自由の最初の兆候をさがせば、タレスに対するアナクシマンドロスの批判にまでさかのぼる。…しかし、師に対する不同意の物語を伝える資料には、いかなる争いや分裂の痕跡も存在しない。…  師が、単に批判を許すだけで、批判を積極的に促進しないような師弟関係を想像することはほとんどできない。…  とにかく、タレスが積極的に弟子たちに批判を鼓吹したと推測すれば、師の教説に対する批判的態度がイオニア学派の伝統の一部になった事実が説明されるだろう。
 ここには初期ギリシア哲学史に対するポパーの側からの理想化がないわけではないだろう。しかしながら、ポパーが哲学という活動のなかに何を求めているのかもまた明瞭である。ポパーは、こうした精神のもとで、多くの人びとと批判的討論を重ねた。そのさいには、必ずしもポパーのかかげた理想通りにことが進行しなかった場合もあるだろう。あるいは、ポパーにとっては心理的に耐え難かった局面があったかもしれない。しかしながら、彼のたどった道を今日の時点からふりかえってみると、そこには他の学派の人びととの、そしてまた弟子たちとの歴然たる論争が残されている。

(小河原誠『ポパー─批判的合理主義』(現代思想の冒険者たち 第14巻)、講談社、1997年、pp. 211-212)


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